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教会監査人は聖女を信じない 〜婚約破棄された検算令嬢、奇跡の「領収書」を拝見します〜  作者: 小鳥遊ミント
第5章 巡礼商会編

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第25話:綺麗すぎる帳簿

 三日後、約束通りに帳簿は「出現」した。

 荷車一台。綴り二十六冊。全宿駅、三年分の献金受納記録である。


 付け合わせは、二日がかりだった。局は総出である。

 私が読み、フェリクス翁が突き合わせ、テッサが数字を拾い、謁見明けのルカ様が写しの読み上げを受け持つ。クレシーの夜業と、同じ配置だった。あの夜と違うのは、机に菓子折りがあることである。毒見済み(テッサ、一個)。


 献金の総額は、宿駅の通行量と綺麗に相関する。支出の側は「巡礼路の維持費」――橋の補修、道標の建て替え、施し小屋の炊き出し。行はすべて領収の写しつき。

 領収の写しが、また良くできていた。橋大工の受領印。石屋の署名。炊き出しの麦の仕入れ先。……当たれば実在する店ばかりである。三軒、実地に当たらせた。三軒とも「そういう仕事は、した気がする」と答えた。した気がする、までしか答えられない程度の昔の話として、日付が選んである。

 完璧だった。


「相違、零です」フェリクス翁が突合の帳面を置いた。「三年分、二十六冊。数字の側から見るかぎり、この献金箱は聖人ですのう」

「……相違が零というのは、監査では、むしろ緊張する数字です」


 帳簿は人が付ける。三年、九つの宿駅、幾人もの手を経て、綻び一つないことの方が不自然なのだ。ルカ様の治癒名簿で覚えた緊張を、私は商会の帳簿で再演していた。


 ルカ様が、読み上げの途中で一度だけ手を止めた。


「監査官どの。妙なことに気づきました。施し小屋の炊き出し――毎月、麦三俵。三年間、一度も増減がありません」

「巡礼の数は、季節で倍も変わるのに、ですね」

「ええ。……私の名簿と、同じ匂いがします。綺麗すぎるときの匂い」

「良い鼻になってこられましたね」

「監査局で鍛えられていますので」


 だが、数字の側の綻びはそこまでだった。定額は「取り決めです」と言われれば終わる。決め手には、ならない。

 綺麗すぎるというのは心証である。判定は心証では打てない。


「テッサ。数字ではなく、紙を見なさい」

「はい」


 テッサは二十六冊を、読むのではなく、撫でて回った。頁をめくり、鼻を近づけ、綴じ紐を摘み、光に透かす。

 ルカ様が、その手つきを興味深そうに眺めた。


「テッサは、何をしているんですか」

「帳簿の、身体検査です」と本人が答えた。「数字は嘘がつけます。でも紙は、生まれた年と、育った部屋と、書かれた季節を、体に覚えてるので」

「……初耳です。紙に、そんな正直な器官があるとは」

「ルカ様、しーです。いま、聴診してます」


 聖人は素直に黙った。王都で最も敬われる人が、十四歳の帳場の子に黙らされる。この局の序列は、検分の場では帳簿が決める。正しい序列である。


 半日後、あの子は妙な言い方をした。


「カサンドラ様。この帳簿……季節が、ありません」

「季節」

「インクです。冬の帳場のインクは、凍えて濃くなります。夏は伸びて薄くなります。三年分なら、濃い薄いの波が、三回あるはずです。……ぜんぶの冊が、おんなじ濃さです。おんなじ冬の、おんなじ部屋で書いたみたいに」


 三年分の記録が、一つの季節で書かれている。

 つまり、この二十六冊は――この三日間で、作られた。


「見事な検分です」と私は言った。「そして、証拠としては使えません」

「……ど、どうしてですか」

「インクの濃さは、量れないからです。あなたの目は正確でも、判定書に『テッサがそう感じた』とは書けません。相手は、上手い書き手を連れてくるでしょう。『保管部屋の環境が一定だった』とでも」


 テッサはしゅんとして、それから、しゅんとしたまま食い下がった。


「じゃあ、量れるものなら、いいんですか」

「量れて、照らし合わせられるものなら」

「……筆跡は、量れますか」


 あの子は、二十六冊のうち三冊を抜いて、並べた。


「この帳簿、書いた人が九人いることになってます。宿駅ごとに一人ずつ。字の癖も、九通りあります。傾けたり、太くしたり。……でも、変なんです。数字のにおいが、九人ぶん、しません」


 商会の検分に立ち会った日のことを、私は思い出していた。閲覧室の隅で、無口な男が一心に筆を動かしていた。筆頭書記、ゴティエ。テッサはあの日、男の手元をずっと見ていた。


「においでは、判定は打てませんよ」

「はい。だから、量ります」テッサは自分の帳面を開いた。「九人の『五』を、ぜんぶ写しました。跳ねの角度、九人とも違います。でも、筆を離す瞬間だけ、九人とも、おんなじ癖で紙を撫でてます。それと――」


 あの子は、古い写しを一枚、机に置いた。

 クレシー教区の、供養料受領簿の写し。「保全」の前夜にテッサが写し取った、あの偽筆の署名である。


「『ブ』の点を、逆から打つ癖。……この帳簿の中に、おんなじ癖の字が、あります」


 六年前、認定課の書類でギヨーム・ファーブルの署名を偽った手。

 三日前、商会の受納記録二十六冊を作った手。

 同じ手だとすれば――商会と認定課は、同じ偽筆師を使っている。偽装の工房が、繋がっている。


 窓の外は、もう夜だった。

 私は懐の手帳に指で触れ、それから、口に出して勘定した。


「必要なものを並べます。一、筆跡の照合を『心証』から『検分』に格上げする手順。二、照合の場に商会を立ち会わせる段取り。三――」


 テッサを見た。あの子は、緊張と、緊張よりわずかに大きい何かで、頬を赤くしていた。


「三、照合を行う検分人。……テッサ。当局の検分人として、やれますか」

「っ……はい。やれます。やりたい、です」


 偽聖女だった子が、偽筆を検める側に立つ。

 この帳尻の合い方だけは、当局の設計ではない。世の中の帳簿が、時々こういう貸借を組む。


 登庁していた局長に、段取りの裁可を求めた。老局長は、一つだけ注文を付けた。


「照合は、公開でやりなさい。商会を立ち会わせ、記録を取り、衆目の下で」

「密室ですと」

「握り潰される」局長は、断言した。「相手は王都の紙の三割に顔が利く商会だ。密室の検分結果など、翌朝には『監査局の捏造』に化けとるよ。……公開の場で、子供の目が職人の手を割る。それは誰にも握り潰せん。見世物の形をした、一番堅い証拠になる」

「テッサに、耐えられるでしょうか」

「訊く相手が違うな」


 局長は、棚の前のテッサに顎をしゃくった。あの子は自分の帳面に、九人ぶんの「五」を、何度も何度も写して並べていた。誰に言われたのでもなく。

 ……訊くまでもなかった。帳簿のことになると、あの子は、私に似るのである。


 帰り際、テッサに一つだけ、検分人の心得を渡した。


「あなたは当日、間違えても構いません。間違えたら、当局が引き取ります。……ですが、見えたものを小さく言うことだけは、してはいけません。検分人の目は、当局の目ですので」

「……はい。大きくも、小さくも言いません。見えたぶんだけ、言います」

「合格です」

監査官の私的控え——本日の収支。提出帳簿、二十六冊(相違零・季節も零)。検分人、一名(新任・十四歳)。

綺麗すぎる帳簿と、綺麗すぎる字。……明後日、九人の書き手に、お目にかかります。

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