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38.偉人

 屋敷三階の図書館は、相変わらず悪趣味なくらい広かった。


 パメラとクラリスが談笑している頃、別の本棚にはスカイの姿もあった。


  ***


 壁一面の本棚。王国史、戦史、軍事理論、古典文学、漫画、料理本、はてはポルノ雑誌まで。そして誰が置いたのか分からない「第666特別大隊史」なる本まで並んでいる。


「結局怖くて読めてないんだよな。これ」


 手に取った「第666特別大隊史」を結局開かず、そのまま本棚に戻す。何を書いてあるか、怖い。


 第三者視点で自身の罪を断罪されるのを恐れる様な気持ちが、心の底にあるのかもしれない。


「第666特別大隊史」を戻した俺は、一角で、古びた新聞の束を見つけた。


「……なんだこれ」


 紙面は黄ばんでいる。日付は王国歴199年4月。部隊結成からしばらくたった時点。反体制系の新聞だ。紙名は『自由への船出』。


 嫌な予感がした。


 こういう時の嫌な予感は、たいてい当たる。戦場でも、箱庭でも、人生でもだ。


 俺は新聞を開いた。


 そして、すぐに閉じた。


「……」


 もう一度開いた。


 見出しは、俺の視界の中央に堂々と鎮座していた。


『戦場で女遊び! 少女兵を侍らす庶子王子、まさに現代のヘリオガバルス!』


「……燃やすか」


「燃やさないでください」


 背後から声がした。


 振り向かなくても分かる。エリザベスだった。眼鏡の奥のピンク色の瞳は相変わらず冷静そのものだ。


「エリザベス。この新聞は他人の名誉を棄損している。こういうのは焚書しなきゃダメだ」


「何をそんなに怒ってるのかと思えば、反体制紙ですね。……ああ、これが初出でしたか。殿下のヘリオガバルス呼び」


「初出とか言うな。学術用語みたいに扱うな」


 ヘリオガバルス


 俺の戦場での異名の一つだ。666の二つ名である「悪魔の小鳥」の方は俺もまあまあ気に入っているが、こちらは正直面白くない。


 俺はもう一度紙面を見た。


 記事はそれはもう、悪意の塊だった。


 ――王家は戦場に少女を送り込み、庶子王子はその中心で退廃的な私兵を作っている。女のような美貌を持つ少年が、少女兵たちを侍らせ、王国の末期的腐敗を象徴している。さながら古代ローマの退廃皇帝ヘリオガバルスの再来である。


 だいたいそんな内容だ。


 ムカつく。


 腹が立つが、完全なデマとして笑い飛ばせないのが、さらに腹立つ


「……女遊びじゃない」


「はい」


「戦場で遊んでたわけじゃない」


「はい」


「俺は、あいつらを捨ててない」


 自分で言って、少し声が低くなった。


 新聞の紙面が、やけに遠く見える。


 俺が一番嫌いなもの。女を弄んで、飽きたら捨てる男。母を苦しめた父王の影。自分が絶対になりたくなかったもの。


 この記事はそこを殴ってくる。


 お前も同じだろう、と。


 王族の権力で少女たちを侍らせる、退廃した少年だろう、と。


「……違うんだよ」


 俺は呟いた。エリザベスは茶化さなかった。珍しく。


「分かっています」


「本当に分かってるのか?」


「少なくとも、殿下が遊びで誰かを傍に置いたわけではないことは」


「……」


「ただし外から見たら、女顔の王族庶子が少女兵ばかりの大隊を率いている。しかも一部とは実際に深い関係がある。悪意ある新聞にとって、これほど書きやすい題材はありません」


「正論は慰めにはならん」


「慰めてほしいんですか?」


「少しは」


「では、この記事を書いた記者は文章は上手いですが、性格は最悪です」


「それは慰めなのか?」


「かなり」


 俺は新聞を机に置いた。


 ヘリオガバルス。


 古代ローマの少年皇帝。退廃、異教、淫蕩、悪評、近衛隊の離反……。寝物語で母からその名を聞かされた時は、なんとまぁ変な奴がいたものだと思っていた。


 まさか自分がその名で呼ばれるとは思わないじゃん。


「よりによってヘリオガバルス……」


「反体制左派新聞らしい、教養を見せびらかした嫌味ですね」


「インテリぶりやがってよ」


「殿下も今、古代ローマ知識で怒っていますよ」


「それは違う。俺は被害者だ」


 俺はもう一度見出しを睨んだ。


 戦場で女遊び。少女兵を侍らす庶子王子。現代のヘリオガバルス。


 記事を書いた奴は、きっと俺を知らない。レベッカのことも、アリスのことも、マルタのことも、オードリーのことも、クリスティーナのことも、マーガレット達死んだ連中の名前も知らない。


 知らずに書いた。


 知らないから書けた。


 いや、知っていても書いたかもしれない。ブン屋とはそういうものだ。


「でも、これが後に敵味方へ広まったわけか」


「ええ。最初は侮辱だったものが、ブラッディ・ダラ以降は恐怖名になりました。反政府軍の兵士の中には、ヘリオガバルスが来る!と聞いただけで敵前逃亡するものもいたとか……」


「嬉しくない」


「でしょうね」


「俺にはもっとこう、あるだろ。戦術家っぽい異名が」


「例えば?」


 俺は、胸を張った


「義経」


「また始まった」


「義経がいい」


「無茶です。蔑称として敵軍が使うにはかっこよすぎますって……」


「少数精鋭で奇襲と機動戦に長けた悲劇の美少年武将だぞ。完全に俺だろ」


「自分で美少年と言うの、事実でもやめた方がいいですよ」


「そこじゃない!」

 

 エリザベスは呆れた顔で新聞を畳んだ。


「現場では、短くて通じる呼び名が勝ちます」


「ヘリオガバルスは短くないだろ。義経の方が短いじゃん!」


「でも一度広まったものは強いです」


「俺の希望は?」


「ありません」


 俺は椅子の背にもたれた。


 新聞の見出しがまだ目に残っている。腹は立つ。刺さる。嫌な名前だ。


 だが、それでも。


 敵が悪意でつけた名前が、いつの間にか恐怖の名前になったというのなら、それはそれで利用価値はあったのかもしれない。


 ――そう考えかけて、やめた。やっぱり嫌なものは嫌だ。


「……義経がいい」


「はいはい」


「義経がいい! 義経が! よーしーつーねー!」


「殿下、図書館で駄々をこねないでください」


 その時、本棚の陰から、かすかにペンが走る音がした。


 俺とエリザベスは同時に振り向いた。


 そこにはユリシアがいた。手にはノート。


「……ユリシア?」


「今の、語録に残します。『義経!義経!よーしーつーねー!』」


「いらんもの残すな!」


 図書館に俺の叫びが響いた。

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