第59話:公開検分
場所は、大聖堂前の広場だった。この春、ここで監査局が異端の嫌疑を受けた。あのとき、私は檀の下にいた。今日は、上にいる。
人は、あの日より多かった。通達が回っていたわけではない。噂だけで、これだけ集まる。檀の上に卓を二つ。片方に私、片方に大司教ロタール。
間に、書記の席が三つ。異端審問庁から一人、大司教区から一人、そして当局からテッサが座った。
ロタールは、いつもの装いだった。声も、いつもと同じである。
「監査官どの。よい天気ですね」
「ええ」
「あの春も、こういう日でした。……あの日は、私は見物の側におりました」
「覚えております」
鐘が鳴った。
私は帳面を開いた。
「受理番号、本年度第五号。検分事項、消えた聖女六十三名の行方。本日は、その第一次検分の公開である」
広場が、静かになった。
「検分の対象は、南方巡礼路上流に所在する未登記の施設、および当該施設に対する予算の支出経路である」
私は、七枚を掲げた。
「一、大司教区受納簿には、三年前より昨年まで、七箇所の欠番がある。
二、同期間の決裁綴りには、名目『巡礼路施設維持費』の支出が七件ある。起案者の欄は、七件とも空欄である。
三、当該七件の金額は、南倉の管理人が受領した予算通知の額と、一枚の相違もなく一致する。
四、決裁の日付は、通知の日付より三日から五日、先行する。
五、四年前より古い受納簿に、欠番は無い。同じ支出は、名目のまま記帳されている」
私は顔を上げた。
「猊下。ご説明をいただきたい」
ロタールは、水を一口飲んだ。
「よく数えられました」
「お答えを」
「答えます。……その七件は、私の決裁です」
広場が、ざわめいた。ロタールは、手を上げてそれを止めた。止め方が、穏やかだった。
「隠す気はありません。庶務印を用いたのは私です。起案者の欄が空なのは、起案がなかったからです。私が、直接、決めました」
「なぜ起案を経なかったのですか」
「経れば、書類が増えます。書類が増えれば、目に触れます」
「目に触れては、いけない支出でしたか」
「いけないとは申しません。……ただ、あの施設は、説明の難しい場所でしたので」
私は書いた。
「猊下。あの施設は、何をする場所でしたか」
「保護です」
「六十三名のうち、四十一名が物故しております」
「存じております」
「うち二十四名は、この十年です。予算は、その十年で三分の一以下に下がっております」
「存じております」
「三度、薪が足りぬという報せが出ております。返事は、三度ともございません」
「読みました」
私は、そこで筆を止めた。この人は、いま、全部認めた。認めたうえで、微笑んでいる。
「監査官どの。私は、嘘を申しません」
「存じております」
「では、申し上げます。……あの施設は、必要でした」
ロタールは、広場を見渡した。
「聖女の認定は、教会の制度です。制度である以上、誤りが出ます。認定した者が、後に扱いに困ることがある。……力が強すぎる者は、教区の手に負えません。放てば、勝手に神を名乗る者が出る。歴史がそれを教えております」
「ですから、囲われた」
「保護しました」
「保護の予算を、十年で三分の一に減らされた」
「教区の会計には限りがあります。……減らすか、増やすかを決めるのが、私の職務です」
私は帳面を閉じた。
「猊下。伺います。あの四十一名は、どうして亡くなりましたか」
「病と、老いです」
「薪が足りぬという報せが、三度」
「読みました」
「読んで、いかがなさいましたか」
「据え置きました」
「理由を」
ロタールは、少し首を傾げた。困った顔ではない。質問の意味が分からない、という顔だった。
「――採算です」
広場の音が、消えた。
「あの施設に、金貨を五千八百枚使いました。二十二年です。……二十二年、あそこは何も生みません。生まないものに、増やす理由がありますか」
私は、その一言を書いた。書いている間、誰も何も言わなかった。書記の三人の筆の音だけがしていた。
「猊下。もう一つ」
「どうぞ」
「殉教者台帳の、セラフィナの頁の備考をご存じですか」
「『本物。取扱注意』」
即答だった。
「――お読みになったことが、おありなのですね」
「書かせました」
私は顔を上げた。
「私が書かせました。二十二年前、私はまだ庶務の一書記でした。あの帳簿の備考の様式を整えたのが、私の最初の仕事です」
ロタールは、卓の上で手を組んだ。
「本物は、管理が難しい。偽物は、経費で済む。……その二つを一枚の帳簿で扱うために、備考の欄が要りました」
私は書いた。
書きながら、姉の壁の傷を思い出していた。三十七本。五本ずつ束ねてあった。
「監査官どの」
ロタールが、こちらを見ていた。
「一つ、私からも伺ってよろしいか」
「どうぞ」
「あなたは、なぜ監査局へ来られたのですか」
人垣のどこかで咳をした者が、途中でやめた。
「この春、あなたは婚約を破棄され、その足で当局へ入られた。……あれは、行き場が無かったからですか。それとも、姉上のためですか」
「どちらでもありません」
「では」
「私は、数える者だったからです」
私は帳面を閉じた。
「猊下。あなたは、いま、この検分を私事にしようとなさっています。私事にすれば、判定は恨みになる。恨みは、記録に載りません」
「……そう聞こえましたか」
「聞こえました。ですから、答えを一つだけ差し上げます」
私は懐から、四つ折りの紙を出した。
「これは、当局が押収した物証です。二十二番目の物証、姉セラフィナの手記の断簡。文面を読み上げます」
私は開いた。
「『私を殺すのは、教義ではありません。採算です』」
ロタールの指が、卓の上で、一度だけ動いた。
「猊下。この語を、私は今日、あなたのお口から伺いました。八年前に姉が書いた語と、同じ語です。……偶然ではありません。同じ帳簿を、姉と、あなたと、私が読んでいるからです」
私は紙を書記に渡した。
「私事ではありません。これは、三人が同じ数字を見ている、という記録です」
「猊下。判定を申し上げる前に、一点だけ」
「どうぞ」
「当局は、受理第三号において、この夏に判定を出しております。ある聖女の昇天の記録は不実。生死は保留」
「覚えております」
「保留を、本日解きます」
私は檀の下を見た。
「証人を、一名」
広場の人垣が、割れた。
扉から、女が一人、入ってきた。麻の服ではない。まっすぐな灰色の外套を着ている。髪は短い。その隣を、定規で引いたような字を書く男が、半歩下がって歩いていた。
女は檀の前まで来て、立った。
そして、名乗った。
「コレット・ファーブルと申します。……六年前に、昇天いたしました」
広場が、割れるように鳴った。
ロタールは、その声の中で、初めて水の杯に手を伸ばさなかった。ただ、静かに、女を見ていた。その目は、驚いていなかった。驚いていない目が、この日、私にはいちばん重かった。
監査官の私的控え——本日の決算。公開検分、一日目。猊下は、七件すべてをご自分の決裁とお認めになりました。理由は、採算とのことでした。
証人が一名、六年ぶりに名乗られました。……次話、判定を読み上げます。封蝋の色は、決まっております。




