第58話:欠番七箇所
閲覧は、三日待たされた。
三日目の朝に、書庫の扉が開いた。規程どおりである。断る根拠が無いときの役所は、規程どおりに遅れる。
大司教区の書庫は、地下にあった。石の棚が四列。受納簿が右の二列、決裁綴りが左の二列。年ごとに背が並んでいる。
「テッサ。まず、番号を数えます」
「はい」
受納簿の欠番は、七箇所。三年前から昨年までである。私は該当の年の決裁綴りを、同じ月で開いた。
決裁綴りは、支出の側の帳簿である。起案があり、決裁があり、判が押される。押した者の名が残る。
欠番の月に当たる決裁は、あった。あったが、様式が違った。
「……カサンドラ様。この綴り、糸が違います」
テッサが、背の側を指した。
「他の月は麻の糸ですけど、この月だけ絹です。それと、綴じ穴が二つ」
「後から綴じ込まれた」
「はい。しかも、綴じ直したのは一回じゃないです。穴が、ちょっとずつずれてます」
私は該当の紙を抜いた。
支出の名目は、「巡礼路施設維持費」。
金額は、金貨二百枚。
決裁の欄は、庶務印が一つ。起案者の欄が、空白だった。
「イレールどののところと、同じですね」
「はい。……理由の欄が無いのと、同じです」
「いいえ。あちらは欄が無かった。こちらは、欄はあるのに、空です」
私は七箇所、すべてを抜いた。七枚とも、名目は同じ。「巡礼路施設維持費」。金額は、二百枚、百八十枚、百五十枚、百五十枚、百二十枚、百二十枚、百十枚。
合わせて、金貨千三十枚。
私は、南倉の予算通知の束を出した。三年前から昨年までの、半年ごとの通知。
二百枚、百八十枚、百五十枚、百五十枚、百二十枚、百二十枚、百十枚。
一枚も違わなかった。
「テッサ」
「はい」
「日付を」
「決裁が先です。……三日から五日、先です。ぜんぶ」
決裁が先で、通知が後。
金額が同じで、名目が違う。
これで、繋がった。
受納簿の側では番号を飛ばし、決裁綴りの側では起案者の名を空にする。両側から一枚ずつ抜けば、金は動くのに、動かした者が残らない。
私は書いた。
――「南倉の予算は、大司教区の会計を通っている。ただし通ったことが、両側の帳簿から抜かれている」
「監査官どの」
書庫の入口に、ヴァレリーがいた。本庁の記録係の外套ではなく、旅のままの服だった。召還されたはずである。
「叱責を、受けてまいりました」
「いかがでしたか」
「三刻、立たされました。……そのあと、白紙の報告の理由を口頭で申し上げました」
「聞かれましたか」
「聞かれました。そのうえで、記録には残さないと言われました」
彼女は、書字板を開いた。
「ですので、こちらに書いてまいりました。『口頭にて申し述べた。記録に残さない旨、口頭にて告げられた』」
私は、その一行の写しを請求した。書面で。
「ヴァレリーさん。一つ、伺います」
「はい」
「決裁綴りの起案者の欄を空にしたまま庶務印を押すのは、規程の上ではどうなりますか」
「起案の無い決裁は、成立いたしません」
「成立しないものに、金は」
「動きません。……規程の上では」
「動いております」
「はい」
彼女は、七枚を見た。
「規程の上で動かない金が、二十二年、動いております」
私は書庫の石段に腰を下ろした。腰を下ろすのは、監査官の作法ではない。三日待って、二刻数えて、足が笑っていた。
「テッサ。もう一度、確かめます。この七枚を押した庶務印は、何本ありますか」
「印は一本です。庶務の印は、大司教区にひとつなので」
「では、その印を持ち出せる者は」
「……庶務の長と、猊下です」
私は、そこで筆を止めた。庶務の長は、三年で二度替わっている。替わっても、七枚の様式は一つも変わっていない。変わらないものを決めているのは、替わらない側である。
書庫を出る前に、私はもう一つ数えた。受納簿の欠番は、三年前から昨年までで七箇所である。だが南倉の予算は、二十二年前から出ている。
私は、四年前より古い受納簿を出した。番号は、飛んでいなかった。
「テッサ。四年前より前は、欠番がありません」
「じゃあ、抜いてないんですか」
「抜く必要が無かったのでしょう」
私は古い綴りの、支出の名目の欄を追った。七年前まで、「巡礼路施設維持費」は堂々と載っていた。金額も、通知と一致する。
隠していない。
「……四年前に、何かあったのですね」
私は書いた。書きながら、日付の並びを二度読んだ。欠番が始まるのは、三年前の秋である。
南倉の帳面では、その年に収容が十名を切っている。予算はその前から下がり続け、一人あたりの年額が初年の半分を割ったのも、同じ年だった。
「テッサ。三年前、南倉で何がありましたか」
「……人が、十人より少なくなりました」
「そうです。人が減って、予算はもっと減りました。……減らしすぎると、数字が目立ちます」
「目立つと、どうなるんですか」
「説明を求められます。説明のできない額は、名目を変えるか、番号ごと抜くしかない」
私は綴りを閉じた。
教会おのれを検むるを恐れし日。錠の銘には、そう彫ってあった。この七箇所も、そういう日の記録だと読みたくなる。……だが、違う。
あの方は、検算を恐れてなどいない。減らしすぎたことが数字の上で見えはじめたので、見えない書式へ移した。それだけである。
恐れて隠したのなら、まだ人の話だった。目立つから移したというのは、事務の話である。
――そのほうが、ずっと悪い。
その日の午後、私は公開検分の請求を出した。様式は、公開異端審問のものを使った。
公開異端審問で監査局が使われた側の様式である。あのとき、私たちは審問される側だった。
同じ様式を、こちらから出す。
「監査官」
局長が、請求書に判を押しながら言った。
「公開でやる意味は、分かっとるな」
「記録が残ります」
「それだけか」
「……それだけです」
私は判の押された紙を受け取った。
「猊下は、書面で命じない方です。書面で命じない者を、書面だけで裁くことはできません。ですから、口で言わせます。人前で」
「言うと思うか」
「言われます。あの方は、嘘をおつきになりません」
私は請求書を封に入れた。
「あの方は、嘘をつく必要が無いのです。ご自分のなさったことを、正しいと思っておられますので」
請求は、翌日に受理された。早かった。三日待たされなかった。受理の書面には、猊下の判が押されていた。
拒まれなかったことのほうが、私には不穏だった。
テッサが、受理の書面を覗き込んだ。
「カサンドラ様。これ、罠ですか」
「たぶん」
「じゃあ、やめますか」
「いいえ」
私は書面を綴じた。
「罠は、こちらの手を読んで置くものです。読まれているのなら、こちらの手は正しいということです」
監査官の私的控え——本日の決算。閲覧、三日待ち。抜き取り、七枚。金額、南倉の予算通知と完全一致。起案者、七枚とも空欄。
公開検分を請求し、翌日に受理されました。……次話、二百年で二度目の様式で、猊下に伺います。




