第3話:その奇跡、領収書はありますか
フォンス村は、祭りの最中だった。
涸れかけていた泉の周りに巡礼者の列。土産の「聖水瓶」は一本銀貨二枚。泉のほとりの仮設舞台には献金箱が九つ。数えるまでもなく、村の規模に対して九つは多い。
「毎朝の『御業の刻』に、聖女様が水面に触れられるのです」
案内に立ったのは、恰幅のよい司教だった。バルナバ司教。指輪が三つ。いずれも今年の意匠だ。
「するとご覧なさい、涸れていた泉がこんこんと湧く! 御光の恩寵ですぞ。監査局がわざわざ検めるようなものは、何も——」
「では、拝見します」
御業の刻。鐘が鳴り、少女が現れた。
白衣。輝くばかりの銀髪に、花冠。歳は十四、五か。少女が細い指で水面に触れると——湧いた。水底から砂を巻き上げ、澄んだ水が盛り上がる。群衆が歓声を上げ、九つの献金箱が鳴る。
なるほど。良い舞台だ。
私は拍手の代わりに、長靴を履いた。
「な、何をなさる! 聖域ですぞ!」
「検分です。……ルカ様、そこの水門番の方を呼んでいただけますか」
泉の東の岩陰。苔の生え方が、そこだけ一年若い。石組みを外すと、木製の水門が現れた。真新しい蝶番。上流の沢から暗渠で水を引き、堰き止めておいて、刻限に開く。それだけの装置である。
「バルナバ司教。村の工事台帳に、この春の記載があります。『泉の改修工事、金貨四十枚』。着工日は——聖女様が最初の奇跡を起こされる、三日前です」
「そ、それは、巡礼者のための、その、足場の整備で」
「足場に暗渠は要りません。それから、こちらの水門職人の方が請けた仕事の内容を、先ほど証言してくださいました。控えもあります。『刻限に紐を引く係は、司教様の従者』だそうですね」
司教の顔色が、指輪より先に価値を失っていく。
「捏造だ! だいたい、監査ごときが聖女様の御業を——御光への冒涜だぞ!」
「冒涜ではありません。確認です」
私は手帳を閉じ、司教の目を見た。
「あなたが本物だと仰るなら、証明できて困ることは何もないはずです。バルナバ司教。この三月の寄進、帳簿上で金貨六百二十枚。この泉が御光の御業であるという、支出の裏付けを求めます。——その奇跡、領収書はありますか」
「りょ、領収……?」
「工事に金貨四十枚を払ったのはどなたですか。特注の白衣を仕立てたのは。聖水瓶を三千本焼いた窯元への支払いは。……全部、出てくるのですよ。奇跡は、在庫から割れます」
司教は、何も出せなかった。当然だ。奇跡の経費とは、存在した瞬間に奇跡の死亡証明書になる。
騒然とする群衆。その端で、私は舞台の裏に回った。
楽屋代わりの天幕の中に、聖女がいた。
花冠を外した少女は、舞台の上より頭ふたつぶん小さく見えた。皿の上の黒パンを、番人の目を盗むように齧っている。手首は枯枝のように細く、白衣の下の肘には、古い痣。
「……あなたが、検めの人ですか」
少女は逃げなかった。パンを置き、居住まいを正して、まっすぐ私を見た。
「テッサといいます。……わたし、捕まりますか」
「あなたは寄進を受け取っていません。受け取っていた者が裁かれます」
「そう、ですか」
少女は、ふ、と息を吐いた。それから——泣いた。声もなく、切れた堰のように。
「やっと……やっと、終わるんですね。わたし、水門の紐が引かれるたびに、怖くて。いつか誰かが気づいて、わたしが噓つきの魔女として焼かれるんだって、ずっと……」
「焼かれません。私の検分記録に、あなたは『被害者』と記載されます。記録は、あなたを守るためにも書かれるのです」
ルカ様が天幕に入ってきて、無言で少女の擦り切れた肩掛けを直した。その手つきは、聖人のそれではなく、ただの年長の孤児のそれに見えた。
テッサは、洟をすすって、それから妙なことを言った。
「あの……お姉さん。司教様の帳簿、二冊あります」
「二冊?」
「祭具室の、聖像の台座の下。わたし、字は読めないんですけど……数字の並びが、表の帳簿と『におい』が違うんです。三の字を書くとき、司教様の手が震えてる方が、本物です」
字が読めないのに、台帳が読める。
私はしゃがんで、少女と目の高さを合わせた。
「テッサさん。あなた、今のところ、今後のご予定は」
「……焼かれる予定、でした」
「変更しましょう。空いた予定に、私の助手はいかがですか」
監査官の私的控え——本日の検分結果。奇跡、不成立。被害者、一名保護。
裏帳簿、一冊(回収は次話)。……採用面接、一件内定。




