第15話 地図にない扉
「で」
レンさんが床に転がっていた鍵束を拾い上げた。
「こっちはどうする?」
じゃら、じゃら。
金属がぶつかり合う乾いた音が通路に響く。レンさんは掌の上の鍵を指で弾きながら数え始めた。
六本。
いや、違う。
「七本あります」
「え?」
「鍵です」
僕は壁から背中を離し、ゆっくりと立ち上がった。今度はさっきのような嫌な眩暈は襲ってこなかった。
「僕がいつも見ていた衛兵の腰にあった鍵は六本でした」
「覚えてんのか、そんなことまで」
「はい」
大きいものが二本。細いものが三本。そして、赤い紐が括り付けられたものが一本。
けれど、今レンさんの手の中にある鍵束には、明らかに七本の鍵が通されていた。
「これ……」
レンさんもその異変に気づいたようだ。束の中から一つの鍵を摘まみ上げる。
その一本だけ、他の鍵とは明らかに作りが違っていた。全体が黒ずんだ鉄でできており、今この鋳造所で使われている鍵とは、形状も年代もまるで異なっている。
「増えてるな」
ダグさんが低く呟いた。
「予定外の衛兵」
僕も小さく呟く。
「予定外の鍵」
そして、僕の頭の中にひとつの光景が浮かび上がった。昨日、図面には存在しなかった巨大な鉄扉――。
「……行きましょう」
「どこへだよ」
戸惑うレンさんに、僕ははっきりと告げた。
「廃棄区画です」
僕の言葉の意味を、三人は瞬時に理解したようだった。
「この鍵が……」
ダグさんが黒ずんだ鍵を見つめる。
「あの、図面にない扉のものかもしれないってことか」
「はい」
「違うかもしれねえぞ」
腕を組んだカザンさんが慎重に釘を差す。
「それでも、確認しに行きます」
僕は足元で気絶している二人の衛兵を見下ろした。この二人がいつ目を覚ますか分からないし、巡回ルートが変わっているのだとすれば、すぐに別の衛兵がここを通る可能性だってある。
「時間は?」
カザンさんの短い問い。
「本来の巡回の空白が終わるまで、あと5分くらいです」
「短いな……」
「でも」
僕は廃棄区画の広がる暗闇の方向を見つめた。
「行くなら、今しかありません」
◇
走ることはできない。この狭い石造りの通路では、足音が遠くまで響いてしまうからだ。けれど、僕たちはできる限りの速度で足早に通路を進んだ。
四人で隊列を組み、暗闇を切り裂くように進む。先頭にカザンさん。その後ろに僕、レンさん、ダグさんが続く。
ふと、僕は妙な感覚を覚えた。さっき衛兵と対峙していたときの、あの頭の中が繋がるような異常な感覚はもう消えている。それなのに――僕たちの足音が、恐ろしいほどきれいに揃っているのだ。
カツ。カツ。カツ。カツ。
四人がまったく同じ歩幅で、同じ速度で足を繰り出している。
「……」
僕は背筋に少しだけ冷や汗をかいた。また、無意識のうちに僕が何か妙な力を使っているのだろうか?
気味が悪くなり、確認のために僕は歩幅をわざと小さくしてみた。
すると途端に、後ろを歩いていたレンさんが僕の横をすり抜けるように避けた。
「急に立ち止まりかけるなよ、ユウ」
「あ、すみません」
違う。今のは僕の不審な動きに反応した普通の動作だ。
少しだけ安心した。
◇
廃棄区画へたどり着く。ここには誰もいない。
壊れた紋具や曲がった鉄材、銀砂の染みついた石が転がる静寂の中、その奥に目指す巨大な鉄扉が聳え立っていた。
「……これか」
レンさんが鍵束を見つめる。
「急げ」
カザンさんが促す。
「分かってんだって」
一つ目の鍵。違う。
二つ目の鍵。穴に入りもしない。
三つ目。
「レンさん」
「分かってるって」
「音」
「分かってるっての!」
小声で怒られた。
四つ目。違う。
五つ目。違う。
六つ目。赤い紐がついた鍵。これも違う。
残されたのは、あの黒い鍵だけだった。
「……最後だ」
レンさんが鍵穴へ差し込む。だが、途中で引っかかって止まった。
「駄目ですか?」
僕が訊く。
「いや……」
レンさんは少しだけ角度を変え、ぐっと押し込んだ。
カチ。
手応えとともに奥まで入った。全員の息が止まる。
「回すぞ」
レンさんがゆっくりと力を込める。
ぎ、ぎぎ……と、錆びついた金属が擦れ合う嫌な音が響いた。
「固っ……!」
「貸せ」
ダグさんが横から手を伸ばし、一緒に鍵を握り込む。
「せーの」
ぎぎ、ガコン――。
重厚な音が響き、ついに錠が外れた。
「……開いた」
レンさんが漏らした声に、誰もすぐには答えなかった。
図面には存在しない扉。使われていないはずなのに、鍵穴だけは最近誰かが使っていた痕跡のある扉。
その向こうには、一体何があるというのか。
「開けるぞ」
カザンさんの言葉を合図に、僕たちは扉へ手を掛けた。
重い。三人、四人で体重をかけて押し込む。
ギィィィ……
重厚な金属音が鳴り響き、暗闇が広がった。最初に顔へ当たったのは、冷たい空気だった。
「……」
これまで漂っていた鋳造所特有の匂い――油や汗、銀砂の混じり合った臭いが、ここでは異質なほど薄かった。
「地下か……」
ダグさんが呟く。扉の先には石段が続き、どこまでも下へと伸びていた。
「図面には……ないんだよな?」
レンさんが確認するように尋ねる。
「はい、存在しません」
「じゃあ何なんだよ、ここ」
「分かりません」
「ユウ、最近それ多くない?」
「分からないものが多いので」
「正論やめろ」
一段。二段。三段。僕たちは足元を確かめながら、深く暗い地下へと下りていく。
下へ進むにつれて、周囲の壁の質感が明らかに変わっていった。鋳造所の荒々しく粗雑な石壁よりもはるかに古く、頑丈に組み上げられた石造りで、補強用の鉄板も打ち付けられていない。
その壁のところどころには、風化して削れかけた不思議な模様が刻み込まれていた。
「レンさん」
「……ああ、見えてる」
僕が声をかけるより早く、レンさんが小さく頷いた。四角い枠の中に斜めの線――古い時代の搬送記号だ。
「やっぱり……上の区画と繋がってたんだ」
予想が当たったことに安堵したのか、レンさんが少し嬉しそうに笑みを浮かべた。
「声が大きい」
カザンさんの鋭い制止に、僕たちの足がピタリと止まった。
「え……?」
「静かにしろ。耳を澄ませ」
カザンさんに促され、僕も必死で闇の奥へと意識を集中させた。
最初は、何も聞こえなかった。ただ、どこかの配管から落ちる「ぽた、ぽた」という静かな水滴の音と、微かな空気の振動音だけが響いている。
だが――。
「……」
水音の合間に、極めて小さな音が混じり込んでいることに気づいた。硬い金属同士が軽く擦れ合う音だ。
ガチャ……
「鎖……の音か?」
ダグさんが息を殺して呟く。
「たぶん、な……」
レンさんの顔から、完全に余裕の笑みが消えていた。
僕たちは警戒を最大限に高めながら、さらに深く足を進めた。通路は相変わらず暗いが、その突き当たりの奥に、ほんのわずかな明かりが揺れているのが見えた。
「……誰か、いるんですか?」
不安を押し殺しながら、僕は小さく呟いた。もちろん、暗闇からの返事はない。
もう一歩、暗がりへ踏み出す。
ガチャリ。
今度は隠しようがないほど、はっきりと金属の音が通路に響き渡った。
そして…
「……誰?」
静寂を打ち破って、声が届いた。
僕たちは一斉に足を止め、息を飲んだ。
それは、幼さの残る透き通った女の子の声だった。暗く冷たい地下の、さらに奥深くから。
僕たちが言葉を失って立ち尽くしていると、もう一度、暗がりから声が聞こえた。
「そこに……誰かいるの?」




