第44話:預かり証
夜中に、戸を叩く音がした。
ルカ様だった。手に、綴りを一つ持っている。自分の監査綴りである。受理番号第二号。この数月、私が書き足してきた紙の束だ。
「監査官どの。起きておられましたか」
「起きておりました」
「では、一つ、申し上げたいことが」
聖人は、綴りを卓に置いた。
「私は、この春に、自分を検めてくださいと申しました」
「ええ」
「あのとき、当局は私を受理しました。……私の身柄は、いま、どこに属しておりますか」
私は綴りの表紙を見た。
「受理第二号、被監査人。所属は、大聖堂です。ですが、監査の継続中は、当局の呼び出しに応じる義務があり、当局の許可なく王都を離れられません」
「では、私は」
「実務としては、当局が預かっております」
言ってから、私は自分の言葉を聞き返した。
「――預かって、おります」
ルカ様が、うなずいた。
「私は、教会の資産です。認定された聖人は、名簿に載っております。ですがあの日から、私の身柄は監査の様式の中にあります。……検分が終わるまで、誰も私を動かせない」
「ええ」
「その様式は、私にしか使えないものですか」
私は立ち上がった。
卓の上の白紙を引き寄せ、受理簿の様式を書き出した。受理番号。検分事項。被監査人。検分の期限。
被監査人。
当局が検める対象であり、当局の管理下に置かれる者。人である。物ではない。様式の中で、人は「身柄」ではなく「検分事項」になる。
「テッサ」
隣の部屋の戸が、すぐに開いた。この子は、たぶん寝ていなかった。
「はい」
「白紙をあるだけ。それと、受理簿の控えを」
「はい」
夜が明けるまでに、私は三つの条を確かめた。
一つ。当局は、真贋の検分を請求された者を、被監査人として受理できる。請求は本人からでも、第三者からでも構わない。前例は受理第二号。
二つ。被監査人は、検分の継続中、当局の管理下に置かれる。教区も、本庁も、被監査人を任意に動かせない。前例は受理第二号。
三つ。検分の期限は、事案の性質により定めない場合がある。前例は受理第五号――消えた聖女六十三名の行方。期限、なし。
三つとも、前例がある。前例のある三つを重ねただけの様式は、新しい様式ではない。既にあるものの組み合わせである。
組み合わせを禁じる条は、無かった。
朝、私は小屋へ行った。
ジョゼットは、戸口に座っていた。今日も列ができている。私は列の脇に膝をつき、目の高さを合わせた。
「ジョゼットさん。一つ、伺います」
「……はい」
「あなたは、ご自分が本物かどうか、知りたいですか」
子供は、しばらく私を見ていた。
「……知りたいです」
「なぜですか」
「治らなかった人が、帰るとき。あの人たちに、わたしのせいですって言っていいのか、わからないので」
私は帳面を開いた。
「では、請求を受けます」
書式は、昨夜のうちに整えてある。
私は読み上げた。
「受理番号、本年度第八号。検分事項、ジョゼットの治癒能力の真贋。請求人、本人。被監査人、同。検分の期限、定めず」
列の誰も、動かなかった。
「被監査人は、検分の継続中、聖務監査局の管理下に置かれます。教区は、被監査人を任意に動かすことができません。祭りにも、神輿にも、乗せられません。乗せる場合は、当局の許可が要ります」
私は書面に判を押した。白の蝋である。適正。何の罪も認めていないという色だ。
ドナシアンは、司教館の窓からそれを見ていた。私は坂を上り、書面の写しを渡した。
「……人を、押収なさるのか」
彼は、そう言った。
「押収ではありません。受理です」
「同じことでしょう」
「違います。押収した物は、当局が処分します。受理した者は、当局が検めます。……そして検めた結果は、本人に渡します」
ドナシアンは、写しを見ていた。
「検分が終わったら、あの子はどうなる」
「分かりません」
「分からぬのに、預かるのか」
「分からないので、預かります」
私は記章を外套に留め直した。
「あなたのおっしゃった行き場のことは、判定とは別の科目です。別の科目ですが、無い科目ではありません。……期限を定めなかったのは、そのためです」
ヴァレリーは、受理の場に立ち会っていた。書字板を開いたまま、一度も止めずに書いていた。
「監査官どの。この受理は、規程のどの条に拠りますか」
「三つです。第二号の前例、被監査人の管理の条、そして期限を定めない場合の条」
「……三つとも、既存の条でございますね」
「ええ。組み合わせを禁じる条が、無かったので」
彼女は、書き終えて筆を置いた。
「規程を、こういう使い方をなさる方は、初めてです」
「本庁は、認めないでしょうか」
「認めないと思います。……ですが、否とする条も、たぶん、ございません」
その日の午後、小屋の前の列は解散した。解散させたのは、当局の書面ではない。ジョゼット本人が、列の先頭の男に言ったからである。
「……ごめんなさい。しばらく、検めてもらうので」
男は、うなずいて帰った。列の後ろの者も、順に帰った。誰も怒らなかった。
私は、その一部始終を書いた。
夕方、馬車に荷を積み直した。人が一人増えると、荷の置き方が変わる。テッサが積み替えを仕切った。
「ジョゼット様、こっち座ってください。窓側です」
「……様は、やめてください」
「じゃあ、ジョゼットさん」
「……はい」
子供は、麻の服のまま乗った。白い衣は、小屋に置いてきた。金の輪は、教区の財産なので置いていくよう私が言った。
「ルカ様」
馬車の脇で、私は聖人に言った。
「昨夜のことですが」
「はい」
「あなたは、ご自分の前例を差し出されました。あれは、あなたがご自分から差し出した、たった一つのものです」
「はい」
「なぜ、そうなさったのですか」
ルカ様は、少し考えた。
「十三のとき、私を預かってくれる様式が、どこにもありませんでした」
それだけ言って、乗り込んだ。
谷を出るとき、私は一度だけ振り返った。白木の小屋の戸に、赤の封が貼ってある。その脇に、白の封が一枚。同じ日に、同じ場所に、二色の判が並んでいるのは、当局の記録では初めてのはずである。
馬車の中で、ジョゼットが荷の間から一枚の紙を出した。テッサが書いた、滲んだ名前の紙だった。
「これ、貰っていいですか」
「あ、それ、下手なやつです」
「……下手なほうが、いいです」
私は書かなかった。書かないと決めたものが、この二十日で三つになった。
夜、宿の卓で、私はジョゼットの認定書の写しを開いた。三年前、教区が本庁へ出した事前届出の控えである。
後見人の欄に、署名があった。定規で引いたような字ではない。傾きの浅い、几帳面な、けれど少し右上がりの字。
その字を、私は知っていた。どこで見たのか、しばらく思い出せなかった。思い出したのは、灯りを消してからである。
ルカ様の、認定書だった。
監査官の私的控え——本日の決算。受理、第八号(白の封)。被監査人、一名。荷、一人分増。金の輪、返却。
様式は、作りませんでした。前からあったものを三つ重ねただけです。……次話、認定書の後見人の欄を、二枚並べて検めます。




