第33話:記録がよく燃える
記録倉は、丘のふもとに建っていた。建っていた、というより、建っていた場所があった。
石の基壇と、焼け落ちた梁の残骸。屋根はない。壁は腰の高さまで黒く、その上は崩れている。雨に二度打たれた匂いがした。
「先月ですな」
徴収官のジョスランは、三十代の後半に見えた。日に焼けた顔と、太い首。腰に鍵束を下げ、話す前に必ず一度、鼻を鳴らす。
「焼けたんだよ。倉ってのは燃えるもんだ。雨が降らなきゃ、なおさらな」
「出火の届けは」
「出した。教区に。写しがどっかにあるはずだ」
「その写しも、この倉にありましたか」
「……そりゃ、あったろうな」
ジョスランは笑った。笑い方に、後ろめたさがない。これは芝居ではなく、この男が本当に「倉は燃えるもの」と思っている顔である。
私は帳面を開いた。
「焼けた簿冊の点数を、届け出ておられますね」
「二十二冊だ。三年分の通行の帳面と、雑の綴りが少し」
「二十二冊。承りました」
私は基壇に降りた。
「テッサ。灰を掻きます」
「はい」
「ルカ様は、外でお待ちください。ここは埃が多い」
「……いえ。手が要るでしょう」
聖人は袖を絞った。認定から十年、この人の職歴に灰掻きの一行が加わる。灰の中から出てくるものは、決まっている。
紙は燃える。革の表紙も燃える。だが、綴じ紐を留める真鍮の金具は燃えない。溶けもしない。あれは冊子一つに一組ずつ付いている、教会の写本工房の作法である。
「監査官どの。これは何を数えておられるのですか」
ヴァレリーが、書字板を抱えたまま基壇の縁に立っていた。
「金具です。一冊に一組。焼け跡に残った組数が、焼けた冊数になります」
「……焼けた冊数は、届け出にございます」
「届け出は、届け出た人の記憶です。金具は、燃えなかった事実です」
彼女は何か言いかけ、書字板を開いた。開いて、書いた。止めなかった。規程に、灰を掻いてはならないという項はないのだろう。
テッサの掻き方には手順があった。
まず灰を掌で押して固さを見る。固いところは焼けきったところ、柔らかいところは何かが挟まっていたところだという。柔らかいところだけを、指の腹で払う。
「興行のとき、竈の灰から釘を拾わされました」
「釘を」
「小屋を建てて、壊して、また建てるので。釘は買うと高いんです。……灰の中の金物は、だいたい、同じ場所にたまります。風の下の側です」
私は風の下の側から掻くよう、手順を書き換えた。この子の技能は、全部そうやってできている。褒めるとまた疑うので、書き換えたことだけ伝えた。
半日かかった。
テッサが並べた金具は、雨で黒く、形の崩れたものも多かった。それでも数は数えられる。私は三度数え、テッサが二度数え、数が合った。
四十一。
「二十二と、四十一」私は言った。「十九冊、多い」
ジョスランの鼻が鳴った。今度は、笑いのためではなかった。
「そりゃ、あれだ。古い綴りが混じってたんだろうよ。廃棄する予定のやつが」
「廃棄予定の簿冊も、廃棄簿に記帳されます。廃棄簿は」
「……倉だ」
「では、廃棄簿も焼けましたか」
「焼けた」
「廃棄簿が焼けたので、廃棄予定だったことは確かめられません。確かめられないものを、確かでないものとして記録します」
私は帳面に書いた。書きながら、十九という数の重さを量っていた。
宿場の控えで別置した紙も、十九枚だった。同じ数が二度出るのは、たいてい偶然ではない。だが偶然ではないと書くには、まだ足りない。足りないものは書かない。
日が傾くまで、私は基壇の隅を検めた。焼け跡の東の端に、灰の薄い場所があった。
そこだけ、床石が煤で汚れていない。何かが置かれていて、燃える前にどけられた場所である。四尺四方ほど。棚一つ分だ。
「ジョスランどの。この棚は、いつどけましたか」
「……知らん」
「では、火事の前ですね」
男は答えなかった。
村の名主にも会った。
火の夜のことを訊くと、七十近い老人は、はっきり覚えていると言った。
「風の無い晩でしてな。だから村へは飛びませんでした」
「気づいたのは何刻ごろですか」
「夜半を回っておりました。……ですが監査官様、火より先に、荷車の音がしましたよ」
「荷車」
「二台。倉のほうから、街道へ抜けていきました。灯りも点けずに。わしは、火事の知らせに走る車かと思ったんですが、あれは南へ行きました。知らせなら、北の教区へ走るはずでしょう」
私は書いた。荷車二台、南、灯火なし、火より前。
「その荷車のこと、届けにお書きになりましたか」
「書こうとしました。けれど、徴収官様が、火事の届けは自分が出すからと」
「なるほど」
「……あの、監査官様。書かないほうが、よかったですかな」
「いいえ」私は言った。「いま、書きました。あなたが覚えていてくださったので、書けました」
老人は、ほっとした顔をした。覚えていることを咎められると思っている人が多い。咎めるのは、覚えていないことにする人だけでいい。
倉を出たのは日暮れだった。丘のふもとの村に、宿を借りた。
ルカ様が村の井戸端から戻ってこなかったので、私は迎えに行った。
井戸の前に、老婆が座っていた。膝から下が動かないのだという。ルカ様は、その膝に手を当てて、しばらくそのままでいた。それから手を離した。
「……治りません」
「はい」
「私の手は、これを治せません。治せるものと、治せないものが、はっきり分かれています。理由は、私にも分かりません」
老婆は、笑って礼を言った。ルカ様は笑わなかった。
「監査官どの。私が本物なら、なぜ治せる人と治せない人がいるのでしょう」
「分かりません」
「では、私が偽物なら」
「偽物なら、治った三百人が説明できません」
私は帳面を閉じた。
「ルカ様。私は、あなたの力の理屈を、まだ一行も検算できておりません。ですが今日、治せない例を一件、記録しました。記録は、増えるほど形になります」
「……形」
「ええ。三百件の治癒と、一件の不能。この不能の一件は、あなたを疑う材料ではありません。あなたを測る目盛りです」
聖人は、しばらく黙っていた。それから、いつもの調子で訊いた。
「今日の私は、何点でしたか」
「保留です。……ただし、目盛りが一つ増えました」
宿に戻ると、ヴァレリーが土間の卓で報告を書いていた。私が通ると、彼女は書きかけの紙を伏せなかった。伏せる規程がないのだろう。
紙にはこう書いてあった。
『監査官、焼け跡にて金具を計数。四十一組。届出との差、十九冊。所見、なし』
所見、なし。
その四文字を、私は覚えておくことにした。
監査官の私的控え——本日の決算。焼け跡、一件。金具、四十一組。届け出、二十二冊。差、十九冊。
治せない膝が、一つございました。数えます。……次話、燃えなかった十九冊を、燃える前にどけた者を検めます。




