9話 後見人
茜が訪れることは、都季はもちろん、誠司も聞いていない。
それでも誠司に驚きの様子が見られないのは、先ほど窓の外を見た際、茜の到着に気づいたからだ。
七海は何事もなかったかのように、月神に突きつけていた拳銃を懐に仕舞った。ここで下手に刺激をしては厄介になる。
しかし、茜の視界にはしっかりと入っており、怪訝な顔をして七海を睨んだ。
「おい、そこの眼鏡。今、何を――」
「お、お待ちください! 困ります!」
明確な敵意を剥き出しにした茜に、七海も体の向きを変えて応戦態勢に入る。
だが、慌てて部屋に飛び込んできた慶太が茜の前に立ちはだかり、緊迫した空気はあっさりと崩された。
「岸原、下がりなさい。問題ありませんよ」
「やれやれ。ここも騒々しいのぅ」
誠司に制された慶太は困惑しつつ、「失礼しました」と言って入口の横まで下がる。部屋から出なかったのは、何かあったときに対応するためだ。
未だピリピリとした空気の中、誠司は小さく息を吐いて言う。
「『依人及び特体者保護責任委託書』。それを、彼女は十二生肖の“亥”である亥野茜さんに渡しているのですよ」
「あ、茜さんに!?」
茜は口を開かない。ただ、真っ直ぐに誠司を見据えていた。
開いた口が塞がらないとはまさにこのことか。
唖然とする都季を見て、誠司はさらに続けた。
「ええ。なので、葬儀の後、引き取るはずだったとお聞きしませんでしたか?」
「聞き、ました。茜さんから。でも、そんな書面まであるなんて知りませんでした」
「書面がある手前、引き取りに行く行為は正解です。ただ……まさか、あの場で百澄が出てくるとは、さすがの彼女も思ってもみなかったでしょうね」
「…………」
一瞬だけだったが、茜の眉間に皺が寄った。それ以上は何も言うなとでも言うかのように。
都季は都季で、今の事態を頭で整理できると視線を落とした。
「ご自分の身が、たった一枚の紙でたらい回しにされているようで、嫌ですか?」
「……少し。でも、依人や特体者は、それだけ危険が多いわけですし、仕方がないのかもしれません」
家を出ればある程度は自由だと思っていたが、実際はそうではなかった。仕方がないことだが、どこか腑に落ちない。
すると、誠司は満足したように口元に笑みを浮かべた。
「なかなか、理解の良い方のようですね。では、それを終わりにしましょう」
「へ?」
意気揚々と述べた誠司は、今までで一番楽しげだ。駆け引きを繰り広げた先の、最後の山場のように。
「あなた自身が、委託書を無効にするのです」
「お、俺が?」
「はい。先も言ったように、委託書は本人の意志が最優先です。満十八歳以上であれば、場合によっては委託書の破棄ができるようになりますが……あなたはまだ十六になる年ですからね。あくまでも無効にするだけです」
無効と破棄の違いが分からなかったが、疑問を察した誠司が「無効は、書面に書かれた人とは別に保護責任者は必要な状態のままです。破棄をすれば、自立して生活していく、という状態になります」と説明をしてくれた。
委託書が無効になれば、保護責任者として名乗りを上げるのは百澄だ。それも、都季が百澄からの保護の話を聞いた上で無効にする以上、百澄の申し出は断れない。
(依頼人を明かしたのは、そういうことか……)
「百澄があなたを受け入れる態勢は整っています。ただ、あなたが一言、『戻る』と言ってくだされば、委託書は再びただの紙切れへと変貌します」
「でも……」
脳裏にこびりついた記憶は良いものではない。唯一、一人だけ優しく接してくれた人はいたが、その人は都季が家を出る二年前から姿を見せなくなった。
月神への危機がなくなったことも相まって、落ちつけない場所へまた戻るのかと思うと頷けない。
「窮屈な、辛い場所でしたか?」
「…………」
「百澄は後悔していますよ。あの日、頷くのではなかった、と」
「そんなの、自分達の名誉が傷つきたくないからじゃ……!」
「否定はしかねますが、肯定もできません。言ったでしょう? 『後悔している』と」
自分達が体裁ばかりを気にして行ったことで、大事な娘を失い、さらには都季の居場所を奪ってしまった。そう後悔しているならば、以前とは変わっているのかもしれない。
それでも、完全に信用はできないのだ。
言葉を失った都季を一瞥した茜は、深い溜め息を吐いてからまた誠司を見据えた。
「総長殿。もういいか? これ以上の彼との面談は拘束と見なすが」
「……分かりました。今日はここまでにしましょう。ただ、我々からも後見人たるあなたの『審査』を要求します」
「お好きにどうぞ。……行くぞ、更科」
「えっ? あ。は、はい!」
誠司が鋭く茜を見て言うも、彼女は怯む様子もなく言い返して踵を返す。
名前を呼ばれて我に返った都季は、慌ててその後に続いた。
「おい、都季。我を忘れるでない」
「ご、ごめ――」
不満を漏らす月神が都季の肩まで飛べば、待っていた茜によって扉が閉められる。
そこで漸く、入口近くで待機していた慶太は大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
「凄まじい霊力でしたね」
「阿呆。あれは神だ。俺達がどうこうできる相手ではないだろう」
「……七海先輩。一人称が素になっています。総長はいらっしゃいますよ?」
溜め息混じりに言った七海も緊張していたらしい。幾分か砕けた雰囲気になったものの、ここは総長である誠司のいる部屋だ。
慶太の指摘ではっとした七海は、すぐに姿勢を正すと誠司に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。以後、気をつけます」
「構いませんよ。慣れ親しんだ者の前でくらいは楽にしておきなさい」
誠司もまた、疲れたように息を吐いた。
普段から隙を見せない誠司の珍しい一面に、七海と慶太は顔を見合わせて目を瞬かせる。
それだけ、月神の存在感は依人を圧倒していたのだ。
「あんなのと常に一緒にいるなんて、更科様はやっぱり巫女様の末裔ですね」
「……そうだな」
「こちらも打てる手は打ちました。あとは、亥野茜、更科都季の身辺調査に移ります。他の者達にも伝えてください。もちろん、特殊精鋭部隊のみで」
「了解しました」
返事と共に一礼をした七海に合わせ、慶太も一礼した。
二人が退室した後、誠司はソファーの背凭れに体を預けて右腕を目頭に乗せる。仕事は片づいていないが、全身が重く、ソファーから立つのも億劫だった。思いの外、精神を削られたようだ。
閉じた瞼に浮かんだ人の姿に、振り払ったはずの胸の痛みがまた沸き起こった。
「できることなら、俺も関わりたくはないのだが……」
局に関われば、必然的に『あの人』は出てくるだろう。
しかし、これも避けては通れぬ道だ。
誠司は感情を押し殺すように大きく深呼吸をしてから、ソファーを立って机に戻った。




