8話 依頼主
「そ、んな、はずは……」
依頼主が実の祖父だと明かされても、都季には信じ難い事実だった。
過去の記憶が脳裏を駆け巡る。その中に祖父との接点はほとんどない。あるのは両親の葬儀と、家を出る際に話した時くらいだ。
百澄の広い屋敷内で、せいぜい遠目にしか見ることのなかった祖父。都季の存在は快く思っていなかったはず。なぜ、今さら「保護」という依頼をしたのか。
頭の中が混乱して言葉にならない都季に変わり、ソファーに降り立った月神が訊ねる。
「あやつは都季が家を出ることを了承したはず。まだ二、三ヶ月程度だろうが、今になって連れ戻す理由はなんだ?」
「状況が変わったのですよ。身に覚えはあるはずですが?」
「…………」
誠司の言わんとしている事が何を指しているのか。それは当事者であった月神や都季がよく分かっている。
誠司は畳み掛けるように続けた。
「月守の負傷による環境の乱れ、局への襲撃および月神の器の盗難、月神の器の人体への定着。そして……裏支の離反と“子”の反逆」
「なんで、それを……」
「ふむ。どうやら、お主ら側のネズミが潜り込んでおったか」
述べられた件は、紫苑の怪我や局の襲撃以外は機密事項のはずだ。特に、一夜と悠の件に関しては局員の半数以上が知らされていないか、やや事実を変えた上で機密事項として伝えられている。
淡々と言った月神の表情に焦りは見られない。まるで、「ネズミ」の存在を以前から知っていたかのようだ。
誠司はネズミに関しては触れずに話を進めた。
「離反と反逆に関しては、知るのは我々の組織内でもごく一部です。公にする内容ではありませんからね」
「脅しておるつもりか?」
「脅す? とんでもない」
下手に断れば、この事実を公表する、と言っているとも取れる。
しかし、今の誠司にその気はないのか、肩を竦めて見せた。ただし、余裕な笑みは崩さないが。
「そんな野蛮な真似をするなら、もっと手っ取り早くストレートにやりますよ。例えば――」
「!」
「っ!?」
ガチャリ、と月神のいる方向から音がした。
都季は勢いよく月神へと顔を向ける。
まず、前を向いたままの月神が見えた。その側頭部には黒い拳銃が突きつけられており、それを持つ手から上へと視線を辿らせると、退席したはずの七海がいた。
「な、にを……」
「都季。落ちつけ」
「保護に同意し、こちらへ来ていただかなければ、月神の頭が飛びますよ」
「っ!」
ただでさえ混乱していた思考に焦りが加わり、正常な判断が下せない。
月神の声音はいつもどおり冷静だが、誠司の言葉は本気だ。落ちつこうにも落ちつけない。
「さぁ、どうします?」
「…………分か――」
「落ちつけと言うておろう、都季」
催促する誠司に頷きかけた都季を止めたのは、やや語調を強めた月神だった。
拳銃を突きつけられてなお冷静な月神は、小さく息を吐いてから七海を見る。
鋭く細められた目に七海が僅かにたじろいだ。
「我は半身ゆえこの程度では死なんし、こやつにその度胸はない。少しの威圧でこれだ」
「っ!」
「雲英」
「……申し訳ありません」
激昂しかけた七海を誠司が制する。
冷静さを一瞬で取り戻した七海は、眼鏡のブリッジを押し上げて謝罪した。再び月神を見据えた瞳に揺るぎはない。
そんな中、都季だけが未だに狼狽えていた。
「俺が、頷けばいいだけなんだよな? だから――」
「大丈夫だ。……最も、我がただの神使や幻妖であれば、それもまた違っただろうがな」
「う、うん?」
月神の意図が分からずに首を傾げた都季に、彼はやや呆れを滲ませながら言葉を続けた。
「総長が言うておっただろう? こやつらは依人だ。半身であろうとも、我を消せば、自らがどうなるかはよう知っておる」
「え……?」
「まさか、貴方が脅すとは思いませんでした」
正面へと視線を戻した月神に倣って、都季も誠司へと視線を移す。
すると、彼は目を伏せて小さく笑うと、肩を竦めてみせた。
「依人は人に非ず。その身の一部である幻妖の力は、幻妖界の状況に左右される。そして、何度も言うが、我は両界の均衡を保つ神であり、幻妖の実質的な長だ。消えれば均衡は崩れ、新たな神が生まれぬ限りは荒廃していく」
「え。そんなにすごかったの?」
「お主、我をなんだと思うておる。ただ均衡を保つだけならば、そこらの天秤を代用しておるわ!」
「……ふっ」
「雲英」
「申し訳ありません」
場の空気にそぐわない都季と月神のやり取りに、思わず七海が小さく吹き出した。
誠司に咎められてすぐに真顔に戻ったが、先ほどの激昂といい、彼は見かけによらず感情の振れ幅が大きいようだ。
誠司は七海を窘めると、淡々と話を続けた。
「依人が幻壊事件で暴走したり亡くなった者がいたように、それだけ均衡を保つ月神の存在価値は高い。しかし、今回については、我々も命を賭けてでも取り引きを成功させたいのです」
「どうしてそこまでするんですか? 俺を百澄に帰したところで、あなた方に何のメリットもないんじゃ……」
「いいえ。大いにあります」
穏やかだった誠司の目が鋭く細められ、思わず息を飲んだ。
彼はまた席を立つと、都季達が部屋に入ったときと同じように窓辺に立った。
「恥ずかしながら、特務自警機関は局に比べて新しく、最近になって改変をした組織です。その分、信用も信頼も局よりずっと低い。けれど、百澄は今なお巫女の家系として権力を持つ。一般人相手でも同じく」
今まで関わりがなかっただけに、それほどの権力を有しているとは思わなかった。だが、良家であるとは聞いていたため、すぐに納得はできた。
「そんな百澄からの依頼を完遂すれば、それ相応の箔がつく。特務の基盤を強固なものにするためには、必ずや完遂しなければなりません」
「でも、死んだら意味がないんじゃ……」
「言ったはずです。ここは人間側の組織であると。我々、依人が死んだところで、人間は生き残る。彼らに託すのは少々心許ないですが――」
――いずれ、幻妖だけでなく、依人もこの世界からなくすのであれば、同じ事ですから。
都季は、そう付け足した誠司に恐怖を感じた。同時に、なぜ、局と特務が協力して動けないのかも漸く合点がいく。
愕然とした都季を現実に引き戻したのは、誠司のひやかすような言葉だった。
「これは、ただあなたの『家出』に首を突っ込むだけの話ではないのです」
「っ! じゃあ、俺の同意を得ようなんて考えないで、さっさと百澄に連れ戻したら早いんじゃないんですか?」
「ええ。そうしたいところでしたよ。本来であれば」
「!」
「家出」と簡単に片付けられた苛立ちからぶっきらぼうに言えば、誠司からは憤りの混じる同意が返ってきた。
しかし、それならば尚更、こうして対話の場を設けられている意味が分からない。
困惑する都季に、誠司は小さく溜め息を吐いて肩を竦めた。
「あなたの同意を得られなければ、今回の依頼はどうやっても完遂できないのです」
「どうしてですか?」
「あなたの母親にしてやられた、といったところでしょうか」
「母さんが?」
「はい。我々、特務自警機関には、局と結んだ条約がいくつかあります」
似た仕事をするからこそ、揉めないように取り決めたお互いのルール。今回の依頼は、強行すればそれを破ってしまう。
窓の外を見ていた誠司はソファーに座り直し、さらに話を続けた。
「基本的に、我々は局が行っていない特体者の管理や、一般市民などから相談される幻妖界絡みの事件を担当しています。その中には、今回のように依人も関わることがあるのですよ」
「俺を、保護してほしいって?」
「ええ。ただ、面倒なことに、あなたの母親はある書面を遺していたのです」
「書面?」
思わず手元の書類を見る。それらしき書類は見当たらないが、何が引っ掛かっているのか。
次に続けられた誠司の言葉は、まるで法律問題かのような内容だった。
「強い特体者や依人の後見においては、通常とは若干異なります。まず、親権を持つ両親が亡くなると、局は書面を用意し、親権を持つに相応しい人物を探します。大抵は、血縁者である祖父母などに譲られことが多い。ただ、両親が事前に書面を作成し、後見を指定していた場合は、そちらが優先的に考慮されます」
指定された人物と局が話し合い、本当に後見人となるか、また、後見人に相応しいかを見極める。もし、指定された人物が拒否をしたり、後見人に足らない人物と判断された場合、後見は親族に回るのだ。
「あとは書面を保持する人物に委ねられます。最も、半年に一回は、局員による調査が入りますが」
「じゃあ、俺は……」
「ご両親は後見人を指定していました。ですが、本人が、やって来た百澄家ご当主を見て『彼らが引き取るのであれば』と手を引いたそうです。そのため、書面は無効となり、あなたの身柄は百澄家が引き取りました」
親族が引き取るのは、世間から見ても至って普通のことだ。
ふと、都季は指定された後見人も親族も後見を拒否したとき、一体誰が面倒を見るのかと思った。
すると、誠司は「両者ともダメであれば、新たな後見が見つかるまで局で保護されるのですよ」と丁寧に説明してくれた。さすがに放置されるわけではないようだ。
では、書面が無効になっているならば、何が問題なのか。
それは都季が「家を出る」と言ったことにあった。
「問題は、あなたが自らの意志で百澄を出たことです。それも、百澄ご当主が承認した上で。書面は後見人を指定した際に効果を発揮するだけでなく、本人の意志でも有効になるのですよ。それも、最優先として」
「それじゃあ、俺の意志に納得した時点で……」
「無効となったただの紙切れは、意味のある重要な物へと変わったのですよ」
両親が指定していた後見人が記された紙。
ふと、都季は両親の葬儀の際に迎えに行ったという人物を思い出した。
本人から書面の話は出ていないが、都季の面倒を見る予定だったとは聞いている。
「もしかして、俺の今の後見人って……茜さん……?」
「そのとおり」
都季の背後で扉が勢いよく開かれた。
驚いて振り向けば、そこには表情を引き締めた茜がいた。




