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教会監査人は聖女を信じない 〜婚約破棄された検算令嬢、奇跡の「領収書」を拝見します〜  作者: 小鳥遊ミント
第8章 白の出自編

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第47話:血の帳簿

 受理の書式は、朝のうちに整えた。


 受理番号、本年度第九号。検分事項、本庁認定課による治癒名簿の閲覧封鎖の適法性。


 封鎖の紙が貼られたのは、五年前である。ルカ様の治癒の記録、三百人分。そのうち十二名分にだけ、「閲覧封鎖。本庁認定課の許可なく開封を禁ず」の紙が貼られている。


 見つけてから、私はこれを開けられずにいた。開ける根拠が無かったからである。今日は、ある。


「イレールどの。封鎖の権者は、本庁認定課ですね」

「そうです」

「封鎖の理由は、記録されておりますか」

「……理由の欄は、ございません」

「様式に、無いのですか」

「ございません。封鎖は、課長の判で足ります」


 私は書いた。理由欄なし。判のみ。


「では、当時の課長はどなたですか」

「前任です。六年前に退任しております」

「その方の後任は」

「私です」

「では、五年前の封鎖は」


 イレールは、そこで初めて、少し遅れた。


「……私の判です」


 書斎の光が、朝から昼へ動いていた。


「理由をご記憶ですか」

「記憶しております」

「伺います」

「上から、そうせよと」


 私は筆を止めなかった。止めると、この人が言い直す隙ができる。


「書面で来ましたか」

「いいえ」

「口頭ですね」

「口頭です」


 三度目である。

 第一巡礼区の焼却も、札の割り込みも、この封鎖も、書面で来ていない。


「イレールどの。封鎖の中身を、あなたはご覧になりましたか」

「見ました。封をする前に、一度」

「では、開けます。当局の請求に基づき、開封を」

「……承知しました」


 男は、書棚の一番下から、鍵のかかる箱を出した。鍵は、彼の腰に下がっていた。ずっと下がっていた。


 十二枚の紙が出てきた。


 治癒名簿の抜きである。名前、村、年齢、治癒の日付、症状。三百人の記録と、書式は同じである。同じなのに、一つだけ列が多かった。


 右端に、細い列が引いてある。列の頭に、二文字。


 『徴候けとう


「イレールどの。この列は」

「……治癒の後に、当人に現れた変化を記す欄です」

「変化」

「治癒を受けた者のうち、ごく稀に、微弱な力が出ることがあります。他人の痛みの場所が分かる、というような。……力とも呼べないほどのものです」


 私は十二枚を並べた。


 十二名の徴候欄には、それぞれ短い記載があった。「痛所の指摘、三度」「熱の予見、一度」「不明」「なし」「なし」――記載のある者が六名、無い者が六名。


「なしの者も、封鎖されておりますね」

「はい」

「なぜです」

「照合するためです」


 私は顔を上げた。


「照合、とは」

「徴候が出る者と、出ない者の違いを見るためです。……封鎖は、隠すためではなく、揃えておくために行います。散らばると、比べられませんので」


 この人は、いま、恐ろしいことを事務語で言った。言った本人が、それを恐ろしいと思っていない。


「イレールどの。何と何を、比べておられたのですか」


 男は、答えなかった。答えの代わりに、十二枚を裏返した。紙の裏に、欄外の書き込みがあった。十二枚とも、同じ位置に、同じ様式で。


 ――『母』。


 その下に、名前の書ける空白が引いてある。十二枚のうち、埋まっているのは四枚だった。


 私は四枚を読んだ。


 一枚目、母の名なし。「不明。孤」。二枚目、「マルグリット」。三枚目、「アニェス」。四枚目、「アニェス」。


 二枚に、同じ名前が入っていた。


 私は、手帳を開いた。公開審問の日に書き取った四つの名前が、そこにある。消えた聖女たち。アニェス。マルグリット。セラフィナ。コレット。


 殉教者台帳の、最も古い側の名前である。


「テッサ」

「……はい」

「三枚目と四枚目の、村と年を読んでください」

「三枚目、南街道の先、十一年前。四枚目、同じ村、十一年前」

「同じ村の、同じ年」

「はい。……兄妹かもしれません」


 私は書いた。書いてから、書いた行の上下を見た。これは治癒の名簿ではない。治した者の記録ではなく、治した者と血の繋がった者を探す記録である。


 教会は、力を持つ者を認定していたのではない。力の出る血筋を、探していた。


「イレールどの」

「はい」

「この十二名は、白のルカに治された者ですね」

「そうです」

「ですが、封鎖の目的は、治癒の追跡ではありません」

「……はい」

「血縁の照合ですね」


 男は、しばらく黙っていた。


「――そう聞いております」

「誰から」

「上から」

「口頭で」

「口頭で」


 私は封鎖の紙を、十二枚とも剥がした。剥がした紙は捨てず、日付を入れて綴じた。剥がした紙も記録である。


 私は十二名の所在を、順に確かめた。


 村名と年から、生死と居所を割り出す。名簿にはそこまで書かれていないので、教区の人別の綴りと突き合わせる作業になる。イレールは、嫌な顔をせずに綴りを出してきた。この人は、頼まれた仕事は必ずする。


 半日かかって、十二名のうち八名までが埋まった。二名、物故。四名、居所そのまま。二名、転出。転出の二名は、いずれも「療養」名目で南へ移されていた。織工モーリスと、同じ書き方である。


「イレールどの。療養の移送先は」

「記載がございません」

「移送を決めたのは」

「……上です」

「書面は」

「ございません」


 四度目である。私はもう驚かなくなっていた。驚かなくなるのは、危ない徴なので、帳面の端に印を付けておいた。


 残る四名の所在は、その日のうちには埋まらなかった。埋まらないまま、私は空欄に印を付けた。空欄は、埋まらないことそれ自体が記録になる。


 戸口に、ルカ様が立っていた。いつから立っていたのかは、訊かなかった。


「監査官どの」

「はい」

「その紙の、三枚目と四枚目を、見せていただけますか」


 私は渡した。

 聖人は、二枚を並べて、長く見ていた。


「……南街道の先の村です」

「ご存じですか」

「いいえ」


 彼は紙を返した。


「知りません。知りませんが、私の名簿の紙と、同じ透かしがあります」


 私は二枚を光に当てた。二重の輪。輪の中に、線が三本。治癒名簿の抜きは、本庁の様式で書かれている。書かれた紙だけが、本庁の紙ではない。


「イレールどの。この十二枚の用紙は、どこから支給されますか」

「当課の消耗品は、本庁の用度で一括して」

「ですが、この紙は本庁の透かしではありません」

「……はい」

「あなたは、五年前にこの十二枚を封じるとき、紙をご覧になりましたか」

「見ました。中身は、と申し上げましたが」


 男は、そこで初めて、自分の指先を見た。


「紙は、見ておりませんでした」


 私は書いた。

 この人は、十年、記録を正しく保ってきた。字の正しさだけを見て、紙を見ずに。


「イレールどの。記録が正しく保たれる、というのは」

「……字が、でございましょうか」

「私は、紙も含むと考えます。誰が漉いた紙に、誰が書いたか。それも記録です」


 男は答えなかった。答えなかったが、書棚の紙束を一つ抜いて、光に透かした。透かして、しばらく見ていた。


 自分の役所の紙の簀の目を、この人はたぶん、その日初めて数えた。

監査官の私的控え——本日の決算。受理、第九号。開封、十二件。封鎖の紙、十二枚(保存)。徴候欄、記載六件。

名簿の裏に、母の名を書く列がございました。十二枚のうち四枚が埋まり、うち二枚が同じ名でした。……次話、その名を、台帳の側から引きます。

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