第46話:十歳より前
紙は、窓の光に透かして検める。
テッサが名簿を持ち上げ、私が背後から光の側に立った。繊維の走りが見える。漉きの筋が見える。そして、簀の目の間隔が見える。
「……七本です」
テッサが言った。
「一寸に、簀の目が七本。孤児院の帳面は、九本でした。届出の綴りに、二枚だけ挟まってましたので」
「同じ工房の紙ではない、ということですね」
「はい。それと、こっち、透かしがあります」
私は角度を変えた。薄く、二重の輪のような形が浮かんだ。輪の中に、線が三本。
「イレールどの。この透かしを、ご存じですか」
「……いえ」
「本庁の用紙ではありませんか」
「本庁の透かしは、天秤と羽根ペンです。監査官どのの記章と同じ図です。これは違います」
男は初めて、簿冊から手を離した。
「妙ですな。孤児院の届出に、孤児院でない紙が使われている」
「妙だとお思いになりますか」
「思います。……記録としては、汚れております」
この人の「汚れ」は、いつも書式の話である。だがこの日は、汚れという語が、はじめて別の意味に聞こえた。
私は、荷から自分の写しの束を出した。
殉教者台帳を保全したとき、私は表紙と凡例と、姉の頁を写した。写しは紙に取ったが、そのとき、台帳そのものの紙も一枚、剥がれかけの裏打ちから採ってある。監査の作法である。物証の紙は、字より長く語ることがある。
その一片を、名簿の隣に置いた。
簀の目、七本。
二重の輪。輪の中に、線が三本。
同じだった。
「テッサ」
「……はい。同じです。同じ工房の紙です」
書斎の空気が、動かなくなった。
「監査官どの」
イレールが、静かに言った。
「その一片は、何の紙ですか」
「当局が保全中の帳簿の紙です」
「どの帳簿ですか」
「お答えできません」
私は写しを仕舞った。この人は、まだ南倉を知らない。知らない人に先に教えると、教えた相手を通じて向こうへ伝わる。
「イレールどの。孤児院の名は、王都西の聖アニュス孤児院とあります。現在は」
「閉鎖しております」
「いつ」
「……お待ちを」
男は書棚から別の綴りを抜いた。教区の施設台帳である。指が、背の年号を三つ数えた。
「九年前の春。閉鎖」
「登載は十年前の春です」
「はい」
「一年です」
私は帳面に書いた。
子供を一人出した翌年に、その子の出てきた場所が閉じている。王都でも、私は同じ形を三度見た。証人が消える。台帳が焼ける。工房が畳まれる。
消えるものには、順番がある。順番があるということは、消す者がいるということである。
「閉鎖の理由は」
「……記載がありません」
「収容していた子供たちは」
「他の施設へ移送、とあります。移送先の記載は」
イレールは、頁を繰った。繰る手が、少し速くなっていた。
「……ございません」
私は書いた。
書きながら、この人の速くなった手を見ていた。この人は隠していない。隠していないのに、記録が欠けている。欠けている記録を作ったのは、この人の前任者か、あるいはこの人の上である。
「イレールどの。一つ、伺います」
「はい」
「あなたは、記録が正しく作られ、正しく保たれることが仕事だとおっしゃいました」
「申しました」
「では、いま欠けている二つ——閉鎖の理由と、移送先——は、あなたの仕事の欠けですか」
「……そうなります」
「その欠けを、あなたは今日まで、ご存じでしたか」
男は、答えなかった。
答えないのは、この人にしては珍しかった。
ヴァレリーは、出張所を出るまで一言も喋らなかった。通りに出てから、彼女は足を止めた。
「監査官どの。規程の確認を、一つ」
「どうぞ」
「施設を閉鎖する場合、収容者の移送先は台帳に記載しなければなりません。第六編、第二十二条です」
「記載がありませんでした」
「はい。……記載の無い閉鎖は、規程上、閉鎖として成立しておりません」
私は足を止めた。
「成立していない、とは」
「その施設は、規程の上では、いまも開いていることになります」
言われて、私は九年前の春を書き直した。閉鎖ではない。閉じたことにされた、でもない。――規程の上では、まだ開いている施設が、九年間、誰にも数えられずにある。
「ヴァレリーさん。それは、どこかに帳簿があるということですか」
「規程では、開いている施設には、毎年の収容者数の報告義務がございます」
「報告は」
「……本庁に、届いていると思います」
彼女は、そこで書字板を開いた。
「監査官どの。私は、その報告を見たことがございません。ですが、見たことが無いということは、無いということではありません」
「本庁に照会しますか」
「いいえ」ヴァレリーは首を振った。「照会を出せば、届く前に片付けられます。……焼けた四つの倉が、そうであったように」
この人は、いま、規程の外側の話をしていた。規程の外側で口が回り出したら、それはもう、こちらの側の人間である。私はそれを言わなかった。言うと、この人は規程に戻ってしまう。
その夜、宿の卓に、三つの紙を並べた。孤児院の名簿。殉教者台帳の裏打ちの一片。そして、認定書の控え。
ルカ様は、名簿を長く見ていた。自分の名前が、上から九番目にある紙である。
「監査官どの」
「はい」
「この紙は、私が最初に載った紙です」
「ええ」
「私は、この紙を十年、自分の生まれた場所の紙だと思っておりました」
「……」
「違うのですね」
私は、答えを選ばなかった。選ぶと、この人に嘘をつくことになる。
「違います。この紙は、あなたが引き取られた場所の紙ではありません。あなたを引き取りに来た側が、持ってきた紙です」
ルカ様は、名簿を置いた。それから、自分の掌を見た。
「では、私は、孤児院で見つかったのではなく」
「そこへ、置かれた」
窓の外で、宿の犬が鳴いた。テッサが、こちらを見ないまま、写しの端を揃えていた。この子は、気まずいときに紙の端を揃える。
「監査官どの。……ジョゼットさんは、いま、どこに」
ルカ様が訊いた。
「隣の部屋で寝ております」
「そうですか」
聖人は、少しだけ息を吐いた。
「よかった」
「なぜ、いま、あの子のことを」
「私と同じ道を、あの子が通らずに済んだので」
私は、その一行を書いた。書いてから、判定に載らない一行だと気づいた。載らないが、消さなかった。消さない紙が、この二十日で四枚になった。
深夜、私はもう一度、透かしを光に当てた。二重の輪。中に、線が三本。輪は倉の形にも見えるし、井戸の口にも見える。線が三本あるのは、たぶん、三棟だからだ。
紙を作った工房は、その建物の中か、すぐ隣にある。紙は、遠くまでは運ばない。重いからである。
私は地図を開き、南街道の先に指を置いた。
監査官の私的控え——本日の決算。簀の目、七本(一致)。透かし、二重の輪・線三本(一致)。孤児院、閉鎖(登載の翌年)。移送先、記載なし。
被監査人の最も古い記録は、被監査人の生まれた場所の紙ではありませんでした。……次話、封鎖された十二名を開けます。




