第7話:治癒の対価
七日ごとの治癒の謁見は、施療院の礼拝堂で行われる。
継続検分のため、私は朝から列の脇に立った。並ぶのは重病人とその家族、およそ四十人。ルカ様が一日に治せるのは、体力の都合で十五人前後だという。
列の先頭は、恰幅のよい毛織物商だった。症状は、痛風。
列の後ろから三番目に、若い母親がいた。胸を病んだ幼子を負ぶって、壁にもたれている。子供の呼吸は、笛のように細く鳴っていた。
「あの母子、三週続けて来ています」
付き添いの修道女が、小声で教えてくれた。
「毎週、刻限までに順番が回らなくて。……今日も、たぶん」
受付の卓では、係の修道士が名簿に順を書き入れていた。毛織物商の従者が布の包みをひとつ納めると、羽根ペンがすっと上の行へ戻って動いた。
母親が進み出て、小声で何かを願い、深く頭を下げる。係は目を伏せた。
「……順が、ございますので」
子供の笛の音が、列の後ろで細くなる。
私は列の勘定を始めた。誰が、いつ受け付け、何を納め、何番目に呼ばれるのか。……検算の対象は、奇跡だけとは限らない。
謁見は刻限で打ち切られる。列の先頭に、痛風の商人。後ろから三番目に、笛の呼吸の幼子。
——並び方に、思想が出ている。
私は謁見名簿を三月分借り受け、献納の記録と突き合わせた。写しは、テッサが一晩で三部作った。「数字を写すのは、お祈りより得意です」とのことである。
突き合わせの作業は、半刻で済んだ。分かりやすい帳簿は、検算も早い。
謁見の順番は、受付順でも重症順でもなかった。『感謝の献納』の額の順である。
しかも献納は、治癒の前に納められていた。
名簿の管理者は、施療院の院監ギベール師。
痩せて、指にインクの染みのある初老の男だった。バルナバ司教のような指輪は、一つもない。求めに応じて差し出された帳簿は、頁の角まで揃っていた。……几帳面な人間の帳簿である。几帳面な人間の不正は、几帳面に残る。
査問というほどの席でもない。院監室で、私は突き合わせの結果を読み上げた。
「三月分の謁見名簿、七百二十一名。献納額との突き合わせの結果、順位と額の一致、九割九分。例外は貴族家からの口利き分のみです」
「……献納は、信徒の自由意思ですぞ。額で祝福の順が変わるなど、規程のどこにも」
「書いてありません。ですから規程ではなく、言葉の定義を伺います。院監、感謝とは、いつするものですか」
「は……?」
「感謝は、事後にするものです。治る前に納められた『感謝』は、感謝ではありません。値段です。あなたはルカ様の治癒に値札を付け、病人に競らせていた」
感謝の献納——要するに、治癒の順番は競売にかけられていたのである。
「わ、わたしは一枚も懐に入れておらん! 帳簿を検めよ、全額、施療院の営繕と本庁への」
「存じています。着服の形跡はありません」
これは事実である。ギベール師の帳簿は潔癖なほど几帳面で、私的な流用は一行もなかった。営繕費、祭具費、そして月末に一行——『王都大司教区へ 献納』。
私はその行の上で指を一拍だけ止め、何も言わずに頁を繰った。
「付言します。この献納から『白のルカ』様個人へ渡った金銭は、三月分にも、遡った十年分にも、一行もありません。聖人は無給で治しておいででした。……値札を付けられた御本人が、です」
「…………」
「着服がありませんので、封緘は灰。重大不正ではなく、是正勧告です。本日ただいまより、謁見の順は施療院の医師が定める症状の重さ順。献納は治癒の後にのみ受け付け、その三割を貧しい患者の施療費に充てること。以上が是正の条件です」
「……従わねば?」
「従っていただけるまで、私が毎週この列に立ちます」
院監は、私と、名簿と、窓の外の列とを順に見た。それから最後は、聖職者の顔で頷いた。
「……正直に申せば、監査官どの。列を金で並べ替えるようになってから、眠りの浅い夜が増えており申した。これで、枕が軽くなる」
私は院監室の扉に、灰の封蝋を押した。是正の完了を検め終えるまで、剥がれない色である。
新しい順の名簿は、その場で医師たちが作った。毛織物商は十二番目に並び直し、世界の終わりのような顔をしていた。痛風は、命に関わらない。命に関わらないのだと、順番で教えられただけである。
その日の謁見は、刻限より半刻早く始まった。最初の一人は、笛の呼吸の幼子だった。
名を呼ばれた母親は、三度聞き返した。三週のあいだ、最初に呼ばれたことなど一度もなかったからである。
ルカ様が小さな胸に手を置く。光も文句もなく、ただ一呼吸。笛の音が消え、子供は母親の腕の中で、驚くほど大きなあくびをした。
「……息が。ああ、息をしてる。ふつうの息を、してます」
母親は泣き崩れ、何度も頭を下げ、握り締めていた小さな銅貨の包みを差し出そうとして——修道女にやんわり止められていた。献納は後日、治ってから、払える分だけ。本日からの新しい規則である。
ルカ様は、母子が礼拝堂を出ていくまで見送っていた。それから、いつものように自分の掌を見下ろした。……今日は、いつもより少しだけ、長かった。
帰り道、施療院の石段で、ルカ様が言った。
「監査官どの。列が売られていたこと、私は気づきませんでした」
「あなたは治す側です。列は見えません」
「……いえ。たぶん、見なかったんです」
聖人は、自分の掌を見下ろした。治した直後に必ずやる、あの癖である。
「白状します。私は、祈ったことがないんです。一度も、自分の意思では」
「…………」
「力は、出てしまうんです。触れると、勝手に。栓の壊れた井戸のように。……そして、感謝されるたびに、少しずつ削れる。何が削れているのかは、自分でも帳簿が付けられません」
「ルカ様。それは」
「ふふ。すみません、監査の役に立たない証言でした。忘れてください」
「ルカ様。当局の規程上、証言の撤回には書面が要ります」
「……では、撤回できませんね。書き物は、少し疲れます」
「では、記録に残ります」
忘れない。監査官は、証言を忘れない職業である。
私は手帳に書いた。本人証言。力は「出てしまう」。感謝されると「削れる」。……勘定科目、不明。
局に戻ると、珍しくベネディクト局長が扉の前に立っていた。
「戻ったか。……予定が増えたぞ」
「案件ですか」
「客だ。近く、大司教猊下が当局を視察なさる。——ロタール猊下、直々にな」
「視察。……当局を、ですか。開局以来、どなたも来なかったと聞いていますが」
「そうだ。三十年、誰も来なかったのにだ」
局長の声は、平坦だった。平坦すぎる声というものは、それ自体が一つの記載である。
テッサが帳面を胸に抱いたまま、そっと私の袖をつまんだ。
「カサンドラ様。……明日の予定を、教えてください」
「明日は帳簿の整理。それから、猊下をお迎えする手順の下調べです。あなたの仕事は、湯を沸かす練習」
「……はい」
大司教。王都大司教区の主。……あの、帳簿の一行の宛先である。
監査官の私的控え——本日の収支。是正勧告、一件(灰)。列の並び替え、一列。幼子の息、一名分(回復)。
次話、大司教猊下のご視察。当局に、猊下にお出しできる茶器がありません。




