第27話:祝別記録
立入の礼状を待つ三日のあいだに、商会は世論という帳簿に書き込みを始めた。
王都の有力者に撒かれた招待状。『寄進者の集い』。表向きは聖跡巡り興行の披露目、実のところは、監査局を「教会の敵」に仕立てる決起の場である。
当局にも一通届いた。マルセランの流儀だった。決闘状は、上等な紙で来る。
「行くのかね」と局長。
「招かれた検分を断ると、後の帳尻が高くつきますので」
「なら、心得を二つ」局長は指を立てた。「一つ。あの手の集いは、入った瞬間から舞台だ。お前さんの仏頂面も、演目のうちに組み込まれとると思いなさい。二つ。――向こうが台本を用意しとるなら、こちらは記録を持っていけ。台本は記録に勝てん。二百年、ずっとそうだ」
「記録でしたら、常に携行しています」
「知っとるよ。……一枚、良いのを持っとるだろう。そろそろ抜き時だ」
局長は皮肉屋だが、抜刀の日取りを読む目は、王都で一番正確である。
私は書庫に寄り、一枚の写しを取った。破棄の夜から、鞘に入れたままだった証文である。
会場は商会本館の大広間だった。貴族、豪商、聖職者。寄進者という名の出資者が二百名。
燭台は銀、卓布は緋、杯は聖具売り場の最上等。信仰の披露目というより、信仰の決算報告の会場である。給仕の盆から、テッサが目測で杯の数を数え、小声で言った。
「……この宴会、金貨で百枚は使ってます」
「宴会は投資です。二百名の寄進者から、百枚の宴で千枚集める。……集金の効率としては、献金箱より上等ですね」
壇上の口上役は、予想の通りの人だった。
「皆様! 本日はようこそ! わたくし、モルガン伯爵家がオーレル・ドゥ・モルガン、僭越ながら進行を務めます!」
オーレル様は上機嫌だった。擦り切れた袖口は、新しい礼服に替わっている。前払いらしい。
「さて皆様、昨今、巡礼路に不穏な影がございます! 聖務監査局……ああ恐ろしい。帳簿、帳簿と唱えては、信仰の場を荒らして回る者ども! 現にあの者ら、施療院の美風であった提携を潰し、いままた当会の献金の記録を疑うという!」
会場の目が、こちらの席に集まる。値踏みの目である。
オーレル様は、私を見つけて声を張った。
「おお、当のご本人がおいでだ! 皆様、ご存じですかな。あの女監査官、かつてわたくしの婚約者でした! 婚約披露の場で、こともあろうに奇跡の勘定を始めた女です! わたくしは信仰の名において、涙を呑んで婚約を破棄いたしました! 以来あの女は、その私怨で教会に仇なしておるのです!」
嘲笑が、さざ波で広がった。審問の広場と同じ波である。あのときは、耐える側だった。
本日は、違う。
「進行役に、発言の申請をします」
私は立った。手には、羊皮紙が一枚。
「ほう、弁明ですかな! よろしい、皆様の前でどうぞ!」
「弁明ではありません。訂正です。教会記録の引用に誤りがある場合、訂正の申し立ては聴聞の作法です。……ただいまオーレル様が引用なさった婚約破棄について、公式記録を読み上げます」
羊皮紙を開く。
「祝別記録。モルガン伯爵家嫡男オーレル・ドゥ・モルガンと、エルロー子爵家長女カサンドラ・エルローの婚約解消の儀。立会神官の記載は、以下の通り」
会場は、まだ嘲りの余熱の中にいた。
「破棄事由――『当家の後援する聖女の奇跡に対する、検算行為ゆえ』」
一拍。
余熱が、冷めた。
「署名、オーレル・ドゥ・モルガン。……ご本人の花押つきです」
ざわめきの質が、変わり始めた。私は音を立てずに続けた。
「皆様。この記録は二つのことを証明します。一つ。私の検算は婚約より前からの習い性で、私怨は時系列が逆です。二つ。――モルガン家は『検算されると困る聖女興行』を後援していたと、ご本人が署名の上で認めています」
出資者たちの頭の中で、算盤の珠が動く音がした。
自分たちがいま金を出しているのは、どこか。検算を嫌う興行の、披露目の席ではないのか。
前列の老貴族が、隣席へ囁くのが聞こえた。「祝別記録は、公文書だな?」「閲覧請求ができるはずだ」「モルガン家の分だけかね。……他の後援の家は」
台本は、記録に勝てない。二百年、ずっとそうである。
「き、貴様……その記録は、その……!」
「オーレル様。かつて申し上げました。一言一句、正確に読み上げられる日が来るといいですね、と」私は羊皮紙を畳んだ。「本日が、その日です。良い記録は、大切に保管されていました。――教会に。祝別記録は公文書ですので、どなたでも閲覧請求ができます」
会場のあちこちで、椅子の引かれる音がした。潮の変わり目である。
そのとき、壇の袖からマルセランが進み出た。商人は、場の帳尻を読む速さだけは本物である。
「皆様、お騒がせしました。……モルガン家と当会の後援の儀は、本日限りで解消でしてな。当会は、検算を恐れる家門とは、お付き合いいたしかねます」
見事な引き際だった。切る速さだけなら、猊下と良い勝負である。……この類似は、後で考える。
オーレル様が、壇上で固まった。
「ま……マルセラン殿!? わ、わたくしは貴会のために……!」
「前金は、お納めください。違約の分は、後日、勘定書を」
風見鶏の止まり木が、衆目の中で、最後の一本まで折れた。
オーレル様は何か叫びかけ、会場の目を見回し、どの目にも自分の値段が書かれていることに気づいたらしかった。新しい礼服の肩が、みるみる萎んでいく。
……哀れとは、思う。だが哀れみは、判定を変えない。あの方は五年間、一度も検算をしなかった。自分の署名の意味さえも。
退場の間際、オーレル様は一度だけ、私の席の前で足を止めた。
何か言おうとして、開いた口から、何も出てこなかった。売り文句の天才が、売る物を全部失うと、こうなるらしい。
「オーレル様」と、私は職掌の外から一言だけ置いた。「次の止まり木は、ご自分の足で立てる場所をお勧めします。……その方が、安く済みますので」
あの方は、答えずに去った。
答えなかったことを、この五年間で最初の進歩として、記録しておく。
帰り際、テッサが私の袖を引いて、確認するように訊いた。
「カサンドラ様。あの記録のこと、ずっと持ってたんですか」
「持っていたのは教会です。私は、在処を覚えていただけです」
「……悔しくなかったんですか。ずっと」
「悔しさは、利息の付かない科目です」と私は言った。「付くのは、記録の方です。ですので記録に預けました。……本日、満期でした」
テッサは、分かったような分からないような顔で頷き、それから、とても素直な感想を言った。
「満期、かっこよかったです」
ルカ様が小声で訊いた。
「いまの、何点でしたか」
「採点対象外です。私的な決算ですので」
「では私的な感想を。……胸がすきました。信仰の作法に反するほど」
「奇遇ですね」と私は言った。「私もです」
帰り着いた監査局の机に、本庁からの書状が届いていた。
立入検分の礼状――許可。執行は、明朝。
監査官の私的控え——本日の決算。証文、一枚(抜刀・命中)。広告塔、一名(廃業)。集い、解散(潮目)。
古い帳尻が、一つ合いました。明朝、巻貝の蔵を開けます。




