第34話:燃え残り
朝、宿の戸を叩く音がした。定規で引いたような、三度の間隔が正確な叩き方だった。異端審問官ギヨーム・ファーブルは、黒衣ではなかった。
旅の外套に、革帯。腰の房も、胸の徽章もない。辺境巡回審問の装いというより、街道の商人に見える。
「監査官。焼け跡を掻いたのは、あなたか」
「ええ」
「金具は何組出た」
「四十一」
「届け出は」
「二十二」
ギヨームは、そこで初めて息を吐いた。
「では、十九だ。……こちらの数と合う」
男は外套の内から、油紙の包みを出して卓に置いた。解くと、簿冊が出てきた。表紙の革が擦れ、綴じ紐の金具が黒ずんでいる。
「十九冊、こちらにある」
「持ち出したのは、あなたですね」
「火の三日前だ」
彼は椅子に座らず、立ったまま話した。この人は初めて監査局へ来た夜から、こちらの許しを得ずには座らない。
「南部の教区を四つ回った。四つとも、記録倉が焼けていた。四件目のとき、私は火事の順番に気づいた。焼けるのは常に、監査局か審問庁が閲覧請求を出した教区だ。請求の受理から、二十日ほどで焼ける」
「二十日」
「巡回状が下りるのに要る日数と、同じだ」
私は、自分の手が帳面の縁を握ったのが分かった。握ったまま、書いた。
「では、五件目を先回りされたのですね」
「そうだ。だから第一巡礼区では、請求を出さずに倉へ入った。越権だ。審問庁の職掌ではない」
「記録は」
「取ってある。私が越権を働いた記録も、同じ束の中だ。……あなたに渡す。判はあなたが押せ。私は押せる立場にない」
ヴァレリーが、卓の端で書字板を開いていた。
筆が動いていなかった。
「審問官どの。……いま、規程に反する行為を申告されましたか」
「した」
「私は、それを本庁へ報告いたします」
「そうしろ」ギヨームは彼女を見た。「規程どおりだ。私が焼けた倉の話をする前に、あなたが規程どおりに報告すれば、六件目の倉が焼ける前に本庁が動くかもしれん。……動かなければ、それも記録になる」
ヴァレリーは、筆を持ったまま動かなかった。それから、書いた。書いた文字は、いつもより少しだけ大きかった。
十九冊の検分は、その日一日で終わらなかった。三年分の通行の帳面である。第一巡礼区を通った巡礼の数と、納めたお志の額が、日ごとに並んでいる。
テッサが日付順に並べ、私が合計し、ルカ様が読み上げた。聖人の読み上げは正確で、しかも速い。孤児院で帳簿係だったという経歴は、この十年、誰の役にも立っていなかった。
「監査官どの。……この行だけ、科目が違います」
ルカ様が指したのは、三年前の十月の頁だった。
『保全料』
「お志ではないのですね」
「はい。お志は日ごとの合計ですが、この保全料は一括で、月末に一行だけ。額は――金貨八十六枚」
私は宿場の控えの写しを開いた。十九枚を別置した、あの束。合計、金貨八十六枚。同じ額が、二つの帳簿に、違う名前で載っている。
「テッサ」
「はい」
「宿の控えでは、何と書かれていましたか」
「……『お志』です。ぜんぶ、お志でした」
「では、宿は志として受け取り、教区は保全料として記帳した。同じ金です」
私は書いた。書きながら、名前が変わる意味を量っていた。
お志は、参詣者が納めるものである。保全料は、教区が徴収するものである。前者は受け取った記録が要り、後者は取り立てた根拠が要る。
根拠がなければ、取り立ては取り立てにならない。
「ギヨームどの。通行の献金は、三年前に廃されておりますね」
「廃された。私の記憶では、六年前だ」
「六年前」
「その頃、南街道で徴収に反対する陳情が続いた。教区は廃止を布告した。……布告は出した。取り立てを止めたとは、誰も言っていない」
外はもう暗かった。宿の女将が、灯りを足しに来て、卓の上の簿冊の山を見て、何も言わずに出て行った。
夜業になった。
三年分の頁を、テッサが月ごとに束ね直していく。この子の手は、字を追う前に頁の厚みを測る。
「カサンドラ様。十月だけ、紙が二種類あります」
「二種類」
「厚いのと、薄いのです。薄いほうが、あとから綴じ込まれてます。糸の穴が二つあるので」
「二つ、とは」
「一度綴じた紙を外して、また綴じると、穴が二つになるんです。……この薄いほう、ぜんぶ二つです」
私は薄い紙の枚数を数えた。十九枚。
宿の控えで別置した紙も十九枚。灰の中の金具の差も十九冊。同じ数が三度出れば、もう偶然ではない。三度目でようやく書ける。私は書いた。
ギヨームは、その手つきを黙って見ていた。
「監査官」
「はい」
「私の妹の判定は、まだ保留のままか」
「保留です。昇天の記録が不実であることは判定しました。生死は、判定しておりません」
「判定できる見込みは」
「南倉に着けば、と申し上げるべきなのでしょうが」私は筆を置いた。「見込みを口で申し上げると、それが約束になります。約束は、帳簿に載りません。載らないものを、あなたに渡したくない」
男は、少し笑った。黒衣で廊下を埋めていた頃、この人は笑わなかった。
「変わらんな、あなたは」
「変わりました。以前の私なら、いまの言い方はしませんでした」
「どう言った」
「『分かりません』の一言で済ませました。……済ませられなくなったのは、あなたの妹御の頁を読んだからです」
「監査官」
ギヨームが、初めて椅子に手をかけた。
「一つ、申し送る。あなたは焼却の指示書を探すだろう。探しても出ない」
「なぜです」
「焼却は、指示書で来ない。口で来る」
彼は座った。
「私は十二年、審問庁にいた。庁で本当に重い命は、いつも紙になっていなかった。紙になった命は、あとで誰かが責任を取れる命だ。取れない命は、廊下で伝わる。……南部で四つの倉が焼けたが、四つとも、焼けと書いた紙は一枚もない」
「では、どうやって記録するのですか」
「記録できない」ギヨームは言った。「だから、あなたが要る」
私は帳面を閉じ、開き直した。
「――申し送りを、受理します」
その夜、私は手帳の七つの符牒の下に、新しい行を足した。口頭の指示。紙にならない命。責任の取れない側から来る、責任の取れない命令。これは、記録で裁けるのか。
裁けるとしたら、どこを数えるのか。
答えは書けなかった。書けないものを書かないのは、監査官の作法である。だが、書けないことを書き留めておくのは、その一段前の作法だ。
監査官の私的控え——本日の決算。回収、十九冊(審問官より)。越権の申告、一件(本人による)。同額の二重科目、一件(お志と保全料、金貨八十六枚)。
南部の焼けた倉、四件。焼けと書いた紙、零枚。……次話、書かれなかった命の、値段を数えます。




