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第弐章 長ヒ夏休ミ §【夏休み1日目】その2


*▶︎▶︎pers.ASATO


 

 ノックの音が聞こえる。

 少し、眠っていたようだ。

 古い天井。傷の多い壁。そうだ、ヒナギさんの家だ、ここ。

 時計を見ると、午後5時を回ったところだ。こりゃ少しどころじゃないな、3時間以上寝てたのか。

 「どうぞ! カギは開いてますから」

 ヒナギさんが入ってきた。

 「おつかれさま。たいへんだったわね」

 机に備えつけられた椅子に腰をクルッと回すと、ヒナギさんは腰を下ろした。

 「ええ、ほんっと、たいへんでした」

 ベッドに上体だけ起こす。まだ頭がクラクラする。

 「あれっ?」

 手の甲のアザが、かなり薄くなっている。

 「効き目……あったんだ」

 「荒っぽいけれど腕は確かよ、あの人」

 「フッ……荒っぽいといえば、ヒナギさんも相当ですよ」

 「あら、心外ね。私はずいぶん優しい方だと思うけど」

 「よく言いますよ。僕、物凄い力で押さえつけられてましたよ」

 「ああ、あれは、力じゃないわ」

 「いやいや、僕、完全に動けなかったですから」

 ヒナギさんは椅子から立ち上がると、ゆっくり僕の方に歩いてきた。

 「え、ヒナギさん? ちょっと、ちょっと!」

 あっという間に、僕は腕を捻じ上げられ、ベッドにうつ伏せに固定されてしまった。

 「ひぃっ……なぎ……さん」

 格闘技でギブアップするようにヒナギさんの手をタップすると、スゥ〜ッと体がラクになった。

 「……ね?」

 「ねって……なんですか、いきなり」

 「いまのも、ぜんぜん力は使っていないの。ほら、か弱い腕でしょう?」

 エイッと力こぶを作るマネをしたが、ただ美しい腕の稜線がなだらかになっているだけだ。

 「身体構造を知ってポイントを押さえれば、私みたいに非力でも相手を制圧できちゃうのよ」

 「ひ、ヒナギさん、武道か何かやってたんですか?」

 腕をブラブラさせながら尋ねると、涼しい顔で彼女は答えた。

 「護身術みたいなものを、少々」

 「どうりでね……女性がやる護身術っていうと、合氣道か何か?」

 「まぁ、そんなようなものかな」

 ヒナギさんが合氣道の袴をつけている姿を想像する。似合う! 超絶、似合う!

 「もっと、やってみる?」

 「結構です。あの、それで……わざわざ僕の様子を見にきてくれたんですか?」

 「それもあるけれど、女将からの伝言をね」

 「あっ、ぜひ!」

 ベッドの上で正座し、背筋を伸ばす。

 「フフフ、大丈夫よ、そんなにかしこまらなくたって。あの人、別に千里眼であなたを見ているわけじゃないから」

 千里眼……あの女将さんなら、あり得そうで怖い。

 「あなたの右手の甲のアザね、一晩たてばかなり消えているだろうって。もう“芯”は抜いたからって」

 「シンっていうと?」

 「そうねぇ……核みたいなものじゃない? 霊障のコアっていうのかしら」

 「なるほど。わかりました、そういうものなんですね」

 「……あなたって、本当に素直なのね」

 「いや、でもほら、ホントにアザは薄くなってるし……」

 「素直だわ、とてもいいことだと思います」

 「とりあえず……ありがとうございます」

 「女将からの伝言は、まだ続きがあります」

 「うかがいますっ!」

 「ここにいる間は、食事も制限します」

 「一日二食にするとか……まさか、一食?」

 「違うわよ。食事の内容ということ。玄米菜食を中心にメニューを作ります」

 「マクロビオティックみたいなやつ?」

 「あら、よく知っているわね。そういうの詳しいの?」

 「あ、前にも話した通り、僕、重度の食物アレルギーなんで」

 「なるほど。それも一因かもね、あなたの能力……」

 「そうなんですか?」

 「まぁいいわ。とにかく、出されたものはしっかり食べてね。あなたには違和感ないかもしれないけど。それに、うちの板場で作る料理だから、味は保証するわよ」

 「すごい! 高級旅館の料理! なんて贅沢な」

 贅沢——。

 それは決して大袈裟な表現ではなかった。

 

 その後の夕食で出された料理は実に手の込んだ献立で、味付けから品数から器まで、本当に旅館の宿泊客ではないかと錯覚するようなものだった。

 ヒナギさんを通じて、あらかじめ僕のアレルゲンも伝えておいたので安心して食べられたことに加え、食後の胃腸の負担もまったく感じられなかった。飲み込んだ瞬間にスーッと体に吸収されていくような感じだ。それでいて満足感もある。

 ただ肉を出せばいい、高価な魚を出せばいいというような底の浅い高級感ではない。こういうのを本物の「贅」というのだろう。

 食事の前に済ませた風呂も、予想のはるか上をいっていた。

 てっきりこの家のバスルームをお借りするものと思っていたのだが、案内されたのは、「別館」の露天風呂だった。源泉掛け流しの温泉で、しかも貸切だ。食後に部屋に戻ったときも、まだまだポカポカしていたぐらいだから、よほど泉質がよいのだろう。

 なんという高待遇! こんなのが続くなら、これからの1ヶ月は薔薇色の快適ライフじゃないか! 女将さんの治療がツラくたって、お釣りがくる。

 けど……。

 待て待て。なんか、できすぎてないか?

 これも、フラグじゃないのか?

 「浮かれすぎないようにしなくちゃ……」

 自分に言い聞かせるよう独りごちると、僕は寝心地のいい布団に包まれながら、眠りに落ちた。



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