第50話:受理番号第二号、部分判定
判定は、出張所の一階で行った。立会は、イレールと書記が二人。当局側は私とテッサ。ヴァレリーが壁際に立ち、ルカ様とジョゼットは、扉の内側に並んで座った。
私は帳面を開いた。
「受理番号、本年度第九号。検分事項、本庁認定課による治癒名簿の閲覧封鎖の適法性」
紙の音が、石の床に響いた。
「検分の結果。
一、封鎖の様式に理由の記載欄が無い。封鎖は課長の判のみで成立する。
二、五年前の封鎖十二件は、いずれも書面によらない指示に基づく。指示者は特定できない。
三、封鎖された十二件のうち四件は、白のルカの認定より前の日付である。すなわち当該名簿は、白のルカの治癒の記録ではないものを含む。
四、十二件の裏面には母の名を記す列がある。うち四件に記載があり、二件が同一の名である。当該名は殉教者台帳に記載がある。
五、封鎖の目的は治癒の追跡ではなく、血縁の照合である。
――判定」
私は封蝋刀を取った。
「閲覧封鎖は全面不実と認める。封鎖を解除。当該十二件は本人および遺族の請求により閲覧に供する。理由欄を欠く封鎖の様式は、以後、当局の検分対象とする。
課長イレールは、書面によらない指示に基づき判を押した責を負う。職務停止」
赤の蝋を溶かし、書棚の扉に封を打った。
イレールは、判を見ていた。
「……監査官どの。一つ、伺ってよろしいか」
「どうぞ」
「私は、何を間違えたのでしょう」
書記の一人が、筆を止めた。
「記録は、正しく作ってまいりました。字も、日付も、書式も。……巡察が零であったことも、正しく記録してあります」
「ええ」
「では、何を」
私は帳面を閉じた。
「正しく記録することと、記録が正しいことは、別の科目です」
「……」
「あなたは前者を十年おやりになりました。後者を検める役は、あなたの役所には置かれていない。それは、あなたの罪ではありません。ですが、置かれていないことに十年気づかなかったのは、あなたの職務です」
男は、しばらく黙っていた。
「……保管していただけです」
彼は、そう言った。謝罪ではなかった。この人は最後まで謝らなかった。私は、謝罪を求めていない。求めているのは訂正である。
私は次の頁を開いた。
「続いて、受理番号、本年度第二号。検分事項、『白のルカ』の真贋」
部屋の空気が、変わった。ルカ様が、扉の内側で少し姿勢を正したのが、視界の端に見えた。
「検分の結果。
一、治癒行為の実在——承認。記録三百件。うち当局が実見した二十七件を含む。
二、治癒の対価の受領——無し。認定から十年、一銭も受領していない。
三、力の由来——血統に由来する体質と認める。教会は当該血統を把握しており、被監査人はその把握の下で発見された。
四、当該事実は、被監査人本人に告知されていなかった。
――判定」
私は、そこで一度、間を置いた。
「聖性の真贋については、判定不能とする」
書記の筆が、止まった。
「理由。聖性という科目が、当局の帳簿に存在しないため」
イレールが、顔を上げた。
「監査官どの。それは、判定になりますか」
「なります。検算のできない科目を、できないと書くのは監査の作法です。できないものを、できたことにするのが不実です」
私は続けた。
「よって、受理第二号の検分は、以下のとおり組み替える。
新たな検分事項——一、当該者が自らの意思で力を行使しないことを選べるか。二、当該者が自らの記録を自ら保てるか。第一項について、本日までに一件の実例を確認した」
ルカ様が、こちらを見ていた。
「第二項について。当該者は、認定から十年、治癒三百件の日付と相手を記憶しており、当局の照会に一度も誤答していない。……これを、記録の保持と認める」
私は封蝋刀を取り、白の蝋を溶かした。
「――人としては、本物」
白の封を、判定書に打った。白は、適正の色である。何の罪も認めない色。二百年の様式の中で、人の判定に白が打たれたのは、たぶんこれが初めてだった。
部屋は、静かだった。
ルカ様は、立ち上がっていた。いつ立ったのかは、分からない。
「監査官どの」
「はい」
「今日の私は、何点でしたか」
私は判定書を差し出した。
「白です」
「……白」
「保留ではありません。適正です。ただし、あなたが十年訊いてこられた問いには、答えておりません」
「はい」
「あの問いは、当局の帳簿では答えが出ません。ですから、帳簿のほうを増やします。今日から二つ、検分事項が増えました。期限は」
私は帳面を閉じた。
「定めておりません」
ルカ様は、判定書を受け取った。受け取って、両手で持って、それから、額のところまで持ち上げた。祈るときの形だった。この人が、自分のために祈るのを、私は初めて見た。
「……ありがとうございます」
「礼は不要です。判定は業務です」
「では、業務として受け取ります」
彼は判定書を下ろし、笑った。
テッサが、判定書の控えを綴じながら、袖で目をこすっていた。
「泣かないでください。控えが滲みます」
「……泣いてないです」
「滲んでおります」
「これは、汗です」
この子は、拾った日から同じ嘘をつく。上達しない嘘である。
ジョゼットが、扉の内側から控えを覗き込んでいた。
「白って、いい色なんですか」
「適正の色です。何も咎めるところが無い、という色です」
「……わたしにも、いつか打ちますか」
「打ちます」
私は封蝋刀を仕舞った。
「ただし、白を打つには、検分を終えなければなりません。あなたの受理は第八号、期限は定めておりません。急ぎませんが、必ず終わらせます」
「はい」
「それまでは、赤も灰も打ちません。あなたは、まだ検分の途中です」
ジョゼットは、うなずいた。うなずいてから、テッサの袖を引いた。
「あの人、汗じゃなくて涙です」
「ちょ、」
「……嘘は、良くないと思います」
書記の一人が、堪えきれずに小さく咳をした。判定の場で笑いが起きるのは、当局の記録では初めてかもしれない。私は、それも書かなかった。
その日の夕方、私は封鎖の解除を書式に落とし、十二件の所在を確定させる作業に戻った。八件までは、前日に埋まっている。残る四件のうち、三件は当日中に埋まった。二件が物故、一件が転出。
最後の一件が、埋まらなかった。
私は、教区の人別の綴りを三度繰った。三度目に、綴りの末尾の別紙に気づいた。人別の外に置かれた、一枚の付箋である。
名前。年齢。村。そして、所在の欄。欄には、一文字だけ書いてあった。
――『在』。
「イレールどの。この『在』は、どこの在ですか」
職務停止になった男は、書棚の前に立ったまま、その付箋を見た。
「……存じません」
「様式では、所在の欄には地名を書きます」
「はい」
「地名の代わりに『在』と書くのは、どういう場合ですか」
男は、長いこと黙っていた。
「書ける地名が、無い場合です」
監査官の私的控え——本日の決算。判定、二件。封鎖解除、十二件。職務停止、一件。
受理第二号に、白の封を打ちました。人に白を打ったのは、当局の記録では初めてです。……次話、南へ発ちます。所在の欄に、地名の書けない場所があるそうです。




