第60話:取扱注意
二日目の朝も、広場は埋まっていた。
私は檀に上がり、卓に六十三枚の紙を置いた。
風で飛ぶので、四隅に石を置いた。石は、南倉の裏手の斜面から一つ持ち帰った。番号だけが彫ってある石の、隣に転がっていたものである。
鐘が鳴った。
「受理番号、本年度第五号。検分事項、消えた聖女六十三名の行方」
私は帳面を開いた。
「検分の結果。
一、南方巡礼路上流に、いかなる登記にも存在しない施設がある。棟三、室十八。二十二年前より稼働。
二、当該施設に、殉教者台帳に『回収済』と記載された者が収容されていた。総数六十三名。
三、内訳。物故四十一名、所在不明十四名、生存八名。
四、生存八名のうち一名は、受理第三号において当局が『生死は保留』と判定した者である。本日、本人の名乗りにより生存を確認した。
五、殉教者台帳の『回収済』の日付は、死亡の日付ではない。運搬の日付である。当局の照合により、記載と実際の死亡年に最大三年の齟齬がある。
六、当該施設の予算は、大司教区会計の決裁を経ている。決裁七件の起案者欄はいずれも空欄。庶務印を用いた決裁者は、大司教ロタールである。本人がこれを認めた。
七、当該施設の予算は、二十二年で金貨五千八百枚あまり。収容者一人あたりの年額は、二十二年前の二十二枚から、昨年の十一枚へ低下。同期間、物故者は増加した。
八、薪の不足を報せる書面が三度提出され、三度とも返答なく、予算は据え置かれた。
――判定」
私は、封蝋刀を取った。
「一、殉教者台帳に記載された『昇天』六十三件は、すべて不実と認める。当該記載を無効とし、生存八名の記録を回復する。
二、当該施設は、いかなる登記にも存在しない。存在しない施設に人を置いた行為を、教会自身の不実と認める。
三、生存八名の解放を命じる。所在不明十四名については、期限を定めず検分を継続する。
四、大司教ロタールを、大司教の職より解く。理由は、決裁権の私的行使ではない。――保護の名目で計上した予算を、保護の実質を伴わないまま減額し続けた点である。
五、本判定は、聖務監査局が教会自身に対して行うものである。
六、当該施設の管理人バルタザールについて。二十二年の記帳に脱漏なく、薪の不足を三度書面で報せた事実を認める。ただし、返答の無いまま冬を越した点を、是正の対象とする」
私は、まず灰の蝋を溶かした。灰は、軽微な是正の色である。
報せた者に打つ色ではない、と思う人もいるだろう。だが、報せて、返事が無くて、それでも二十二年書き続けた人には、判が要る。判の無い人は、記録から消える。
消さないために、いちばん軽い色を打った。
それから、黒の蝋を火にかけた。黒は、溶けても光を返さない。艶のない色で落ちる。
聖遺物庫で一度使い、それきり錠のかかる棚に戻してあった。持ち出すのに、局長の判が要った。判は、昨夜のうちに押されていた。
私は判定書に、黒の封を打った。
――『黒は、教会おのれの罪に、これを用う』。
二百年で、二度である。
「以上」
広場は、静かだった。
拍手は起きなかった。起きなくていい。私は帳面を閉じるのが早い。
ロタールは、立ち上がった。外套の合わせを直し、髪を撫でつけ、それから、こちらへ一礼した。乱れたところが、一つも無かった。
「見事な検分でした」
「恐れ入ります」
「一つだけ、申し上げてもよろしいか」
「どうぞ」
「私は、間違ったことをしたとは思っておりません」
私は、うなずいた。
「存じております」
「……そうですか」
「あなたは嘘をおつきになりません。ですから、あなたが今日ここで嘘をつかなかったことが、判定の根拠になりました。……お礼は申しません。業務ですので」
ロタールは、少しだけ笑った。初めて、目のあたりが動いた気がした。気のせいかもしれない。
彼は檀を降りた。降りるとき、階段を軋ませなかった。
その日の午後、私は大聖堂の書庫で、殉教者台帳を開いた。黒の封は、あの石室で打ってから貼ったままである。当局の保全下にある。私は封を切り、頁を繰った。
六十三名。一枚ずつ、判を押していく。
『検分済』
朱の判である。『回収済』と同じ、朱の色を使った。上書きではなく、隣に押した。消さない。消せば、消したことが記録から消える。
四十一名に押した。押しながら、名を読んだ。テッサが隣で読み上げ、私が押した。十四名には、押さなかった。まだ検分中だからである。空欄のまま残した。
八名には、押した。押した下に、一行足した。
『生存。本人の名乗りによる』
姉の頁は、最後にした。
認定、十二年前。興行地、七行。献納の累計、金貨一万四千枚。八年前の日付。朱の判。『回収済』。
備考、『本物。取扱注意』。
私は、その隣に判を押した。
――『検分済』。
押してから、私は頁の余白に、当局の様式で一行を書いた。
『物故は五年前の冬。台帳の記載と三年の齟齬あり。訂正せず、併記する』
訂正しない。
訂正すれば、この帳簿が一度も間違えなかったことになってしまう。筆を置いて、私は懐から手帳を出した。
破られた頁は、押収品として当局の綴りにある。手帳のほうは、私の懐に戻ってきた。二冊は、いまも別々である。
私は、手帳に指で触れた。いつもの癖である。監査局へ来る前からの。
――姉さん。
三十七の傷は、写しに残しました。名前は、六十三、数えました。八人、外へ出します。四十一人には、間に合いませんでした。十四人は、まだ探します。
……数えました。言われたとおりに。
書庫の窓の外で、鐘が鳴った。
その足で、私は西の織工町へ寄った。
機の音は、四台分のままだった。親方は、私の顔を見て、手を止めた。
「監査官様。……あいつは」
「無事です。南におります。三月ほど前から歩いておられるそうです」
「……そう、ですか」
「解放の判は、今朝下りました。帰るかどうかは、ご本人が決めます」
親方は、それだけ聞くと、機のほうへ戻った。戻ってから、袖で顔を拭いた。
私は待たなかった。待つと、この人が礼を言わねばならなくなる。
――工房の記録に、日付を書き足していただけますか。半端で切ったままの、あの締めの日に。
そう言って、私は町を出た。
夕方、局へ戻る道で、クレマンに会った。
大聖堂の回廊である。待っていたのだと思う。歩き方が速いのに、音がしない。
「監査官どの。おめでとうございます」
「業務です」
「ええ。見事な業務でした。……二百年で二度目の色を、私は生きているうちに見られるとは思っておりませんでした」
彼は、いつもの笑わない微笑みをした。
「八名の解放は、明朝の便で手配いたします。所在不明の十四名についても、当課が全力で」
「ご協力に感謝します」
「制度上、正しい手続きですので」
私は足を止めなかった。止めると、この人の話が長くなる。
「監査官どの」
背中に、声がかかった。
「では、次の猊下を選びましょう」
私は、止まった。
「教区は空けておけません。公会議を招集し、後任を選びます。……三月ほどかかりましょうか」
クレマンは、回廊の柱の間から、夕焼けの空を見ていた。
「ご心配なく。制度は、残りますので」
その夜、私は受理簿を開いた。第五号の検分は、継続中である。十四名が、まだ空欄のままだ。第八号も、継続中である。ジョゼットの検分は、まだ何も終わっていない。
第二号は、白を打った。打ったが、検分事項が二つ増えたままである。
私は、新しい頁に日付を書いた。
そして、書いた。
受理――検分事項、聖女認定の制度そのもの。手掛かり、公会議。期限、なし。
書き終えたところで、階段が軋んだ。四段のうち、三段目である。
「監査官どの」
ルカ様だった。判定書の控えを持っている。
「今日の私は、何点でしたか」
「今日は、あなたを検めておりません」
「では、あなたは」
聖人は、灯りの下で笑った。
「今日のあなたは、何点でしたか」
私は、筆を置いた。
「――保留です」
監査官の私的控え——本日の決算。判定、一件(灰一、黒一。黒は二百年で二度目)。無効、六十三件。解放、八名。継続、十四名。罷免、一件。
台帳の姉の頁に、判を一つ押しました。消さずに、隣に押しました。
受理簿に、新しい行を書きました。検分事項は、制度そのものです。……次話、公会議の招集がかかります。三月ほどだそうです。




