7話 特務自警機関
城木がハンドルを握り、走り出して少しすると、車体は瞬く間に風に包まれた。
その直後、都季達に襲いかかったのは、飛行機の離陸時と似た座席に押さえつけられる重力と浮遊感だった。
窓から外へと視線を向けると、暴風に包まれたせいで見えにくいが、先ほどまで走っていた道が下の方にある。
「と、飛んでる!?」
「城木先輩の運転は荒いので、本人の力を使って道を変えてもらっているんです」
「いや、道を変えるってレベルじゃないですよね」
慣れているのか、慶太は助手席から飛んでいる理由を説明してくれた。ただし、顔色は決して良くはないが。
道というものが存在しない場所を走っている……もとい、飛んでいるが、彼らの中ではこれが普通なのだろうか、と都季は内心で不安が過った。
(大丈夫かな……。いろんな意味で)
空飛ぶ車など、目撃者だけの問題に収まるのかという問題もあるだろう。
すると、肩にいる月神がぐったりとした様子で言う。
「都季。そろそろ我も辛いぞ……」
「え」
都季の肩に掴まっていた月神も、顔色が悪くなっている。どうやら、幻妖も乗り物で酔うようだ。
大丈夫か? と問おうとした時、伊吹がニヤリと笑んで声を上げた。
「着いたぜ!」
「へ!?」
「っ!」
ブレーキを踏んだのか、それとも風で無理やり動きを止めたのか、体が大きく前に傾いた。かと思いきや、慣性の法則に従って体が後ろに倒れかかる。
だが、背中が座席にぶつかるよりも早く、何処からともなく発生した水が車内を満たした。
「!?」
息ができない、と思ったのも一瞬で、水はすぐに跡形もなく消え去った。
服も座席も髪さえも濡れておらず、都季は確認のためぺたぺたと体を触る。肌に触れるのはどれも乾いた感触だ。
そんな都季の傍らで、七海が苦しみに顔を歪めながら怒鳴った。
「っ、の馬鹿が! 更科様に怪我をさせたらどうする!」
「く、首が……」
「…………」
気がつけば、車は地上に下りていた。どうやら、先ほどの水は車の停止と着地時の衝撃を和らげるのに一役買ったようだ。ただし、慶太は被害を受けているが。
ハンドルから手を離した伊吹は、運転中とは別人だった。鞭打ちを起こした慶太に頭を下げて謝罪の意を示すと、無表情のままで運転席を出て後部座席のドアを開いた。
「…………」
「えっと……降りるんですよね?」
「…………」
黙ったまま頷く伊吹を見て、同じく言葉数の少ない千早を思い出した。むしろ、千早のほうがまだ喋ってくれる上に表情の変化がある。
戸惑いながらも車から降りれば、目の前に大きな建物が聳えていた。
左右に伸びた西洋風の建物は、かなり昔からあるのか随分と古びて見える。赤茶のレンガが積み上げられた外壁は日に焼け、窓の縁を彩る白い枠の一部には蔦が伸びていた。階数は窓の数からして三階まではあるだろう。
幅広い階段の先にある出入り口も大きな両開きの扉で、それぞれに紋章が大きく描かれている。正面を向いて座った翼を持つライオンと、その前で交差する二振りの剣の紋章だ。
振り返れば、都季のいる玄関から門までの道もそれなりの距離があり、途中の庭木は丁寧に手入れをされている。
「ここが、特務自警機関です」
「……俺、今日帰れるのかな」
「は?」
唖然と眺めながら呟いた都季の言葉に、車から降りた七海は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
すぐに平静を取り戻すように咳払いをし、眼鏡のブリッジを指で押し上げながら答える。
「我々には分かりかねます。すべてはあなた様のお返事次第ですから」
「勿体ぶるのぅ」
都季の肩に乗った月神が不満を漏らす。
しかし、これで解放されるはずもなく、都季は先を行く七海について中に入った。
近代的な内装の局と違い、特務自警機関の内装は美術館かと思うほどに凝っていた。
入ってすぐは二階まで吹き抜けのホールになっており、正面に見える二階の廊下には三階への階段も見える。左右の壁に二階の廊下へ繋がる幅の広い階段があり、横に広がる建物の奥にはその階段下から左右に廊下が続いていた。二階部分は階段を上がった先から左右それぞれに廊下が伸びている。
関係者の姿は左手側にあるカウンターに二名と、時折、廊下を書類を抱えて歩く人がいる程度だ。
天井からはアンティーク調の照明がぶら下がり、磨かれた大理石の床がその光を反射する。
そんな中、ホールの中央に聳える大きな電光パネルだけが現代的で、普段、別の場所で見るよりも異様な雰囲気だった。
パネルに映し出されているのは町の地図だ。何ヵ所かは赤や黄、青の点が光っており、中には動いている点もある。
(なんだあれ?)
「それ、事件が起こっている箇所なんです」
「事件?」
階段に向かう七海の後ろで足を止めた都季に、さらに後ろにいた慶太が手短に説明をした。
首を傾げる都季の肩で月神が溜め息を吐く。その理由は、笑顔で言った慶太の答えにあった。
「依人や幻獣関連の事件です」
「へぇー。じゃあ、特務自警機関も、局と同じような仕事なんですね」
「だから厄介なのだ」
「厄介って?」
「過程が似ていても、最終的な目的が違えば共には歩めん。だからこそ、分裂が起こるのだ」
「分裂?」
「さっさと話を終わらせて帰るぞ」
月神がぼやいた言葉の意味を聞き返すも、彼はまた溜め息を吐いてからはぐらかした。
都季は先を行く七海に続いて幅の広い階段で二階まで上り、吹き抜けに接した廊下の中央にある階段をさらに上る。途中の踊り場にはステンドグラスの大きな窓があり、色がついていない所からは建物の裏にあるグラウンドが見えた。
階段を上った先はまた左右に廊下が伸びていたが、七海は正面の部屋の扉で足を止める。
人が二人並んでも通れそうなほど大きな扉は、室内にいる人物の威圧感をそのまま醸し出しているかのように重々しい雰囲気だった。
(そういえば、『総長』って言ってなかったか……?)
「帰りたい」
「ちょっ、しっかりしろよ」
都季が恐いものを想像して顔を顰めたのも一瞬で、肩でだれる月神の姿勢をすぐに正させた。
そんな二人をよそに、七海は扉を三回ノックする。
「特殊精鋭部隊、雲英七海です。更科都季様をお連れしました」
七海の姿勢がさらに整った。
返事はなかったが、七海は「失礼します」と一声かけてから扉を開けた。そして、自らの体で扉を押さえながら後ろにいる都季に中へ入るよう視線で促す。
部屋は、都季が思い描いていたものよりも落ちついた内装だった。
壁際に配置された大きな本棚にはファイルや本が詰まっており、それ以外にあるのは正面の大きな窓の手前に置かれたデスクと、さらにその手前にある応対用のソファーとテーブルだけだ。
広い室内に漂う空気は澄んでいるが重く、都季は戸惑いながらも部屋に足を踏み入れた。
「し、失礼します……」
「到着はもう少し遅いかと思いましたが、意外と早かったですね」
その言葉は、都季と七海のどちらに掛けられた言葉なのかは分からなかった。
落ちついた声の主は、大きな窓辺に立って外を眺める二十代半ばくらいの青年だ。
襟足が肩につくくらいの黒髪に、声音と同じく落ちつきのある深緑の目。整った顔立ちは、どこかで見た気がする。
(どこかで会ったような……?)
初対面のはずだが、なぜか既視感がある。もしかすると、茜と同じように両親の葬儀に来ていたのかもしれない。
ふと、青年が仕事をしているであろう大きな机を見れば、数枚の書類が置かれていた。
しかし、内容までは見ることができず、思考も疲労が滲む慶太の言葉によって途切れる。
「城木先輩が運転されたんです……」
「……なるほど。それはご苦労様でした。下がっていいですよ。雲英は岸原の手当てをお願いします」
「畏まりました」
「お手数をおかけします……」
一瞬だったが、青年の表情が顰められた。伊吹の運転の荒さは特務内では有名だからだ。
青年は優しい口調で労いの言葉をかけてから、七海に新たな指示を出す。さらに、彼はよりにもよって伊吹に頼んではいけないことを口にした。
「あと、城木は学園に、桜庭を迎えに行ってください」
「…………」
「「え」」
「ふっ」
静かに頷いた伊吹に反し、七海と慶太が声を揃える。月神は鼻で笑った。
二人は物言いたげだったが、やはり彼には逆らえないせいか複雑な表情で伊吹と共に部屋を後にする。
残された都季に、青年はソファーに座るように促した。
「どうぞ、お掛けください」
「……失礼します」
ソファーに座れば、青年は既に用意されていたティーポットからカップに紅茶を注ぎ、都季の前に出した。まだ用意されて間もないのか、カップに注がれた紅茶からは湯気が立っている。
青年が向かいに座った。
だが、都季は真っ直ぐに見ることができず、青年の胸元辺りや周りへと視線をさ迷わせていた。
「初めまして。私は特務自警機関、総長の九条誠司と申します。以後、お見知りおきを――更科様?」
「は、はい」
戸惑う都季を、青年、誠司は挑戦的な笑みで見た。口調は丁寧で柔らかいが、本人が持つオーラは「総長」という肩書きを持つこともあってか、どこか威圧感がある。油断をすれば、すぐに足元を掬われそうな。
せめて、連れてこられたわけを訊きたくても、口が思うように動かない。
蛇に睨まれた蛙のように怯みきった都季に反して、誠司は都季の肩にいる月神を見て目を見張った。
「おや? 普段のお姿と違っていたせいで、気づくのが遅れてしまいました。お久しぶりですね、月神様」
「知り合いなのか?」
「少しな。挨拶はよい。手短に用件を言え」
月神が関わったせいか、すんなりと声が出た。目の前の青年は相変わらず威圧感を保ったままだが、先ほどよりは強く感じない。
やや眉間に皺を寄せた月神だったが、すぐにそれを消して先を促した。
小さく口元に笑みを浮かべた青年は、「では、簡潔に」と紅茶を一口飲んでから言う。
「貴方を、我々で保護させていただきたいのです」
「保護?」
「はい」
保護をされるような覚えはなく、都季は単語を復唱して首を傾げた。
にっこりと笑んだ誠司は、やはりどこかで見たことがある。
「月神様は幻妖界の長であり、両世界のバランスを保つ存在。それを持つということは、貴方には常に危険が降り注ぐ。そこで、貴方から月神様が離れるまでは、我々が保護をしようということです」
「そんなことを言われても……」
「困りますか?」
「生活もありますし、それに……魁達、十二生肖の人達もいますから」
「不自由はさせません。月神様の主たる貴方に何かあっては大変ですからね」
誠司の対応は至って真摯だが、だからこそ、底知れない恐怖を感じる。
そもそも、保護と銘打ってはいないが、似たような護衛ならば魁達がいるのだ。保護される必要があるのだろうか? と、疑問に思った。
続けた誠司の言葉は、その疑問を強めるものだった。
「それに、仰られた十二生肖より、我々のほうが守りは固いかと。現に、十二生肖があの場に三人もいたというのに、貴方はここにいる。彼らは護衛と言いながら、貴方のそばを離れることもよくあるようですね」
(魁達じゃ力不足だから保護したいって言うのか?)
普通に考えればそうなる。ただ、彼の場合はまだ何かありそうだ、と都季は様子を窺うように誠司を見た。当然ながら読むことはできないが、簡単に気を許してはいけない相手のはずだ。
すると、都季の肩で腕を組んでいた月神が誠司の言葉に不機嫌を露にした。
「都季には我もついておる。それを蔑ろにされては困る」
「先にも申し上げましたが、月神様がいるが故に、彼に危険が及んでいるのも事実。ならば、こちらで厳重に保護及び管理いたしますよ」
「笑止。お主らでは手に余るわ」
「ええ、『以前の我々』であれば、人間を幻妖から守るにも一苦労したでしょう。だからこそ、私は組織を根本から変えたのですよ」
「……なるほど。どうりで、以前と比べておかしいわけだ」
「え? ま、待って。どういうこと?」
ピリピリとした空気のまま二人で進む話を、慌てて都季が間に入って止めた。
誠司は月神に向けていた鋭い表情を和らげて都季を見る。
「特務自警機関は、昔は『陰陽寮』とも呼ばれ、妖や怨霊といった類いを祓う組織でした。その構成は知識があるだけの普通の人間か特体者が大半。そして、時代の流れと共に陰陽寮は廃止されましたが、裏では形を変えて残っていました」
それが、現在の特務自警機関だ。
業務内容は、幻妖や依人関連の事件の対応が主で、局とは無用な小競り合いをしないようにお互いに取り決めをしている。
ただ、身内のことを言うにしても、誠司が口にした「普通の人間」という言葉はやや蔑んだ感じがした。
「局と似た内容なら、一緒にはできないんですか?」
「我々は基本的に幻妖の保護には当たりません。もちろん、使えるものであれば話は別ですが」
「な……!?」
「我々の基本理念は『人間界の平穏』です。外敵の侵入には厳重な対処も必要。『共存』が目的のそちらとは似て非なるもの。貴方がここへ来られる際、そちらの“戌”達が吠えたのはそのせいです」
まるで、一部始終を見ていたかのような言い方だ。
ふと、特務が昔は一般人や特体者で構成されており、今はそれを変えているならばどういう状態なのかと気になった。
そこで思い浮かんだのが、車を浮かせた伊吹と、突然、発生した水だ。あれは、一般人や特体者が扱えるようなものではない。
誠司は勘づいた都季の思考を見抜いたかのように言葉を続ける。
「現在、特務自警機関もその半数を依人で埋めています」
「依人で?」
「はい。対幻妖、破綻組のために。目には目を、歯には歯を。幻妖世界には幻妖世界に携わる者を。貴方をここへお連れした者達も依人ですよ。あの水は、雲英の『ウンディーネ』の力によるものです」
ウンディーネとは、自然界を構成するといわれる四大精霊のひとりだ。水を司る精霊で、その姿は美しい女性とされている。また、伊吹が言ったように「水精」とも呼ばれている。
都季は、別称で呼ばれた際に強く言い返した七海を思い出した。もしかすると、彼は自身の力があまり好きではないのかもしれない。
唖然としていた都季を見た月神は、やや呆れた様子で溜め息を吐いた。
「局は九割方依人だ。珍しくはないだろう?」
「いや、まぁ、そうだけど……」
「それで? お主が好き好んで、『幻妖の長』たる我を持つ都季を保護に踏み切ろうとしているようには思えん。誰に頼まれた?」
月神が本題に戻す。それも、今まで出されていなかった部分をついて。
誠司は小さく笑むと、一度ソファーから立ち、机に置いていた数枚の書類を手に取って戻ってくる。
その書類に嫌な予感がした。
「『百澄』の名はご存知ですよね?」
「……それが、何か?」
心臓が大きく跳ねた。肩にいる月神も怪訝な顔をしている。
震えそうな声を無理やり落ちつかせながら問うも、涼しい顔をした誠司はすぐに答えを出さなかった。
「貴方をここへお呼びしたのは、『ある方』から『貴方を保護してほしい』とのご依頼があったからです」
「『ある方』?」
「ええ。貴方もよくご存知のはずです」
都季の目の前に書類が置かれる。
そこには、魁達と一緒にいる都季の写真が一枚と、産まれてから今までの経歴が書かれている書類が数枚。手に取って見れば、二枚目以降にも都季に関わった人物の名前や詳細があり、その内の一つ、「依頼主」と書かれた箇所に目を止めて息を飲んだ。
誠司へと勢いよく視線を向ければ、彼は口元に笑みを浮かべて告げる。
「百澄家ご当主、『百澄宗一郎』殿。貴方の、『実のお祖父様』からのご依頼ですよ」




