第48話:白の母
照合そのものは、四半刻で終わった。殉教者台帳の写しは、当局が保全のときに全頁を取ってある。私は最古の側の頁を開いた。
アニェス。認定、二十六年前。興行地の列、四行。献納の累計、金貨三千二百枚。最後の行に、日付と朱の判。
『回収済』。十九年前。
治癒名簿の抜き、三枚目と四枚目。母の名、アニェス。村、南街道の先。年、十一年前。
合わない。
母が回収されたのは十九年前で、治癒を受けたのは十一年前である。数字としては何の矛盾もない。子が生まれてから母が回収されるまでの間に、八年ある。
合わないのは、私のほうだった。私は無意識に、回収された者に子がいないものと思っていた。
「テッサ」
「はい」
「アニェスの頁の、興行地の四行を読んでください」
「王都。……それから、南街道の先。三年。次も、南街道の先。二年。最後、南倉」
私は筆を止めた。
「最後の行に、南倉と書いてありますか」
「はい。興行地の列の、いちばん下です」
興行地の列に、南倉が入っている。備考ではなく、興行地としてである。あそこは、運ぶ先であると同時に、興行の場でもあった。
私は書いた。書いた行の意味を、しばらく測っていた。治癒名簿の三枚目と四枚目は、南街道の先の村で、十一年前に治癒を受けた者である。
アニェスがその村で興行していたのは、十九年前から数えて、五年前から二年前まで。子がいたなら、その村で育っている。
――ルカ様は、二十歳。十歳で発見された。十年前である。
治癒名簿の二人が治癒を受けたのは、十一年前。ルカ様が発見される、一年前。
私は、そこで手を止めた。十一年前、その村で誰かが治していた。ルカ様ではない。ルカ様はまだ発見されていない。
「……テッサ。三枚目と四枚目の、治癒の日付を」
「十一年前の、秋です。二人とも、同じ月」
「治した者の名は」
「書いてないです。治癒名簿は、白のルカ様の名簿なので、治した人の欄がありません」
名簿の様式が、そこで嘘をついていた。
白のルカの治癒名簿に綴じられている以上、治したのは白のルカである。そう読めるように綴じてある。だが日付は、認定の一年前だった。
私は十二枚を、日付順に並べ直した。三百人分の本体は、すべて認定後である。封鎖された十二枚のうち、四枚だけが、認定前だった。
四枚。母の名が埋まっている四枚と、同じ四枚である。
イレールを呼んだ。
「この四枚は、白のルカの治癒ではありませんね」
「……日付を見れば、そうなります」
「では、誰の治癒ですか」
「名簿には、書かれておりません」
「書かれていないものを、なぜ白のルカの名簿に綴じたのですか」
「綴じよ、と」
「口頭で」
「口頭で」
私は、その日五度目の口頭を書いた。
昼過ぎ、私は宿へ戻った。
ルカ様は、卓に座っていた。ジョゼットが隣で、テッサに字を教わっている。教わっている側のほうが字が上手いので、教えるほうが必死だった。
私は、二人に外を歩いてくるよう頼んだ。テッサは、何も訊かずにジョゼットの手を引いて出て行った。この子は、そういうことが分かる。
二人になった。
「ルカ様」
「はい」
「検分の結果を、申し上げます」
私は帳面を開いた。開いてから、読み上げる前に一度、閉じた。閉じたのは、この人の顔を見るためである。
書式どおりに読み上げれば、私は楽になる。楽になる読み方は、この人のためではない。
「あなたの出自について、当局は次のとおり検分しました」
私は、順に置いた。
一、孤児院の名簿の紙は、孤児院の紙ではない。殉教者台帳と同じ工房の紙である。
二、その孤児院は、あなたの登載の翌年に閉鎖され、移送先の記録が無い。
三、封鎖されていた治癒名簿十二枚のうち四枚は、あなたの認定より前の日付である。
四、四枚の裏には、母の名を書く列がある。うち二枚に、同じ名がある。
五、その名は、殉教者台帳の記載にある。アニェス。回収済、十九年前。興行地の最後は、南倉。
ルカ様は、動かなかった。
「……私の、母ですか」
「断定はできません。当局は、いま四つの一致を数えました。紙、日付、名、そして、村です」
「四つ」
「四つです。三つなら、私はまだ申し上げませんでした」
聖人は、自分の掌を見た。いつもの癖である。だが今日は、掌を見たあとで、裏返した。
「監査官どの。……私の力は、本物ですか」
「本物です。三百件の記録があります」
「聖なるものですか」
「分かりません」
「では、なぜ私に出るのですか」
私は答えを持っていた。
持っていたので、言った。持っている答えを渡さないのは、この人に対する礼儀ではない。
「血です」
窓の外で、犬が鳴いた。さっきと同じ犬だった。
「教会は、力の出る血筋を探していました。封鎖の十二枚は、その照合表です。徴候の欄と、母の欄が、そのためにあります。……あなたは、十歳で発見されたのではありません。見つける前から、名簿の側にいた」
ルカ様は、しばらく黙っていた。
それから、笑った。
いつもの、柔らかい笑い方だった。柔らかいのに、目の底が抜けていた。
「では、私は本物ですね」
「ルカ様」
「本物の、家畜でした」
私は、その一言を書かなかった。書かなかったのは、判定に載らないからではない。載せてはならないと思ったからである。
「訂正します」
私は言った。
「家畜には、名簿がありません。台帳があります。名簿は、名前で数える書式です」
「……同じことでしょう」
「違います。あなたの名簿には、あなたが治した三百人の名前が書いてあります。あれは、あなたが数えられた記録ではありません。あなたが数えた記録です」
聖人は、こちらを見た。
「三百人分、あなたが治した日付を、あなたが覚えている。私は受理以来、あなたに訊いて、一度も答えを間違えられたことがありません。……家畜は、自分の治した相手を覚えません」
ルカ様は、口を開いて、閉じた。それから、掌を膝の上に置いた。裏返さずに、置いた。
「……監査官どの」
「はい」
「今日の私は、何点でしたか」
私は帳面を開いた。
「採点できません」
「保留ですか」
「いいえ。今日は、採点の様式のほうが間違っております」
私は筆を執り、判定書ではなく、白紙のほうに書いた。
「作り直します。少し、お時間をいただきます」
監査官の私的控え——本日の決算。照合、四件一致(紙・日付・名・村)。認定前の治癒、四件。母の名、一件(アニェス/回収済・十九年前)。
被監査人は、ご自分を家畜だとおっしゃいました。当局は、その語を記録に採りませんでした。……次話、採点の様式を作り直します。




