第14話 呼吸の先に
「今――俺たちに、何をした?」
カザンさんの重く低い声が、静まり返った石造りの通路にぽつりと落ちた。
「……」
僕はすぐには答えられなかった。というか、答えたくても言葉が出てこないのだ。
何をしたのか。そう問われても、僕自身が一番それを理解していなかった。
自分の両手に視線を落としてみる。指先が微かに震えているけれど、特別に何かの魔法を使ったような痕跡も残っていない。
「呼吸を……合わせただけです」
「それだけ?」
納得がいかないというように、レンさんが問いかけてくる。
「はい」
「いやいやいや、おかしいだろ!」
レンさんは持っていた鍵束をシャラシャラと激しく鳴らしながら、大袈裟に手を振った。
「呼吸を合わせただけで、あんな人間離れした動きになるか!? さっきの僕らの連携、どう考えても異常だったろ!」
「僕に聞かれても困ります……」
「だって、実際にやったのはユウだろ?」
「たぶん……そうだと思います」
「たぶん!?」
語気を強めるレンさんを、ダグさんが大きな手で制した。
「レン、そこまでにしろ。今はユウを責めても仕方ない」
「責めてねえよ! むしろすげえって感心してんだよ!」
「言動が同じに見える。落ち着け」
「全然違うだろ!」
二人が言い争う声を聞きながら、僕はその場に座り込んだまま動けずにいた。
頭がひどく重い。倒れそうになったさっきの感覚に比べれば幾分ましにはなったものの、無理に立ち上がろうとすると、自分の身体の中心軸がどこかへ少しずれてしまっているような、嫌な浮遊感が残っていた。
「ユウ」
ダグさんが膝を折り、僕の顔を覗き込んでくる。
「もう少し座ってろ」
「……大丈夫です。立てますから」
「さっき倒れかけた奴の台詞じゃないな。説得力がゼロだ」
「……」
「五分だ。おとなしく休んでろ」
「でも、衛兵が来るかもしれないし――」
「五分だ」
ダグさんの静かだが断固とした口調に押し切られ、僕は「はい」と小さく頷いた。
言われた通りに壁へと深く背中を預ける。
ひんやりとした石の冷たさが衣服を通して背中に伝わり、熱を持っていた頭が少しだけ冴えていくのが分かった。素直に気持ちいいと感じる。
「それよりさ」
興奮を抑えきれない様子で、レンさんが壁に寄りかかりながら言った。
「本当に何だったんだ、さっきのあれ。俺さ……途中から、次に自分がどこへ動けばいいのか、感覚で分かったんだよな」
自分の足元を見つめながら、レンさんは不思議そうに首をひねる。
「僕が声をかけて誘導したからではないんですか?」
「違うんだよ。ユウが『左』って声に出すちょっと前にさ……『あ、次は左だな』って僕の頭の中に直接浮かんだんだ」
「……」
「それで『左』って思ったら、本当にユウが同じタイミングで左って指示を出した。あんなの、息が合ってるとかのレベルじゃないぞ」
言葉に詰まる僕の横から、ダグさんが静かに口を開いた。
「俺も似たようなものだ」
「ダグさんもですか?」
「ああ」
ダグさんは通路の奥で倒れている衛兵へと視線を向けた。
「二人目の衛兵が踏み込んでくる前に、あいつがどっちの手から動いてくるのかが手に取るように分かった。まるで未来の動きがあらかじめ決まっていたみたいにな」
「衛兵の癖や身体の予備動作を読んだ……とかでしょうか。だとしたら説明がつきますけど」
「それなら俺だって納得する。だが、違うんだ」
ダグさんは自分の掌を見つめながら、適切な言葉を探すように間を置いた。
「カザンがどこへどう動くかも、同時に分かったんだ。見て確認したわけじゃない。最初から、カザンがそこへ来るとあらかじめ知っていた……そんな妙な感覚だった」
二人の言葉を聞いて、僕はカザンさんへと視線を向けた。
さっきから、カザンさんだけが会話に加わらず、腕を組んだまま黙り込んでいる。
「カザンさん……?」
「……」
「何か、知ってるんですか?」
僕が問いかけると、一瞬だけカザンさんの鋭い視線が僕を捉えた。
「……少しな」
その呟きを聞くや否や、レンさんが勢いよく振り返った。
「知ってんの!?」
「声がでけえぞ、馬鹿野郎」
「だって! 隠してないで教えてくれよ!」
「静かにしろと言っている」
「……はい」
カザンさんに一睨みされ、レンさんはしゅんとなって声を落とした。
「で、何なんだよ。一体俺たちの身体に何が起きたんだ?」
カザンさんはすぐには答えず、ゆっくりと視線を巡らせた。
足元に倒れた二人の嵩張る衛兵の身体。壁にもたれかかる僕。そして、自分の大きな掌。
「……『スキル』って言葉は知ってるか」
「スキル……ですか?」
聞いたことがあるような、ないような。漠然とした響きだけが頭の片隅をかすめるが、はっきりとした意味は思い出せない。
「分かりません」
「俺も初耳だな」
ダグさんも首を振る。
「俺は聞いたことあるぞ!」
自信満々に胸を張るレンさん。
「本当に?」
「なんで真っ先に疑うんだよ!」
「どこで聞いたんだ」
「……どこだっけ」
「知らないのと同じですね」
「違う! 確かにどこかで聞いたんだって!」
「まあいい、黙って聞け」
脱線しそうになった会話を、カザンさんが低く遮った。
「魔法とは少し違う、もっと別の力だ」
「魔法とは違う……?」
「ああ」
カザンさんは壁に背を預け、天井の暗がりを見上げながら言った。
「人間には誰しも生命力ってものがある」
「生命力……」
「生きてる限り、どんな奴にでもな」
僕は自分の胸にそっと手を当ててみる。服越しに、トントントンと一定のリズムで打つ心臓の鼓動が伝わってきた。
「その生命力が特別強い奴ほど」
カザンさんは言葉を紡いでいく。
「普通の人間には到底できねえような芸当をこなせる場合がある」
「腕力がめちゃくちゃ強くなるとか?」
レンさんが尋ねる。
「それもある」
「足が信じられないくらい速くなるとか?」
「そういうのも聞いたことはあるな」
「じゃあ俺も――」
「お前の話はしてねえ。黙ってろ」
「はい」
レンさんを制してから、カザンさんは再び僕へと視線を戻した。
「ただ、それだけじゃねえんだ」
「それだけじゃない、とは?」
「生命力の『使われ方』が、人によって全く違うことがあるって話だ」
「使われ方……ですか」
僕が繰り返すと、カザンさんは少し考え込むように顎をさすった。
「例えば……異常なまでに目が良くて、遠くの暗闇まで見通せる奴」
「はい」
「人の気配や殺気に馬鹿みたいに敏感な奴」
「はい」
「刃物で切られても傷がつかねえくらい、身体が妙に頑丈な奴」
「……それも、全部スキルなんですか?」
「全部がそうだとは言ってねえ」
僕の問いを、カザンさんはすぐに否定した。
「だが、ただの鍛錬や経験だけじゃ到底説明のつかねえ異常な力が出る奴がいる。それを――」
「それをスキルと呼ぶのか」
ダグさんが引き継ぐように呟いた。
「そう呼ぶ奴がいる、ってことだ」
――そう呼ぶ奴がいる。
カザンさんのその言い方に、僕はどこか引っかかるものを感じた。
「カザンさん」
「あ?」
「随分と……詳しいんですね」
その瞬間、周囲の空気がピタリと止まったような錯覚を覚えた。
「……」
カザンさんの目が、ほんのわずかだけ細くなる。
あ、しまった。
触れてはいけない過去や秘密に踏み込んでしまっただろうか。胸の中に後悔が広がる。
「……外にいた頃に、風の噂で聞いたことがあるだけだ」
短く、それだけを言った。
「……そうですか」
僕はそれ以上、深く追及することはしなかった。
カザンさんにだって、人に言いたくない過去や事情くらいあるはずだ。僕自身が自分の記憶を失っていて、思い出したいような思い出しかねるような複雑な感情を抱えているのと同じように。
「じゃあさ!」
気まずくなった空気を払拭するように、レンさんが僕を勢いよく指差した。
「ユウのさっきのあの謎の力も、そのスキルってやつなのか!?」
「断定はできねえ」
カザンさんが落ち着いた声で答える。
「でも――」
カザンさんは一度僕を見つめ、静かに言葉を続けた。
「可能性としては十分ある」
「じゃあユウって、実は生命力がめちゃくちゃ高いってことか?」
「……たぶんな」
「でも」
僕は思わず首をかしげた。
「僕、自分が生命力が高いなんて全然実感がないです」
「普通は自覚なんてねえよ」
「どうやって調べるんですか?」
「本気で調べるなら、専用の測定道具がいるな」
「ここには……なさそうですね」
僕たちは改めて、周囲のくすんだ景色を見回した。
赤錆びた鉄の壁。破裂した配管からひっきりなしに漏れ出す濁った蒸気。そして、足元に転がっている気絶した衛兵。
「……あるわけがないですね」
「だろ」
カザンさんは僕の前でひざをつき、目線を同じ高さまで下げた。
「だから今は」
カザンさんの力強い目が、まっすぐに僕を捉える。
「分からねえものは、分からねえままでいい」
「でも、僕のせいで皆さんに何かあったら――」
「ただし」
僕の言いかけた言葉を遮るように、カザンさんは語気を強めた。
「もう一回あんな真似をやるなら、二度と勝手にやるな」
「……え?」
「さっき、倒れかけたろ」
「あれはちょっと目眩がしただけで、大丈夫です」
「その『大丈夫』って言葉は禁止にするぞ」
「えっ」
「賛成だな」
すぐさまダグさんが同意する。
「俺も大賛成!」
レンさんまで乗っかってきた。
「なんでですか!?」
「お前には信用がないからだ」
カザンさんが平然と言い放つ。
「……」
三対一。僕に反論の余地は残されていなかった。
「……分かりました」
「本当か~? 怪しいなあ」
レンさんがニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。
「レンさんにだけは言われたくありません」
「なんでだよ! 俺はいつだって有言実行だぞ!」
くだらないやり取りに、少しだけ緊張がほぐれて笑いそうになった。
そのとき――カザンさんの大きな手が、僕の頭の上にぽんと置かれた。
一度だけ、優しく力強く叩かれる。
「あと」
「はい」
「さっきの力……スキルだかなんだか知らんが」
「……」
「使えるからって、使わなきゃいけねえわけじゃない」
そう言ったカザンさんの表情は、どこか切なく、そして厳しかった。
「……」
「覚えておけ」
その言葉の本当の意味を、今の僕はまだ完全には理解できていなかった。
だけど、カザンさんがどれほど真剣に僕の身を案じてくれているのかだけは、痛いほど伝わってきた。
「はい」
僕は力強く頷いた。




