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教会監査人は聖女を信じない 〜婚約破棄された検算令嬢、奇跡の「領収書」を拝見します〜  作者: 小鳥遊ミント
第7章 生き神編

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第41話:十二歳の帳場

 小屋の中に入る許しは、較べの翌朝に下りた。二十二対四という数が、谷を一晩で回ったせいである。番人は、私が名乗る前に囲いの戸を開けた。


 中は、思ったより狭かった。板張りの一間。窓は高いところに一つ。寝床は藁を布で包んだもの。壁に、白い衣が二枚掛かっている。卓はない。桶が一つ。


 私は数えた。数えるものが少なかった。


「テッサ。この部屋の身代は」

「……銀貨で、二十枚くらいです。衣を入れて」


 子供は、寝床の端に座っていた。衣を着ていない。麻の粗い服である。金の輪も外してあった。額に、輪の跡が薄く残っていた。


「はじめまして。監査官の任にあります、カサンドラ・エルローと申します」


 子供は、答えなかった。


「お名前を、伺ってもよろしいですか」


 答えは、しばらく来なかった。それから、小さな声がした。


「……喋ると、御利益が減るって言われました。だから、ずっと、黙ってます」

「では、伺い方を変えます。声を出さなくて構いません。名前を、ここに書けますか」


 私は白紙と炭筆を置いた。子供は、じっとそれを見た。それから首を横に振った。


「テッサ。あなたが書いてください」

「え、わたしですか」

「あなたの名前を書いて、それから、この方に見せてください」


 テッサは、少し戸惑ってから、自分の名前を書いた。滲んだ。紙を渡すと、子供はそれを長く見ていた。


「……にじんでます」

「はい。わたし、まだ下手なので」

「じょうずな人が、書くんじゃないんですか」

「じょうずな人が書くと、その人の名前になっちゃいます」


 テッサは、炭筆を子供の手に握らせた。


「わたしのは、わたしが書いたので、わたしのです」


 子供は、紙の端に、四つの文字を書いた。


 ――ジョゼット。


 字は、テッサより整っていた。


「字は、どちらで」

「……前の司教様が、教えてくれました。死にました」

「では、いまは誰も」

「いりません。書くものが、ないので」


 私は書いた。読み書き可。筆記具の支給なし。


 生活の検分は、半日かかった。食事は日に二度。番人が運ぶ。中身は粥と、塩漬けの菜。較べの前日だけ、卵が付いたという。外へ出るのは、施術のときと、祭りのとき。

 湯は、月に二度。

 診てもらったことは、一度もない。


 最後の一つを聞いたとき、私は筆を止めた。


「治す方が、診てもらったことがないのですか」

「わたしが、治すので」

「ご自分が、痛いときは」

「……我慢します」


 ルカ様が、戸口に立っていた。入ってこなかった。入ると、監査ではなくなるからだと思う。


「ジョゼットさん」


 聖人が、外から声をかけた。


「手を当てるとき、痛いところの少し外に置いておられますね」

「……はい」

「どうして、そうなさるのですか」

「痛いところに触ると、痛いので」

「誰かに教わりましたか」

「いいえ」


 ジョゼットは、自分の手を見た。ルカ様と同じ癖だった。


「はじめのころ、まん中に置いてたら、おばあさんが痛いって言ったので。……それから、外にしました」


 ルカ様は、しばらく何も言わなかった。


「――私も、同じことをしております」

「そうなんですか」

「はい。十歳のときに、同じように直しました。誰にも教わらずに」


 ジョゼットは、はじめて顔を上げた。


「あの。……あなたも、こわいですか」

「何がですか」

「治らなかった人が、帰るとき」


 板壁の向こうで、番人が足を動かす音がした。


「こわいです」ルカ様は言った。「十年、こわいままです」

「……そうですか」


 ジョゼットは、藁の寝床の端を掴んだ。


「よかった」


 私は書かなかった。書けなかった。筆を持ったまま、私はこの部屋の中で、自分の職掌の境目を見ていた。


 小屋を出たあと、私は番人の二人にも聴取した。


「札の番号は、どなたが決めますか」

「並んだ順です」

「昨日、前日の夕方に六枚まとめて出ておりました。並んだ順ではありませんね」

「……あれは、代理の方から言われまして」

「司教代理どのから、直接」

「いえ。助祭様から。助祭様は、代理様から、と」


 私は書いた。口頭。二段。


「もう一つ。あの子が病んだときは、どうしておられますか」

「病みませんよ」

「一度も」

「一度も、と申しますか」番人は、そこで少し声を落とした。「……去年の冬に、三日ばかり。熱が出まして」

「医者は」

「呼びませんでした。呼ぶと、生き神様が病んだと知れますので」

「では、三日間どうなさった」

「小屋を閉めて、祭りは延期しました。……延期した分は、翌週に二日でやりました」


 二日ぶんを一週にまとめる。それは興行の帳尻の合わせ方である。人の体の帳尻ではない。


 ヴァレリーは、小屋の検分の間、一度も規程を口にしなかった。


 宿の土間で、彼女は書きかけの報告を見ていた。私が通ると、いつもどおり伏せなかった。だが、いつもと違って、まだ半分しか埋まっていなかった。


「監査官どの。……この検分は、規程のどの条に拠りますか」

「拠っておりません」

「拠らずに、なさったのですか」

「巡回状は、聖務に関わる記録の閲覧を許しております。生活の検分を許す条は、ありません。ですから、これは記録の閲覧ではなく、実見です。実見を禁じる条も、ありません」


 ヴァレリーは、筆の先を見ていた。


「……無い条に拠るのは、無い条に拠って徴収した者と、どこが違うのですか」


 いい問いだった。私は、その問いをこの人から受け取れたことを、少し嬉しく思った。


「取ったか、書いたかの違いです」

「取ったか、書いたか」

「あの徴収官は、無い条に拠って人から金を取りました。私は、無い条に拠って紙に数を書いております。書いたものは、あとで誰でも検められます。取ったものは、返させるまで戻りません」

「……もし、あなたの書いたものが間違っていたら」

「間違っていたと、あなたが書いてください。それで釣り合います」


 彼女は、しばらく筆を動かさなかった。それから、報告の残り半分を書いた。書き終わるのに、いつもの倍の時間がかかっていた。


 夕方、宿へ戻る道で、テッサが遅れて歩いていた。


 私は歩調を落とした。落としたことに、この子は気づかないふりをした。


「カサンドラ様」

「はい」

「わたし、あの子に、何て言えばいいですか」


 私は、しばらく考えた。


「分かりません」

「……カサンドラ様でも」

「私は、あなたのときも分かりませんでした」


 テッサが顔を上げた。


「この春、あなたを引き取ると決めたとき、私は何と言えばいいか分からなかったので、俸給の話をしました。月に銀貨三枚、と」

「……覚えてます」

「あれは、逃げです。かける言葉が見つからないので、数字にしました」

「でも」


 テッサは、袖の端を握った。


「わたし、あれで、生きていけるって分かりました」


 この子は、いつもこうやって、私の逃げを勘定に付け替えてくれる。


「では、テッサ。あなたも数字で言ってごらんなさい」

「数字で」

「ええ。慰めは私たちの職掌ではありません。ですが、数えることならできます。数えたものは、あの子の手元に残ります」


 テッサは、少し歩いてから、言った。


「……わたし、あの子の部屋の身代を、もう一回数えます」

「二十枚では足りませんか」

「足りません。だって、あの子が三月で稼いだお金、金貨で四百枚を超えてます」


 この子は、もう数え終わっていた。

監査官の私的控え——本日の決算。生活検分、一件。部屋の身代、銀貨二十枚。三月の稼ぎ、金貨四百枚余。読み書き可。筆記具、支給なし。医者、なし。

名前を、伺いました。書いていただきました。……次話、その名前が、どこの帳簿に載っているかを検めます。

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