第35話:徴収官の帳尻
街道の関は、宿場から南へ一里の坂の上にあった。石を積んだだけの、簡素な関である。番人が二人。柵はなく、代わりに縄が一本、道を横切って張ってある。巡礼の列が、縄の前で止まっていた。
「巡礼路の保全に、お志を」
番人が銅笊を差し出す。差し出された者は入れる。入れない者もいる。入れない者は、縄をくぐらせてもらえない。
私は縄の手前で、四半刻ほど数えた。通った者、九十七名。入れた者、九十七名。入れなかった者、零名。
「テッサ。この徴収は、任意ですか」
「……ぜんぶの人が入れてるので、任意じゃないと思います」
「根拠は」
「任意だと、必ず何人かは入れません。お金がない人が、必ずいるので。……ここ、一人もいないです」
私は書いた。実見、四半刻。徴収率、十割。
ヴァレリーが、書字板から顔を上げた。
「監査官どの。規程では、任意の献納に率の定めはございません。十割であっても、任意は任意です」
「では、断った者がどうなるかを見ましょう」
私は縄の前へ出て、番人に告げた。
「通ります。志は納めません」
番人が笑った。愛想のいい笑い方だった。
「そりゃ困りますな。この先の道は、教区が均しております」
「均した費用は、どの帳簿に」
「……知りませんよ、そんなことは。俺は縄を上げるだけだ」
「では、上げてください」
「志を頂ければ」
「任意ではないのですね」
「任意です。任意ですが、上げませんな」
私は帳面に書いた。書いてから、番人に見せた。
「いま申されたことを、そのまま写しました。読み上げます。『任意である。ただし納めない者には縄を上げない』。相違ありませんか」
「……相違ありますよ」
「どこがですか」
「……」
「訂正の申し立ては、いつでも受けます。訂正がなければ、これが記録になります」
番人の顔から、愛想が落ちた。
ジョスランが坂を上ってきたのは、その直後だった。
「監査官どの。うちの者に何をなさっとる」
「実見です。四半刻で九十七名、徴収率は十割でした」
「志だ。志ってのは、みんな出したくて出すんだ」
「六年前の廃止布告は、何を廃したのですか」
「……通行の献金だ」
「いま徴収しているものは、何ですか」
「保全料だ。道を均す金だよ。別物だ」
私は簿冊を開いた。第一巡礼区の三年分――ギヨームが火の三日前に持ち出した十九冊のうちの一冊である。
「では、均した記録を検めます。三年分の保全料、合計で金貨二千四百枚余。これに対し、道普請の支出は」
私は頁を繰った。
「三年で、金貨百十枚。人足の日当と、砂利の代金です。……残りの二千三百枚は、どこへ行きましたか」
ジョスランは答えなかった。
「答えなくとも構いません。行先はこちらで数えました。月末に一括で大司教区へ送られております。科目は『献納』」
男の首が、赤くなっていた。
「あんた、それを俺に言ってどうする。俺は集めて、送っただけだ」
「ええ。あなたは集めて、送っただけです。それが不正だとは、まだ申しておりません」
「じゃあ何が――」
「集めたものを、廃止された名前で集めていない点です。名前を変えれば徴収は続けられる。それを思いついたのは、あなたですか」
答えは、ずいぶん間があってから来た。
「……俺じゃない」
「では、どなたですか」
「上だ」
「上のどなたです」
「知らん。名は聞いてない。……去年、教区へ来た人が、そう言っただけだ。『通行では取れんが、保全でなら取れる』と。書いたものは、貰っとらん」
私は書いた。書きながら、思ったより早く出てきたな、と考えていた。この男は隠すのが下手なのではない。隠すことが自分の仕事だと、そもそも思っていないのだ。
「ジョスランどの。もう一つだけ」
「まだあるのか」
「先月、記録倉が焼けました。届け出は二十二冊。灰から出た金具は四十一組」
「……古いのが混じってたんだろ」
「火の前夜、倉から荷車が二台、灯りを点けずに南へ出ております。村の名主が覚えておられました」
「知らん」
「焼却の指示は、どなたから来ましたか」
「――指示書なんぞ来ねえよ」
男は、そこで初めて声を張った。
「口で来るんだ。書いたら残るからな。……俺は言われたとおりにしただけだ。倉は燃えるもんだ。雨が降らなきゃ、なおさらな」
坂の下で、縄が上がった。番人が巡礼を通していた。銅笊は伏せてあった。私が見ている間だけ、この関は正しく動く。それが徴収の性質である。
坂を下りたところに、若い女が座り込んでいた。巡礼の装いだが、荷が小さい。膝の上に、麻の袋を抱えている。中身は薬草らしかった。
「通れなかったのですね」
「……三度、来ました。三度とも、足りなくて」
「どちらまで」
「サン=ヴレーです。あちらに、生き神様がおられると聞いて。……妹の目が、見えなくなったので」
私は袋の中を見せてもらった。売り物にする薬草だった。道々で摘み、宿場で売り、その金で先へ進む算段だったのだろう。三度分の路銀が、縄の前で消えた。
「テッサ。実見の記録に、一行足します」
「はい」
「『納められず引き返した者、少なくとも一名。三度』」
「……あの、カサンドラ様。この人のことは」
「書きます。名前は書きません。数だけ書きます。数のほうが、判定に載るからです」
ルカ様が、女の前にしゃがんでいた。
「妹御の目のことは、私には分かりません。診ないと分からず、診ても治せないことがあります」
「……はい」
「ですから、治すとは申しません。ただ、道は通れるようにします」
聖人は私を見た。私は縄のほうを見た。
「関の通行に、当局の検分中は妨げをしないよう申し渡します。ジョスランどの、承知いただけますね」
「……検分中は、な」
「結構です。検分中の分だけ、記録が残ります」
女は何度も頭を下げて、坂を上っていった。ルカ様は、その背中を見送っていた。
「監査官どの。あの方の妹御は、治らないかもしれません」
「ええ」
「それでも通したのは、なぜですか」
「通れないことと、治らないことは、別の科目だからです」私は帳面を閉じた。「別の科目を一緒に嘆くと、どちらも直せなくなります」
宿へ戻る道で、ヴァレリーが半歩遅れて歩いていた。
「監査官どの」
「はい」
「規程に、口頭の項がありません」
私は足を止めた。
「指示は書面で下りるものと定めがございます。書面が無いということは、規程の上では、指示が無かったということです」
「では、あの徴収は誰の判断ですか」
「……徴収官の判断、ということになります」
彼女は書字板を胸に抱えていた。抱え方が、朝より少し固かった。
「規程どおりに読めば、上に指示した者は、おりません」
「ええ」
「それは、」
ヴァレリーは、そこで言葉を切った。切ったまま、歩き出した。私は追わなかった。追って言わせるべきことではない。
自分で見つけたものしか、人は信じない。私が二十三年で覚えたのは、その一つだけである。
監査官の私的控え——本日の決算。実見、四半刻(徴収率十割)。三年の徴収、金貨二千四百枚余。道普請、金貨百十枚。差額の行先、献納。
書かれなかった指示について、記録係どのが一つ、規程を読み直しておられました。……次話、この関に判を打ちます。




