第40話:生き神の原価
広場は、夜明け前から埋まっていた。台が二つ。向かい合わせ。片方は一尺高く、片方は地面と同じ高さである。
高いほうに白い衣の子供が座り、低いほうにルカ様が立った。立ったまま、である。座ると見えないので、と本人が言った。
施術を受ける者は、双方三十名ずつ。札の番号順に呼ばれる。
数えるのは、双方から二名ずつ。当局側はテッサと、村の司祭が一人。教区側は助祭と、宿の女将が出た。女将は帳場の人間で、数だけは正確に数える。私が指名した。
定義は、五歩である。
朝の鐘とともに、始まった。
私は数えなかった。数えるのは他の四人の仕事である。私は台の裏に回り、そこにあるものを数えた。
まず、蝋燭。
生き神の台の周りに、燭台が十二本。芯が太い。芯が太い蝋燭は、火が大きく、そして早く減る。減った長さで、点していた時間が分かる。
私は開示された発注簿と突き合わせた。特注、月に八十本。この谷の教会が、聖務で使う数の四倍である。
次に、香油。
台の四隅に、小皿が置かれていた。中身は乳白色の油で、甘い匂いがする。
開示簿の記載は「聖香油、月に六壺」。だが匂いが違った。フォンス村で押収した興行用の香油と、同じ匂いである。あれは眠気を誘う。長く並んで待った者が、順番の来る頃には少し呆けている。
最後に、札。
配布の記録を頁で追った。三月分ある。番号と、受け取った者の村名。
テッサの言ったとおり、飛びがあった。番号の若い札が、前日の夕方に六枚、まとめて出ている。受取欄の村名は、すべて同じ。谷でいちばん大きな地主の村だった。
――蝋燭で照らし、香油で待たせ、札で客を選ぶ。
どれも、私が王都と近郊で三度ずつ見た手口である。
昼の鐘が鳴った。
ルカ様の側は、二十二人が五歩を歩いた。生き神の側は、四人だった。
広場は、静かだった。
泣く者も、拍手する者もいなかった。信徒は、たぶん、答えを前から知っていたのだと思う。知っていたものを人前で数えられると、人は黙る。
私は台の裏から出て、記録を突き合わせた。四人の数え手の数字は、一つも食い違わなかった。問題は、その四人だった。
生き神が手を当てた三十人のうち、四人が五歩を歩いた。私は四人の名と症状を書き取り、村を書き取り、それから、いつからその症状かを書き取った。
三人は、説明が付いた。
一人は前の晩から薬草の煎じ薬を飲んでいた。一人は三日前から痛みが引いていた。一人は、歩けたのではなく、歩けると思い込んだ。三日後にもう一度確かめる、と書いた。
残る一人が、付かなかった。六十を過ぎた男だった。右の腕が、二年上がらなかったという。
私は腕を検めた。関節は硬く、皮膚は使っていない側の色をしている。二年動かさなかった腕であることは、素人目にも分かる。
その腕が、上がっていた。私は男に、薬を訊いた。飲んでいない。祈祷を訊いた。していない。前日の様子を訊いた。畑にいた。
「……監査官様。俺は、信じてなかったんです」
男は、上がる腕を自分で見ていた。
「息子に連れてこられて、並んどっただけで。あの子に手ぇ当てられたときも、早く終わらんかなと思っとりました」
思い込みで動く腕は、思い込んでいる者の腕である。この人は、思い込んでいなかった。
私は帳面に書いた。一件、説明不能。
ドナシアンは、広場の端の天幕にいた。数が出そろってからも、席を立たなかった。立たないことが、この人なりの誠実さなのだろうと思う。
「二十二と、四つですな」
「ええ」
「……負けました」
「較べの結果はそうです。判定はまだ出しておりません」
「同じことでしょう」
「違います。較べは信徒が数えました。判定は当局が数えます。数える者が違えば、数の意味も違います」
ドナシアンは、水を一口飲んだ。
「監査官どの。あの子を、どうなさるおつもりか」
「まだ決めておりません」
「決めておらぬのに、較べさせたのですか」
「決めてから検めると、決めたとおりの結果しか出ません」
彼は笑わなかった。
「……あの子は、六つのときに、うちへ来ました。両親が二人とも流行り病で。村は、口が減ったと喜んだ」
「教区が引き取られた」
「引き取りました。飯を食わせ、寝床を与え、字も少し教えました。……嘘ではありませんぞ」
「嘘だとは申しておりません」
「ならば、何が不足だとおっしゃる」
私は帳面を開いた。
「幟は絹で、竿は削り出し。敷石は新しく、葡萄棚は六段。あの子の小屋は、板です」
「……」
「あなたが与えたものと、あの子が稼いだものの差額を、私は数えております。それが監査です」
ドナシアンは、天幕の外を見た。人が、ゆっくり引いていくところだった。
夕方、囲いの前で、私は子供を待った。白い衣の子供は、番人に付き添われて小屋へ戻るところだった。
その途中で、足を止めた。列の残りに、まだ小さい子供が一人、母親に抱かれて座っていたからである。
白い衣の子は、衣の合わせに手を入れて、何かを出した。干した果物だった。二切れ。
抱かれている子に、一切れ。
母親に、一切れ。
番人が慌てて袖を引いた。子供は引かれるまま、小屋へ入っていった。
私は、その一連を書き取った。書き取ってから、書き取ったものを読み返した。施術の記録でも、収支の記録でもない。判定には載らない。
載らないが、私はそれを消さなかった。
その夜、宿の卓に、五つの記録を並べた。蝋燭、月八十本。香油、興行用と同種。札、六枚の割り込み。治癒、四件。うち三件は説明が付く。
一件、付かない。
「監査官どの」
ルカ様が、向かいに座っていた。
「八割は、仕掛けです。それは私にも分かりました」
「ええ」
「では、あの一件は」
「分かりません」
私は蝋燭の数を、もう一度書き直した。書き直しても数は変わらない。変わらないものを書き直すのは、私の悪い癖である。
「ルカ様。私は、この案件の判定文を書けます。興行は不実です。蝋燭と香油と札で、判は打てます」
「はい」
「打てますが、打っても、あの一件は残ります」
テッサが、卓の端で写しを止めていた。
「……カサンドラ様。じゃあ、あの子は」
この子は、そこで言葉を探した。探して、見つからず、いちばん短いものを選んだ。
「あの子は、本物ですか」
私は答えなかった。
答えるべき言葉を持っていなかったからである。持っていないものを、この子に渡すわけにはいかない。
監査官の私的控え——本日の決算。較べ、二十二対四。蝋燭、月八十本。香油、興行用と同種。札、割り込み六枚。
治癒四件のうち、三件は説明が付きました。一件、付きません。……次話、小屋の中を検めます。帳簿ではなく、暮らしのほうを。




