39.異名
箱庭の午後は、相変わらず妙に静かだった。
屋敷の裏手にある射撃場。といっても、実際に敵を撃つ場所ではない。
ネクロディアの妙な配慮により、人に向けて撃とうとすれば銃は詰まるが、的や空き缶や木板相手なら普通に撃てる。つまり、戦争が終わった後の隊員たちに残された、ほとんど唯一の「まともな銃の使い道」だった。
その一角で、ヴァルチャー隊のケイティ・ブラックウィドウは、手入れしたばかりのM21狙撃銃を抱えたまま、じっと遠くの的を見つめていた。
引き金を引く。標的にした案山子の頭に弾が命中する。
「一発目命中」
隣では、一番目の相棒のアリソン・ヴェルクートが、双眼鏡を手に観測をしている。
「二発目命中」
「三発目命中!」
連続で頭に当てて、アリソンは興奮気味にそれを見ていたが、やがてケイティは引き金をひくのを中断した。
「ケイティ、撃たないの? 弾詰まり?」
「……アリソン」
「うん?」
ケイティは真剣な顔で言った。
「二つ名ってさ、かっこいいよね」
「どしたん藪から棒に」
アリソンは双眼鏡から目を離して、隣の相棒を見た。
ケイティは胸の前で拳を握る。
「いやさ、ヴァルチャー隊の面々、大体二つ名持ちじゃん」
「あー」
アリソンは指を折る。
「ジュリアは『666大隊の至宝』。シモーヌは『死の芸術家』。テレサは『ハートのエース』。パメラは『名探偵』。ルーマーとスーは『ツインマスタング』。クロエは『衛生兵ハンター』」
「……」
ケイティは苦悶の表情を浮かべた。
「何その顔」
「うらやましい!!」
「言うと思った」
アリソンは深いため息をつく。
「何よ皆してカッコいい二つ名持ってさぁ! 私もああいうの欲しい欲しい! 私だって腕には自信あるのに!」
「一応ケイティは最年長組なんだから落ち着きなよ……」
「最年長組だからこそ欲しいの! 隊で一番お姉さんなのに何もないの、なんか地味じゃん!」
「戦場で地味って言われるの、むしろ良いことだと思うけどね」
「嫌だ! 私も欲しい! こう、戦場で敵に噂される感じのやつ!」
ケイティは目を輝かせて立ち上がる。M21狙撃銃を手にして、夕方の光を背負う姿だけなら、確かに絵になっていた。
「例えば?」
アリソンがやや投げやりに聞く。
「白い死神とか」
「ヘイヘと同じ名前名乗るとは大きく出たなぁ……名前負けどころじゃない」
「じゃあ赤い彗星!」
「パクリじゃん」
「閃光のケイティ!」
「それは射殺エンドつながりのブラックジョーク……?」
「ヘリオガバルス!」
「それは殿下やないかい!」
「うがあああああ! 難しい! 二つ名難しい!」
ケイティは頭を抱えてしゃがみこんだ。
狙撃兵としては貴重な常識人。ヴァルチャー隊の中では、むしろその「普通さ」こそが個性だった。だが、本人はそれを全くありがたがっていない。
ジュリアのように五百人以上を撃ち抜いたわけでもない。
テレサのように心臓狙いで恐れられたわけでもない。
パメラのように敵狙撃兵だけを狩って名探偵と呼ばれたわけでもない。
マスタング姉妹のように暗殺任務を多数成功させたわけでもない。
クロエのように衛生兵ばかり好んで射殺して悪名を轟かせたわけでもない。
スカイのように反体制派の新聞に名指しで批判されたわけでもない。
彼女の戦果は12。
少ないわけではない。普通の狙撃兵なら十分すぎる数字だ。だが、ヴァルチャー隊のスコアがインフレしすぎているのだ。
「そもそもさ」
アリソンは弾倉に次の銃弾を込めながら言った。
「二つ名って自分で考えるとだいたい痛いんだよ。基本的には敵や味方が勝手につけるものだから。『砂漠の狐』とか『ソロモンの悪夢』とか」
「じゃあアリソンつけて」
「えぇ……」
「箱庭には敵いないし! 早く! ハリー! ハリー! ハリー!」
「うるさいなあ……」
アリソンは腕を組み、ケイティを上から下まで眺めた。
整った顔立ち。侯爵家の六女らしい品の良さ。狙撃兵としては控えめだが、堅実な腕前。常識人。なのにスカイに関してはわりとガチ恋。しかも、常識人ゆえに自分の感情を持て余している。
「……二つ名欲しがり女」
「シンプルに悪口!?」
「じゃあ『二つ名未所持のケイティ』」
「未所持を強調しないで!」
「『ヴァルチャー隊の良心』」
その言葉に、ケイティはぴたりと止まった。
「……それ、ちょっと悪くないかも」
「いや、褒め言葉ではあるけど二つ名としては地味じゃない?」
「地味だけど……良心……良心かぁ……」
ケイティは顎に手を当てる。
その時、背後から声がした。
「何? 面白い話してるじゃん」
「クロエ! スザンナ!」
振り返ると、そこにはクロエ・ミラージュとスザンナ・セイランがいた。銃を担いでいて、どうやら彼女達も射撃に来たらしい。ちょっと喫煙所行くくらいのノリで射撃場に来るのが666隊員である。
クロエはにやりと笑った。
「面白い話をしてるじゃない。二つ名会議か」
スザンナも興味を示した。
「ケイティが自分にもカッコいい二つ名が欲しいって」
「面白い。良い名を考えてやろうじゃない」
「スザンナが考えるの〜?絶対変な二つ名つけるじゃん」
「信用無いなあ。一応あんたの最後の相棒よ、あたしゃ」
スザンナはケイティを観察するように見つめた。
「ふむ。侯爵令嬢。王都愛。常識人。スコアは控えめだが、最後まで戦った。スカイ殿下に惚れているが、同時に『この人も結構やばい』と冷静に見ていた」
「そ、そこまで言わなくていいから! 殿下の事は尊敬出来る上官としか……」
「嘘つけ。バレバレなんだよ、あんた。ただでさえ殿下狙ってる子多いんだから、うだうだしてると、ますます出遅れるよ?」
「ぐっ」
「現に殿下、今25股中だし」
「ファッ?!」
思わず、素っ頓狂な声を出すケイティ。
「えっ、えっ、えっ……八股ってのは箱庭初日にカミングアウトしてたけど、えっ、何? 25股って。いつの間に増えてたの?!」
「そりゃ、あの人無類の女好きだし。そりゃ時間経過と共に666隊員食いまくるでしょ。戦況は常に流動的なのさ」
「待って待って待って。サラッと衝撃情報出さないで?!」
混乱するケイティを尻目に、スザンナは少し悩むと口を開いた。
「……『黒蜘蛛』」
「おお……?」
アリソンが少し感心した顔になる。
ケイティも一瞬だけ目を輝かせたが、すぐに眉をひそめた。
「スザンナが考えたにしてはかっこいいけど、なんか悪役っぽくない?」
「名前がブラックウィドウなんだから仕方ないでしょ」
「それはそうだけど!」
クロエが手を挙げる。
「じゃあ『王都の黒蜘蛛』!」
「お、悪くない」
アリソンが頷く。ケイティも少し考える。
「……王都の黒蜘蛛。うん。まあまあ。でもちょっと毒殺しそう」
「蜘蛛だからね」
「私は狙撃兵!」
「では……『ラストスナイパー』とか?」
スザンナの出した候補に、その場が少し静かになった。
王都攻防戦。
その言葉は、今でも重い。
ケイティは故郷だった王都を愛していた。だから志願した。だから最後まで戦った。守りたかった街は燃え、自分も撤退命令を拒絶し、最後まで戦い、死んだ。
ケイティは目を伏せる。
「……それは」
少しだけ、声が揺れた。
「ちょっと、重すぎるかな」
「ごめんなさい」
「……やめなよ?! 自分の傷口に自分で塩塗り込むの!」
クロエはあえて明るく言った。この一瞬で周囲がしっとりしたのを振り払う様に。
「ううん。悪くはないの。でも……今つけるには、まだ痛い」
アリソンが何も言わず、そっと隣に立った。
しばらく風だけが吹いた。鳥も虫もいない、箱庭の静かな風。
沈黙を破ったのは、アリソンだった。
「じゃあさ」
「うん?」
「『迷い蜘蛛』」
ケイティは顔を上げる。
「迷い?」
「うん。常識人で、でも戦場に飲まれて、殿下のことも好きで、でも完全には信者になりきれなくて。王都も守れなかったし、今も二つ名欲しがってて、殿下の女癖の悪さに「こいつ好きでいてホントに大丈夫か……?」って思ってる」
「最後余計じゃない?」
「事実でしょ」
ケイティは「迷い蜘蛛」と何度か反芻すると、一応満足はした様だった。
「……ま、悪い響きじゃない」
「お気に召しました? お嬢様」
「もう少しかっこいい二つ名にも、やっぱりあこがれるけど」
「贅沢な奴め」
ケイティは再び銃を構えると再び引き金を引いた。標的の案山子の眉間に穴が空く。
「腕は良いのに、何で埋もれてたかねぇ」
アリソンの声にケイティは笑みを浮かべつつ返した。
「人を撃つのは迷うの。迷いが無ければテレサと並ぶくらいにはなってる」
「負け惜しみだぁ」
クロエは苦笑したが、それにはあえて乗らなかった。
「……ところで、スザンナ」
「何?」
「…………25股ってマジ? 666式ジョークじゃなくて?」
「レベッカ、アリス、マルタ、フローラ、エレナ、マリー、アレクサンドラ、グレイシーの既存の8人プラス」
「プラス……」
「箱庭来てから手を出したのがほぼ確定してるのが、マーガレット、ポーリン、ウィラ、ヴァイオレット、ブリジット、ジャーネイル、ライザ、キャンディス、アンドレア、ジェイド、リーゲル、エデン、アビー、ローズ、マリッサ、オパール、ベアトリス。17+8で25」
「…………」
「わ、不細工な顔になった」
スザンナの無慈悲なカミングアウトに、ケイティは変な顔になった。人間、わけの分からない事情に遭遇すると顔の筋が不思議な動きをするらしい。
「これ、私、とんでもない人好きになってしまったのでは……?」
「今更。むしろガチ恋勢のくせに殿下の女癖考慮してないケイティが悪いまである」
「ヘリオガバルス呼ばわりも残当。むしろ覚悟してなかったのか、こういう展開……」
「けど残念。箱庭には他に男は居ない。殿下にいかずに恋人作りたいなら百合ルートしか無いよ」
口々に言うアリソン、クロエ、スザンナ。
「……」
迷いを振り払う様に、ケイティは案山子に向けて銃を乱射した。




