第43話:帳簿は、人を助けない
判定は、広場で行った。
台は、較べのときのものを片方だけ残した。低いほうである。私は台に乗らず、地面に立って読み上げた。
「受理番号、本年度第七号。検分事項、サン=ヴレー教区における『生き神』の真贋および収支」
人が集まっていた。較べの日より多い。
「検分の結果。
一、当該児は本庁認定課の候補者名簿に三年前より登載済み。よって当該行事は教区の内部行為ではなく、本庁の管理下にある。
二、施術の場に用いられた蝋燭は特注、月に八十本。当教区が聖務に用いる数の四倍。
三、香油は聖香油として記帳されるも、実物は興行用と同種。眠気を催す成分を含む。
四、施術を受ける者を定める札は、前日の夕刻に六枚が一括して交付。交付先は同一の村。並んだ順ではない。
五、較べにおける治癒は、当方二十二件、当該児四件。四件のうち三件は薬効・自然経過・思い込みで説明が付く。
六、三月の収入、金貨四百三十八枚。当該児に配された衣食住の費えは、同期間で銀貨二十枚相当。
――判定」
封蝋刀を取った。
「当該行事における『生き神』の呼称および奉献の徴収は、全面不実と認める。行事を解体。蝋燭・香油の発注を停止。札の交付を廃止。三月分の収入は返還または巡礼路の施療に充当し、支出簿を毎月開示。司教代理ドナシアンは職務停止」
赤の蝋を溶かし、小屋の戸に封を打った。小屋の戸に打つ判は、いつもより軽く感じた。板が薄いからである。
「以上」
拍手は、起きなかった。
起きない理由も、私には分かっていた。人々は、判定の続きを待っていたのである。
――で、あの子はどうなるのか。
ドナシアンは、封の前から動かなかった。
「監査官どの。一つ、伺ってよろしいか」
「どうぞ」
「あの子の身柄は、どうなりますな」
「行事が解体された以上、当該児は教区の保護下に戻ります」
「私の、ということですかな」
「あなたは職務停止です。教区の、です」
ドナシアンは、うなずいた。うなずいて、微笑んだ。その微笑みが、この二十日で一番、腹の底に来た。
「では、明日から、あの子は教区の孤児です。……教区は、孤児を保護します。保護の仕方は、教区が決めます」
「保護の名目で、また台に乗せることはできません。行事は解体しました」
「行事は、ですな」
彼は封蝋の跡を、指で撫でた。
「祭りは行事です。ですが、祈祷は聖務ではない。信徒が勝手に集まるのは、集会ですらない。……あの子が小屋の前に座っているだけなら、それは、何の帳簿にも載りませんな」
私は答えなかった。
答えられなかったからである。この人の言っていることは、正しい。
私が打った判は、名目と、金と、道具に打った判だった。人には打っていない。人に判は打てない。当局の様式に、そんな色の蝋はない。
その日の夕方、小屋の前には、もう人が並んでいた。札はなかった。並ぶ順は、来た順である。番人もいない。誰も、法を破っていなかった。
ジョゼットは、小屋の戸口に座っていた。白い衣ではなく、麻の服だった。金の輪も付けていない。列の先頭の男が、頭を下げて、腕を差し出した。
子供は、手を当てた。
痛いところの、少し外に。
私は、それを最後まで見た。見て、帳面を開いて、閉じた。
書くことがなかった。
この光景に、載せられる科目がない。
列の後ろに、クレマンの従者が一人立っていた。馬車は谷を出たはずだが、目は残していったらしい。
私は近づいて、名乗った。
「財務卿どのに、お伝えいただけますか」
「承ります」
「受理第七号の判定を、本日出しました。当該児は候補者名簿に登載されたままです。名簿からの削除を請求いたします」
「……削除、でございますか」
「登載の目的は保護です。行事が解体された以上、保護の必要はありません」
従者は書き取り、一礼して去った。返事は、その日のうちに来なかった。
来ないことは、予想していた。あの人は「制度上、正しい手続き」しかしない。手続きの上では、削除の請求には期限がない。
期限のないものは、永遠に処理中にできる。それが、あの人の武器だった。
宿へ戻ったのは、日が落ちてからだった。卓には、判定文の控えと、封蝋の残りと、開示された発注簿が並んでいる。
記録は、揃っている。一つも欠けていない。三月ぶんの収支も、蝋燭の本数も、札の割り込みも、すべて数え終えた。
揃っているのに、何も動いていない。
「カサンドラ様」
テッサが、戸口に立っていた。
「あの子、明日も座ってます」
「ええ」
「明日も、明後日も、ずっと」
「ええ」
この子は泣かなかった。泣く代わりに、数え終えた顔をしていた。
「……記録は、揃っています」
私は言った。言ってから、自分の声が思ったより平らだったので、少し驚いた。
「揃っています。それでも、あの子は明日も、あの戸口に座ります」
ルカ様が、卓の向かいに座った。
何も言わなかった。何も言わないでいてくれる人の値打ちは、あの石室で覚えた。今日は、その値打ちが少し足りなかった。足りないのは、この人のせいではない。
ヴァレリーが、土間から上がってきた。書字板を抱えている。報告は、もう書き終えたのだろう。
「監査官どの」
「はい」
「規程では、判定に不服のある者は、上位の機関に申し立てができます」
「私は、当局の判定に不服はありません」
「……不服の申し立ては、判定を受けた側にしか認められておりません」
彼女は、書字板を胸に抱え直した。
「監査官どのが不服なのは、判定ではなく、判定の届く範囲でございます。それについては、規程に、申し立ての様式がございません」
「ええ」
「……様式が無いものは、規程では、存在しないことになります」
私は顔を上げた。
この人は、二十日前と同じ言葉を使って、逆のことを言っていた。
「ヴァレリーさん。それは、慰めですか」
「規程の説明でございます」
彼女は、少しだけ目を伏せた。
「……ですが、規程の説明を、こんな夜に申し上げる必要は、ございませんでした」
その夜、私は判定文の控えを、三度読み返した。どこにも誤りはなかった。誤りのない書面を三度読み返すのは、監査官のすることではない。
私は控えを閉じ、代わりに白紙を出した。白紙のほうが、まだ使い道がある。書けることは、まだ一つも思いつかなかった。
思いつかないまま、私は白紙を卓の真ん中に置いて、灯りを消さずにおいた。
監査官の私的控え——本日の決算。判定、一件(赤・小屋の戸)。行事、解体。返還、三月分。職務停止、一件。
記録は、すべて揃いました。……揃った記録は、あの戸口に座る子を、一歩も動かしませんでした。次話、様式の無いことを、様式にします。




