第17話 彼女の思い
「どうして……?」
僕が尋ねると、ミリアは鉄格子越しに僕たち四人を静かに見つめ返した。
「あなたたち、元々は四人で逃げるつもりだったんでしょう?」
「……はい」
「脱出の計画はあるの?」
「あります」
「完璧?」
「……」
「ふふ、その顔は違うわね」
ミリアは小さく笑い、僕の表情から見抜いてみせた。
「何日かけたの?」
「一週間くらいです」
「なら」
ミリアは言葉を刻むように告げる。
「その一週間は、四人で逃げるために使った時間でしょう?」
「……はい」
「そこへ突然」
そう言って、彼女は自分自身を細い指先で指さした。
「私が増えたら」
「一人くらいなら――」
「一人増えるって、土壇場ではすごく大きいのよ」
「でも……!」
「私はね――」
ミリアはそう言いながらベッドから立ち上がり、こちらへ一歩踏み出した。
その瞬間。
「っ……」
彼女の身体が、微かに揺れて傾いた。
「ミリア!」
僕は思わず鉄格子へ身を乗り出す。
「大丈夫よ」
「大丈夫じゃないですよね!? 今、明らかにふらつきました!」
「……見てたのね」
「目の前ですから」
ミリアは可憐に眉を下げ、小さく笑った。
「だから言ったでしょ。歩けるけれど……あなたたちと同じ速さで走れるかは分からないわ」
「なら」
僕は即座に言い返した。
「僕たちが速度を合わせます!」
「どうやって?」
「それは……」
「追手が来たら?」
「守ります!」
「誰が?」
「僕たちがです!」
「ユウ」
ミリアは本当に困ったような、どこか愛おしそうな顔で僕を見た。
「あなた、さっきから自分を数に入れた言い方をしてないでしょう?」
「え……?」
「守るって言うけれど……あなた、ここの中で一番小さいじゃない」
「……」
横からレンさんが吹き出した。
「笑わないでください、レンさん!」
「ごめんごめん、だって正論すぎてさ……」
「それに」
ミリアの視線が、今度はカザンさんに向く。その袖口に付着したわずかな血痕。続いてレンさんが握りしめる鍵束。身構えるダグさん。そして、最後に僕の顔。
「あなた」
「はい」
「顔色がすごく悪いわよ」
「これは……」
「何かあったの?」
「少し、色々あって……」
「衛兵を二人、倒してきたんだよ」
レンさんがあっけらかんと口を挟んだ。
「レンさん!」
「えっ、言っちゃダメだった!?」
「……なるほどね」
ミリアが僕とカザンさんを交互に見比べ、その声を少しだけ真面目なトーンに落とした。
「あなたたち……全然、余裕がないじゃない」
「……」
誰も反論できなかった。その通りだったからだ。僕たちはボロボロで、綱渡りのような状況でここまでやってきたのだ。
「四人なら、それぞれ役割があるんでしょう?」
「あります」
「カザンは?」
「……戦う役だ」
「ダグは?」
「設備周りと力仕事だ」
「レンは?」
「鍵開けと機械担当!」
レンさんは一瞬だけ胸を張った。
「あと、場の雰囲気を和らげる担当!」
「それはいらないわね」
「なんで!?」
クスリと笑ったミリアは、最後に僕へ視線を向けた。
「ユウは?」
「僕……ですか?」
「ええ」
僕は少しだけ考えてから答えた。
「……全体を見て、時間を測ったり指示を出したりする役です」
「そう。似合ってるわ」
「そうですか……?」
「ええ」
ミリアは自分を指さしてみせる。
「じゃあ、私は? 私には何ができる?」
答えられなかった。今日出会ったばかりの彼女が、何を得意とし、何ができるのかなんて、僕たちには何も分からない。
「ほらね」
「でも……!」
「今の私は、あなたたちに足を引っぱられて守られるだけの存在にしかなれないわ」
「守ればいいです! 僕たちが守りますから!」
「だから……それが一番危険だって言ってるのよ」
ミリアは困り果てたように吐息を漏らす。それでも僕は諦めきれなかった。
「鍵があります! 僕の手元には鍵があるんです! この牢を開けられるかもしれない!」
「ユウ、聞いて」
「五人になったら、脱出計画を少し組み直せば――」
「……私だけを、連れていくの?」
言葉が、ピタリと止まった。
「……え?」
ミリアは僕ではなく、深く暗い通路の奥を見つめていた。そこは漆黒の闇だ。鉄格子が並び、何も見えない。けれど、聞こえる。押し殺した咳。かすかな鎖の音。誰かの荒い呼吸。
「ここには……私以外にも、たくさんの人が囚われているわ」
「……」
「あなたたちにも聞こえているでしょう?」
「はい……」
「何人いるのかは、私にも分からない。この奥にも、まだまだいるわ」
ガチャリ……と、遠くで鎖が揺れる音がした。
「私よりもっと弱っている人だっているの」
さっき聞こえた、「水……」という絶望的な声を僕は思い出した。
「でも! だからってミリアまでここに残る必要は……!」
「そうね」
彼女はあっさりと頷いた。
「他の人が残るから私も残らなきゃいけない、なんてそんな道理はないわ」
「じゃあ……!」
「私はね」
ミリアは冷たい鉄格子に、そっと華奢な手を添えた。
「今のあなたたちと一緒に無理をして逃げるより、ここに残る方がいいと思っているの」
「どうしてですか……!?」
「私一人を無理に連れ出して……あなたたちまで捕まったら、どうなるの?」
「……」
「全員捕まって、五人とも元に戻されるわ」
「……はい」
「そうなったら」
彼女はもう一度、闇の奥へ目を向けた。
「ここにいる人たちの存在を、外の世界へ知らせる人すら、いなくなってしまうでしょう?」
僕は、息を呑んだ。
「あなたたちは……ここからの出口を知っているの?」
「……まだです」
「助けを呼べる当てはあるの?」
「分かりません……」
「それでも」
ミリアは、ほんの少しだけ柔らかく微笑んだ。
「ここに閉じ込められている私たちよりは……ずっと、外に近いでしょう?」
その言葉が、僕の胸に重く突き刺さった。
外。僕たちはただ、自分たちが生き延びるために外へ逃げ出そうとしていた。それだけだった。
けれど、もし本当に外へ出られたなら――僕たちは伝えられるのだ。
この地獄のような第七鋳造所のこと。出荷。銀砂。そして、地下の暗闇に囚われた大勢の人々の存在を。
「だから」
ミリアは言った。
「まず、四人で出なさい」
「……」
「それが……一番いいと思うの」
僕は冷たい鉄格子をぎゅっと握りしめた。
嫌だった。胸が引き裂かれそうに痛かった。目の前に、助け出せるかもしれない人がいる。手には鍵だってあるのだ。それなのに、見捨てて自分たちだけ逃げるなんて――。
「僕は……」
喉が絞れるように、声が小さくなる。
「嫌です……! ここにミリアを置いていくなんて、嫌です!」
「うん」
「助けたいんです……!」
「ありがとう」
「……っ」
「でもね」
ミリアは僕をまっすぐに見つめた。静かな、けれど揺るぎない声だった。
「私がここに残ると決めるのも……私の自由でしょう?」
「……」
何も言えなくなった。
「助けたいって思ってくれるのは、すごく嬉しいわ」
「……はい」
「でもね。助けることと、私の代わりに物事を決めることは……違うのよ」
胸の奥が、強く痛んだ。
僕はミリアを助けたい。だから一緒に出てほしい。けれどミリアは自分の意思で考え、ここに残ると決めたのだ。それを僕の我が儘で無視して連れ出したら……それは彼女の意思を踏みにじることになってしまう。
「……分かりました」
絞り出すように、ようやく答えた。思った以上に苦しい決断だった。
「無理には……連れていきません」
僕は鉄格子から、ゆっくりと手を離した。
「うん」
「でも!」
「?」
「これで終わりにはしません!」
自分でも口にしてから気づいた。
「僕たちが外へ出られたら――」
誰を頼ればいいのかは分からない。この鋳造所の暴走を止められる大人がいるのかも分からない。けれど。
「絶対に、助けを呼びます!」
ミリアだけじゃない。僕は暗闇の奥へと視線を向けた。姿は見えないけれど、確かにそこで息をしている人たちへ。
「ここにいる人たちのことを……絶対に、外の誰かに伝えます!」
ミリアの瞳が、驚きでわずかに見開かれた。
「だから」
僕はミリアの目をまっすぐに見つめ返した。
「それまで……絶対に、生きていてください」
一瞬の沈黙。地下通路を、冷たい風が吹き抜ける。
「……ふふ、変な子」
ミリアが可笑しそうに漏らした。
「よく言われます」
「誰に?」
「レンさんとかに」
「言ってねえよ!?」
「じゃあ、今度から私もそう呼ぶわね」
「増えた!?」
ミリアが声を殺して笑い、僕もつられて少しだけ笑った。こんな暗い地下牢の中で笑い合っているのが、どこか不思議で、あたたかかった。
◇
「時間だ」
カザンさんの低い声が響き、僕はハッと正気に戻った。
そうだ。僕たちには一刻の猶予もないのだ。
「あとどれくらいだ、ユウ?」
「戻るなら、もう出ないと危険です」
「了解」
レンさんが鍵束を強く握り直す。僕はこの場を去る前にもう一度、ミリアを見つめた。
「……本当に」
「ユウ」
「はい」
「私はここにいるわ」
迷いのない、力強い声。
「あなたたちは――外へ行きなさい」
「……分かりました」
僕は背を向け、歩き出した。
一、二、三、四人。
来たときと同じ人数だ。誰も増えていない。
けれど、来たときとは決意の重さが違っていた。
ただ自分たちが生き残るために外へ出る。それだけだった僕たちの目的に、もう一つ、大切な約束が加わったのだ。
ここへ戻ってくる。ミリアのために。そして暗闇の奥にいる、名前も知らない人々のために。
そのためにも、僕たちはまず外へ脱出しなければならない。
そう思い、足早に通路を進もうとした、その時だった。
「――止まれ」
カザンさんの短い制止。全員がその場で凍りつく。
「どうしました……?」
「静かにしろ」
僕も息を殺し、耳を澄ませた。
ぽたり、と落ちる水滴。ガチャリ、と遠くで揺れる鎖。
そして――その向こう。
僕たちが下りてきた石段の方から。
カツ。
――カツ。
硬い靴底が石を叩く音が、静まり返った通路に響いた。
背筋に、ヒヤリとした冷気が走る。
「……誰か来る」
レンさんの声から、完全に軽快さが消えていた。
カツ、カツ。
足音はゆっくりと、けれど確実にこちらへ近づいてくる。
カザンさんが振り返り、僕の目を見た。
「ユウ」
「はい」
「さっきの……あの感覚だ」
言われなくても分かった。
あの呼吸。四人の意識と動きが完全に一つに噛み合わさった、あの異常な感覚。
「もう一度……できるか?」
カザンさんに問われ、僕はすぐには答えられなかった。
できるかどうかなんて分からない。頭の奥にはまだ微かに痺れるような重さが残っている。
けれど、足音は刻一刻と近づいてくるのだ。
僕は自分の胸にそっと手を当てた。
深く、息を吸い込む。
そして、頼もしい三人の仲間たちの顔を見回した。
「……やってみます」
【毎週月・水・土曜日 20:20更新予定】第一部完結に向けて連載中です!
余裕のある時は他のようにも投稿してます…




