35.変異
屋敷の一室。
夜もだいぶ更けた頃、普段は簡易な打ち合わせや休憩に使われている小部屋には、三人の少女が集まっていた。
窓の外は静かだ。箱庭の夜はいつも穏やかで、戦場のような銃声も怒号もない。だが、その静けさがかえって疲労を際立たせることもある。
部屋の中央に置かれたソファへ、アレクサンドラ・サンダーボルトはぐったりと身を沈めた。背もたれに体重を預け、天井を仰ぎながら、一言だけ呟く。
「……疲れた」
その一言に、同席していたグレイシー・フロッガーが、いかにも面白がるような顔で肩を揺らした。
「し、死んでる……」
マリー・ホーネットは、ティーカップを片手に口元だけで笑う。
「指定カルト教団クリスティーナ派への潜入任務、お疲れ様」
その言葉に、グレイシーが即座に乗っかる。
「いあ! いあ!」
「茶化さないでよ」
アレクサンドラは顔をしかめた。
「こんな事が続くなら、次は貴女たちに代わってもらうわよ?」
「それはかなり嫌ね」
マリーは真顔で答えた。間髪入れずに返ってきた拒絶に、アレクサンドラはじとりと睨む。
「即答するな」
「だって嫌だもの」
マリーは悪びれずに肩をすくめた。
その横で、グレイシーが少しだけ真面目な顔になる。
「……で、隊長の方針は?」
ようやく本題だ。アレクサンドラは一度息を吐き、乱れた前髪を指先でかき上げた。
「要観察対象」
「ふむ」
「下手に解散命令を出すと地下化して、かえって手に負えなくなるって。宗教ってのは鉄と同じよ。叩かれれば叩かれる程硬く結束する。世間の目に反比例して、信者達は「我々は無理解な愚民達から迫害されてる!!」ってますます意固地になるからね。……こんな事例、いくらでも聞いた事あるでしょ?」
皮肉っぽく言うアレクサンドラ。それを聞いたマリーが、納得したように小さくうなずく。
「妥当だぁね。ゲリラ戦に造詣が深い秘密教団とか、たち悪いどころの騒ぎじゃない」
「ゲリラ戦に詳しくさせたのは殿下自身なんだよなあ……」
アレクサンドラは遠い目をした。
「もうめんどくさいしさ、殿下が責任取って箱庭全員抱く方針で良くない?」
一瞬、部屋の空気が止まる。
次の瞬間、グレイシーが思い切り身を乗り出した。
「しっかりいたせー。思考が侵食させられてる」
「公安が信者になってどうするんだ」
マリーも呆れたように突っ込んだ。
しかしアレクサンドラは、開き直ったように胸を張る。
「私はね。自慢じゃないけど、殿下の下半身にメロメロになって王家を裏切った女だぞ。多少ブレるのは仕方ない」
「誇るな誇るな」
グレイシーが即座に返す。
「事実でしょう?」
「事実でも胸張るなって言ってんの!」
ぴしゃりと斬られたが、アレクサンドラはさほど堪えた様子もない。むしろ、横目でグレイシーを見る余裕すらある。
「だいたい殿下の下半身外交に落とされたのは、お前もなんだよなあ……」
「うっ」
今度はグレイシーの方が詰まった。
その反応に、マリーがふっと吹き出す。
「ま、自己弁護すれば、あれは仕方ない。誰でも裏切る。仮に監視役が私らじゃなくておっさんでも裏切る」
「おっさんでも?」
「おっさんでも」
マリーは断言した。
「女子中高生千人の部隊作ります! なお実態は邪神への生き餌です! ……なんて裏事情を聞かされたら、まともな神経してたら王家に忠誠なんて続かないわよ」
アレクサンドラは首を回しながら、疲れ切った声で続けた。
「ほんとそれ。萌えミリものでやって良い真相じゃないのよ……」
メタ発言まじりの一言に、マリーがぴくりと眉を上げる。
「……あ、アレクも知ってた?」
「ん?」
「その話。私は事前に軍上層部から聞かされて、普通にドン引きしたんだけど」
アレクサンドラは、少しだけ目を瞬かせたあとで小さく笑った。
「潜入前に説明された。だから、あの夜の告白もああ、ついにネタバラシか……って死んだ目で見てた」
「……なんか私だけハブられた感が」
グレイシーがむっとした顔で言う。
マリーは苦笑しながら首を振った。
「まあ、仕方ない。隊長もこれだけは、あの夜まで極秘にしてたし。あれがバレたせいでファルコン隊は逃げるわ、ポーリンは死ぬわで散々だったから余計にね……」
「そう考えると、ほんとあの辺から全部おかしくなってるのよね」
アレクサンドラは天井を見上げた。
あの日――フーイ村撤退戦の記憶は、箱庭に来ても消えない。ファルコン隊の離脱、残ったレベッカの曇った顔。ポーリンが部下から撃たれたという報告。ヘレナ以下、オウル隊の仲間達もだいぶやられた。どれもまだ鮮明だ。
少しの沈黙のあと、アレクサンドラがふいに呟いた。
「思えば割とめちゃくちゃね、666」
「ん?」
マリーが顔を上げる。
「ほら、本来なら殿下、上層部の連中から「ネクロディアの力を使え!」って詰められて、頭抱えるポジションでしょう?」
「まあ、そうね」
「なんか頭抱えるどころか、情けない他の正規軍差し置いて、ネクロディアの力を使わず、補給焼き&追撃戦職人に進化した……」
言葉にしながら、自分でもおかしくなってくる。アレクサンドラは手で口元を押さえた。
マリーはしばらく真顔で考え込み、それからじわじわと表情を崩した。
「…………確かに、国王陛下や軍上層部からすると訳分からないわね。「なんか思ってたんと違う!?」って言ってそう」
「でしょう?」
アレクサンドラは勢いづいて起き上がった。
「もっとこう、兵器として運用される予定だったのよ、あれは。王家の闇! 邪神融合! 禁断の切り札! みたいな扱いで」
「うん」
「なのに蓋を開けたら何? 美形の男の娘王子が、敵の補給拠点焼くのを趣味にしてるの。しかもその方が強い」
「嫌すぎるわね……」
マリーが率直な感想を漏らす。
「他の正規軍がまだまともなら、もっと圧かけられてたんでしょうけどね」
「でも実際は、反乱、投降、敵前逃亡、内ゲバ、自壊……」
「そうそう」
アレクサンドラは指を折って数えた。
「その中で666だけ、カルト化しながらも生き残ってる。第八強襲機甲師団と第二ヘリコプター旅団もだけど、結局極限状態で残るのはまともな軍じゃなくて、何かに狂ってる軍なのよ」
グレイシーが小さくうなずく。
「……信じられるのが、隊長と大隊しかなかったから」
ぽつりと落ちたその言葉に、部屋が少し静かになった。
アレクサンドラは横目で彼女を見た。グレイシーの声音は静かだが、その奥にある重さは、誰よりよくわかる。
「まあ、そういうことね」
アレクサンドラはソファに深く座り直した。
「王家の連中から見たら、殿下なんて貧民街で拾った危険物件くらいの認識だったんでしょうけど。まさかそれが、美形のゲリラ王子に育って、しかも女子中高生をカルト化させながら一番戦果出すなんて思わないわよ」
「隠し子ガチャ大当たりってやつか」
マリーが茶化すと、アレクサンドラは即座に返した。
「素材はSSR。運用難易度は最悪」
「上層部泣かせね」
「王様も困惑してるでしょうよ。昔やり捨てした女の息子が、超絶美形のゲリラ王子に育ってたんだから」
グレイシーが肩を震わせる。
「ひどい言い方……でも、間違ってない」
三人の間に、乾いた笑いが広がった。
しばらくして、グレイシーがぽつりと呟いた。
「666大隊七不思議の一つにしよう」
「何を?」
「本来なら上層部にネクロディアを使えって詰められて曇るはずの隊長が、気づいたら補給焼きと追撃戦で無双していた件」
アレクサンドラは数秒固まったあと、思わず噴き出した。
「長い!」
「でも内容は正確だ」
マリーが真顔で補足したせいで、余計に笑いがこみ上げる。
箱庭の夜は静かだった。
けれどその静けさの中で、三人の笑い声だけが、しばらく小さく響き続けていた。
その笑いは、戦争を忘れたから出るものではない。
戦争を忘れられないまま、それでも生きているからこそ出る笑いだった。




