第56話:コレット・ファーブル
聴取は、東の棟の食堂で行った。卓を一つ、窓際に寄せた。私が座り、テッサが写しを取る。ルカ様とジョゼットは、離れた壁際に椅子を置いた。ギヨームは、廊下に立った。中に入らないと言った。
「監査官」
「はい」
「一人ずつ、順に呼べ」
「そのつもりです」
「……飛ばすな」
「飛ばしません」
一人目は、七十を過ぎた男だった。二十四年前に「治癒の聖人」として認定され、十九年前に運ばれてきた。名を訊くと、はっきり答えた。答えたあとで、自分の声に驚いた顔をした。
「久しぶりに、名乗りました」
「よく、名乗られますか」
「……ここでは、要りませんので」
二人目は、六十くらいの女。三人目は、五十代の男。四人目、五人目、六人目。どの人も、名を答え、村を答え、認定の年を答えた。答えられない人は、テッサが帳面の側から読み上げて、うなずいてもらった。
七人目は、字を習ったという二人のうちの一人だった。
「セラフィナ様に、教わりました」
「いつ頃」
「六年前の冬と、五年前の冬。……五年前の冬は、途中で終わりました」
私は書いた。
「その方は、何をお書きになっていましたか」
「わたしらの名前です」
「名前」
「順番に。ここに居る者の名前を、みんな。……あとで、誰かが読むだろうから、って」
私は筆を止めた。
「書いたものは、どこに」
「持っていかれました。……いえ」
女は、少し考えた。
「持っていかれたのは、写しのほうです。もとのは、たぶん、まだ」
「まだ」
「紙の、槽の下です。あの人、そこに入れてました」
私はテッサを見た。テッサは、もう立ち上がっていた。八人目を呼ぶ前に、その紙が出てきた。
漉き場の槽の下、石の隙間に、油紙の包み。
中に、束が一つ。
姉の字だった。
名前が、並んでいる。一枚に十名ずつ。四枚。
三十九名。
私は、六十三枚の紙と突き合わせた。姉が書いた三十九名のうち、三十一名は物故の側に、八名は所在不明の側にあった。
所在不明の十四名のうち、八名の名が、ここで埋まった。そして、束の最後の一枚だけ、様式が違った。
名前ではなく、文章である。
『この帳面を読む人へ。
ここには、名前を言わない子がいます。言わないのではなく、言えないのだと思います。名前を言うと、その名前が帳面に載って、載ると、帳面の側の人になってしまうと、この子は思っています。
だから私は、この子の名前を書きません。書かない代わりに、書いておきます。この子には、兄がいます。
兄の名を、この子は寝言で呼びます。』
私は、その紙を持ったまま、廊下のほうを見た。
ギヨームは、そこにいた。
八人目は、最後に呼んだ。四十に届かないくらいの、痩せた女だった。髪は短く、目は伏せている。麻の服の袖口を、右手でずっと握っていた。
「おかけください」
女は、座った。
「聖務監査局の監査官、カサンドラ・エルローと申します」
女は、答えなかった。
「お名前を、伺いません」
私は、そう言った。
女が、初めて顔を上げた。
「伺わないので、代わりに、当局の記録を読み上げます。間違っていれば、首を振ってください。それだけで結構です」
私は帳面を開いた。
「受理番号、本年度第三号。この夏、当局が判定を出しております」
女の指が、袖口を強く握った。
「検分事項は、ある聖女の『昇天』の真贋でした。判定は、こうです。
――昇天の記録は、不実。
――生死は、保留」
私は顔を上げた。
「この判定を出すとき、当局には、生きているという証拠がありませんでした。ですから保留にしました。……保留は、まだ嘘だと決まっていない、という意味です」
女の肩が、動いた。
「判定の請求人は、実の兄です。当時、異端審問庁の審問官でした。妹御の閲覧を九度請求し、九度却下されております」
私は、そこで一度、間を置いた。
「請求人は、いま、この建物の廊下におります」
女は、動かなかった。
私は続けた。
「請求人は、中に入らないと申しました。理由を訊きましたら、こう答えられました。
『私が先に見れば、私は探す。探せば、他の者の名を飛ばす。六十三名だ。飛ばされる者が出てはいけない』」
女の目が、上がった。私を見たのではない。廊下の方向を、見た。
「……にい、さん」
声は、ほとんど音になっていなかった。
廊下で、床の鳴る音がした。ギヨーム・ファーブルは、食堂の入口で立ち止まり、それから、膝をついた。
定規で引いたような字を書く男が、床に手をついていた。
「コレット」
彼は、一度だけ、そう言った。
私は帳面を閉じた。閉じて、テッサの写しの手も止めさせた。
「テッサ。ここからは、書きません」
「……はい」
「当局は、いま、在八名の生存を確認しました。それが記録です。……それ以上は、私たちの科目ではありません」
中庭に出る前に、ヴァレリーが廊下で待っていた。書字板を胸に抱えている。抱え方が、南街道のときと同じ固さだった。
「監査官どの」
「はい」
「規程では、本日の確認は、本庁へ即日報告すべき事項でございます」
「そうでしょうね」
「……報告いたします」
私は足を止めた。
「白紙で、ですか」
「いいえ」
彼女は、書字板を開いた。
「今日は、書きます。全部、書きます」
「本庁が読めば、八名の移送が先に手配されます。判が下りる前に、別の場所へ移される恐れがあります」
「はい」
「それでも」
「それでも、書きます」
ヴァレリーは、筆を持ち直した。
「白紙にしたのは、書けば人が死ぬ場合でございました。今日は逆です。……八名が生きていることは、本庁が知らねばなりません。知らぬままにしておくと、この八名は『所在不明』のまま、いつでも消せます」
私は、その言い分を三度、頭の中で検算した。
合っていた。
「ヴァレリーさん。写しを一部、当局にください」
「規程どおり、請求があれば交付いたします」
「請求します。口頭で」
「……口頭は、規程の上では存在しません」
彼女は、そこで初めて、少しだけ笑った。
「ですから、私が書いておきます。『監査官より口頭の請求あり』と」
私たちは、食堂を出た。
中庭に出ると、日が高かった。ジョゼットが、井戸の縁に座って、こちらを見ていた。
「……終わりましたか」
「終わっておりません。始まったところです」
「はい」
ジョゼットは、井戸のほうを見た。
「あの人たち、外に出られますか」
「出られます。ただし、判が要ります」
「誰の判ですか」
私は、門柱に貼った紙のほうを見た。あの紙は、まだそこにある。誰も破らなかった。
「大司教区のものです」
私は帳面を開き、新しい頁に日付を書いた。
「――王都へ、戻ります」
監査官の私的控え——本日の決算。聴取、八名。所在不明十四名のうち八名の名を、故人の手記により特定。生存確認、八名。
受理第三号の「生死は保留」を、本日、解きます。……次話、王都へ戻ります。八名を出すのに要る判は、一つしかございません。




