第26話:同じ手
照合の場は、監査局の閲覧室に設えた。
長机に、証拠の紙が三列。中央に、提出された受納記録二十六冊。右に、宿駅の側に残っていた控えの綴り。左に、商会が市場や教会に出してきた公文の写し。
商会側の立ち会いは、会頭マルセランと、筆頭書記ゴティエ。局側は、局長と私、フェリクス翁が記録。ルカ様は窓辺で「重し」である。聖人が座っているだけで、場の嘘が三割減る。
「検分人を紹介します。当局助手、テッサ。本日の照合は、この者が行います」
「……ほう」マルセランは、十四歳の検分人を眺めた。「子供の目、でしてな」
「はい。帳場で育った目です」
開場の前、テッサは階段の陰で、自分の手を握ったり開いたりしていた。
「手が、震えます」
「震えて構いません。震えで読み違えたことが、一度でもありますか」
「……ないです」
「では、震えは検分に影響しません。経費に計上しなくてよい項目です」
「……はい」テッサは、手をもう一度握って、開いた。「カサンドラ様。わたし、偽聖女のとき、舞台の前はいつも震えてました。嘘がばれたらどうしようって。……今日のは、違う震えです。ほんとのことを言うのに、震えるんですね」
「ほんとうのことの方が、重いので」
あの子は頷いて、自分から先に、閲覧室へ入っていった。
テッサは一礼して、机に着いた。指が最初の頁に触れた瞬間、あの子から緊張が消えた。帳面の前でだけ、ああなる。
「始めます。……提出帳簿は、九つの宿駅ごとに、九人の書き手の字で書かれています。傾き、太さ、跳ね。九通り、ぜんぶ違います」
テッサは冊を開いて並べ、九つの「五」を指した。
「でも、この五。跳ねの角度は九通りなのに、跳ねる前に一度だけ筆を止める癖が、九人とも同じです。それから、行の区切りの点。九人とも、紙を撫でるみたいに、左から置いてます。……字の形は変えられます。でも、筆の止まり方と、紙の撫で方は、形じゃないので、変え忘れます」
「異論を挟みますがな」マルセランが穏やかに言った。「帳場の書法というのは、親方から弟子へ伝わるもの。癖が似るのは、当然でしてな」
「はい。だから、右の列と照らします」
テッサは、宿駅側の控えを開いた。
「こっちは、ほんとうに宿駅で書かれた字です。第三宿駅の帳場さんの五は、跳ねません。第七の帳場さんは、区切りの点を上から突きます。……九つの宿駅の、ほんとうの字は、ちゃんと九人ぶん、ばらばらです。提出帳簿の『九人』と、控えの九人は――一人も、一致しません」
閲覧室が、静かになった。
提出された「九人の帳簿」は、実在の九人の誰の手でもない。架空の九人を、一人が演じ分けている。
「……お待ちなさい」マルセランが、最後の反論を置いた。「宿駅の帳場が下手を打つゆえ、本館で清書し直した。それだけのことかもしれません、でしてな。清書は、商いの誠意ですぞ」
「清書でしたら、そうお答えになるのが三日前です」と私は言った。「提出の際、会頭は『各宿駅の受納記録』と明言なさいました。受理簿に、そう記帳してあります。……清書の誠意は、申告してこそ誠意です。申告のない清書は、別の名前で呼ばれます」
「…………」
「続けます。テッサ」
「最後に、左の列です」
テッサは、商会の公文の写しを引き寄せた。取引の受領書。教会宛の志納の添え状。いずれも、筆頭書記の署名がある文書である。
「この署名の字と、提出帳簿の九人の字。形はぜんぶ違います。でも、筆の止まり方、紙の撫で方、それと数字の七の、二画目の入り方。……同じです。九人ぶん、ぜんぶ」
テッサは顔を上げ、検分人の顔のままで、静かに言った。
「提出帳簿二十六冊は、九人ではなく、一人の手で書かれています。書いたのは――ゴティエさん。あなたです」
ゴティエは、否認しなかった。
腕を組んだまま、長いこと十四歳の検分人を見ていた。職人が、仕事を検分する目だった。
「……嬢ちゃん。俺の五は、どこで割れた」
「きれいすぎました。九人とも、間違えた行が一つもないんです。ほんものの帳場は、書き損じて、二重線で直します。控えの側には、直しが六十箇所ありました。提出帳簿には、零です」
「……書き損じまで演じるべきだったか」
「無理です」テッサは、少し申し訳なさそうに言った。「書き損じは、癖より嘘がつけません」
ゴティエは、初めて薄く笑った。敗者の検分の顔である。
「――いい目だ」
マルセランが、音もなく立ち上がった。笑顔は、もう着ていなかった。
「監査官どの。……この照合の、当局としての扱いは」
「提出物は不実文書。御光の紋を用いた献金の記録の偽装は、教会法上の重大違反です。よって当局は、商会本館の帳簿庫に対する立入検分を、本庁に請求します」
「……民間の蔵に、教会の錠は」
「掛かりません。ですが会頭、あなたは献金箱に御光の紋を彫った。紋を使った瞬間から、その金の通り道は全部、教会法の道です。……道は、誰のものでもないのでしょう?」
会頭は、しばらく黙った。それから、商人の顔に戻って一礼した。
「――言い値で買いましょう、その理屈。見事な商いでしてな」
二人が去ったあと、もう一つだけ検分が残っていた。
私はテッサの前に、クレシー教区の供養料受領の写しを置いた。
「検分人。この署名の手は、今日の二十六冊の手と、同じですか」
テッサは長いこと見比べて、頷いた。
「……同じです。ゴティエさんの手です」
六年前、コレットの供養料を偽装した手は、商会の筆頭書記の手。
認定課の書類を、商会の職人が書いている。
偽装の工房は一つで、教会と商会の両方から注文を受けている――。
フェリクス翁が記録の筆を置き、ほっほ、と笑わずに息だけ吐いた。
「こいつは……検分が、縦に繋がりましたのう」
登庁してきた局長に、照合の結果を報告した。老局長は、認定課の線のところで、手を挙げて私を止めた。
「そこは、判定に載せるな。まだだ」
「証拠は」
「証拠はある。足りんのは、時だよ」局長は、窓の外の大聖堂を見た。「商会の偽装は、商会を斬る刀になる。だが『商会の職人が認定課の書類を書いていた』は、大司教区の喉元に届く刀だ。……喉元に届く刀は、抜く前に見せると、こちらの腕ごと落とされる。第三号の赤と同じだよ。記録に貼って、寝かせておきなさい」
「……承知しました。手帳に載せます」
「うむ。お前さんの手帳も、だいぶ剣呑な台帳になってきたな」
剣呑な台帳は、懐の中で、姉の手帳の隣にある。
載せる台帳を選ぶのも、監査のうちである。
夜、テッサが帰り支度の途中で、ぽつりと言った。
「ゴティエさん、わたしのこと、怒ってませんでした」
「職人ですので」
「……わたし、ちょっとだけ、分かるんです。注文の中身しか見ないって決めて、手だけ上手になっていくの。舞台の上で、そうしてたので」
「あなたは、降りました」
「はい。……あの人も、降りられるといいです」
偽筆師の身の上は、当局の職掌外である。だが、テッサの言葉は記録しておいた。職掌外の記録が、時々、一番良い検分資料になる。
監査官の私的控え——本日の決算。書き手、九名(実数一名)。書き損じ、零箇所(それが敗因)。検分人、初仕事(見事)。
立入の礼状を待ちます。……その前に、商会が何か仕掛けてくる頃合いですが。




