第42話:認定待ち
回答は、馬で来た。
照会を出して四日目である。規程の期限は七日。四日で返る役所を、私は知らない。封を切ると、紙は一枚だった。
『照会の件、当該者は候補者名簿に登載済み。登載は三年前。以上』
三年前。
ジョゼットが小屋に入って、三年目である。
「監査官どの。……三行だけですね」
テッサが覗き込んだ。
「三行ですが、この三行で、教区の壁は無くなりました」
「無くなるんですか」
「ええ。名簿に載っているなら、あの子の記録は本庁の記録です。本庁の記録は、大司教区会計の照合対象。受理第五号の範囲に入ります」
私は帳面を開き、受理簿に新しい行を書いた。
受理番号、本年度第七号。検分事項、サン=ヴレー教区における「生き神」の真贋および収支。
書き終えたところで、宿の女将が階段を上がってきた。
息を切らしていた。
「監査官様。……お客様が」
馬車は、村には不釣り合いだった。黒塗りに、金の細い線。馬は四頭。従者が三人。
降りてきた男は、四十くらいに見えた。柔らかい生地の外套。歩き方が速い。速いのに、音がしない。
「はじめまして。聖庁財務卿、クレマンと申します」
私は名乗り、記章を示した。男は記章を丁寧に見た。見る作法を知っている目だった。
「ご照会の回答が、当課より出ましたので。……私が持って参りました」
「回答は、四日前に馬で届いております」
「ええ。届いたはずです。私が出させましたので」
クレマンは、笑わずに微笑んだ。そういう顔があるということを、私はこの日に覚えた。
「三行では足りぬだろうと思いまして、続きを持って参りました」
男は、革の書類挟みを卓に置いた。中身は、候補者名簿の写しだった。本庁の様式である。番号、氏名、教区、登載年月日、そして――「区分」の欄。
ジョゼットの行の区分欄に、四文字あった。
『認定待ち(ざいこ)』
私は、その四文字を三度読んだ。三度読んでも、読み方は変わらなかった。
「クレマンどの」
「はい」
「この区分は、何を意味しますか」
「そのままの意味でございます。認定の申請が出るまでの間、候補者は認定課の管理下に置かれる。その状態を指す語です」
「管理下に置く目的は」
「保護です。教区が勝手に処分してしまわぬように」
処分。
この人は、その語をためらわずに使った。昇天、という読みを、私はあの石室で一度だけ書き取った。あの読みは、教会が二百年隠してきた帳簿の中の言葉である。
この人は、それを事務語だと思って使っている。
「……クレマンどの。名簿には、何名が」
「本年度で、四十七名」
「四十七名」
「多いとお思いですか。少ないほうですよ。十年前は、六十を超えておりました」
私は書いた。書きながら、指の先が冷えているのが分かった。殉教者台帳の記載は、六十三名だった。六十年で六十三名。
だが候補者名簿には、いま、この瞬間に四十七名がいる。
あれは過ぎた帳簿ではない。仕入れの帳簿には、いつも在庫が載っている。
「監査官どの。お顔の色が」
「差し支えありません」
「差し支えます。……あなたは、いま、あの台帳と、この名簿を並べておられる」
クレマンは、書類挟みを閉じた。
「並べていただいて結構です。それが監査というものでしょう。ですが、一つだけ申し上げておきます」
「伺います」
「――制度上、正しい手続きです」
彼は、そこで初めて、はっきりと笑った。
「候補者名簿は規程に定めがあります。登載も、管理も、届出も、すべて条文どおりに行われております。監査官どの、あなたが検めておられるのは不正ではなく、運用ですよ」
「運用の結果、十二歳の子供が、三年間、板の小屋におります」
「規程に、小屋の材質の定めはございません」
言い返す言葉は、いくつも浮かんだ。浮かんだが、どれも判定には載らない言葉だった。載らない言葉を口にすると、その場の空気は動く。だが記録は一行も増えない。
私は口を閉じ、代わりに書いた。
「クレマンどの。この写しは、いただけますか」
「差し上げます。写しの交付は、規程どおり請求があれば拒めません」
「では、請求します。書面で」
男は、初めて少しだけ、眉を上げた。
「……あなたは、腹を立てない方ですな」
「立てております」
「そうは見えません」
「見えるように立てても、記録が一行も増えませんので」
クレマンは、書類挟みから写しを一枚抜き、受理の日付を入れて渡した。
クレマンは、帰る前にもう一つ置いていった。
「監査官どの。ご忠告を一つ、差し上げてもよろしいか」
「忠告は、記録できません」
「では、事実を一つ」
男は、外套の前を留めた。
「南部の教区で、記録倉が四つ焼けております。ご存じでしょう」
「存じております」
「あれは、当課の指示ではありません。……当課は、指示を出す立場にないのです。当課は、名簿を作り、管理し、届出を受ける。それだけの部署ですので」
「では、誰が」
「さあ。私は知りません。知らないことは、申し上げられません」
彼は馬車へ向かい、踏み段に足をかけたところで、振り返った。
「ただ、一つだけ。……焼けた四つの教区は、いずれも候補者名簿への登載が、五年以上前でした」
私は、その一行を書いた。書いてから、意味を測った。登載が古い教区の記録が、先に焼ける。古い在庫の帳簿から順に始末されている。
「クレマンどの。それは、忠告ですか」
「事実です」男は微笑んだ。「事実を申し上げるのは、規程上、まったく差し支えのないことですので」
馬車は、来たときと同じ速さで谷を出ていった。テッサが、轍を見ていた。
「カサンドラ様。……あの人、教えてくれたんですか」
「いいえ」
「でも」
「教えたのではありません。急がせたのです」
私は帳面を閉じた。
「焼ける順を知らせれば、こちらは南へ急ぎます。急げば、この教区の判定が雑になります。……ご親切には、たいてい値が付いております」
その夜、私は手帳を開いた。七つの符牒の下に、口頭の指示の行がある。その下に、私は新しい行を書いた。
――候補者名簿、四十七名。区分、認定待ち。
――この四十七名は、まだ台帳に載っていない。
載っていないうちに、名前を数えておく。それが、私にできる唯一の先回りだった。
ルカ様は、卓の向かいで名簿の写しを読んでいた。読み終えて、静かに置いた。
「監査官どの。……私の名も、十年前は、この様式の紙に載っていたはずです」
「ええ」
「区分の欄には、何と書いてあったのでしょう」
私は答えなかった。
答えを持っていなかったからではない。持っていたからである。
監査官の私的控え——本日の決算。回答、四日(期限七日)。受理、第七号。写し、一枚(候補者名簿)。
本年度の候補者、四十七名。区分の欄には、四文字。……次話、その四文字に判を打てるかどうかを検めます。




