第24話:道は、誰のものか
訴えは、聴取から始めた。
三件の巡礼者は、口を揃えてこう言った。宿駅の帳場の前に、御光の紋の献金箱がある。納めると、巻貝の受領札をくれる。札のない客には――宿も、馬も、水桶までもが「売り切れ」になる。
「献金の額は」
「決まってねえです。決まってねえのが、恐ろしいんで。……前の客が銀貨二枚で札をもらえたのに、わしは三枚でも『お志が足りぬようで』と」
お志、である。しかも相場が動く。市より正直でないのは、市と違って、断る自由が売り切れているからだ。
三人目の訴え人は、腰の曲がった老婆だった。亭主の墓参りに、年に一度、南の聖跡へ通っているという。
「四十年、歩いてきた道です。若い時分は、道端の御堂で寝かせてもろうて、水は井戸で。……いまは御堂に錠が下りて、井戸に札が立っとります。『巡礼者の皆様は宿駅をご利用ください』と」
「今年は、どうなさったのですか」
「……戻りました。途中で。銭が、足らんで」
老婆は、それきり黙った。四十年続いたものが途切れた人の黙り方だった。
私は手帳に書いた。御堂、施錠。井戸、有料化。無料の道の在庫が、計画的に消されている。献金が「自主的」であるためには、献金しない自由が要る。その自由の方を、先に買い占めてある。
翌日、現地へ出た。王都から半日の第三宿駅。検分の顔ぶれは、私とテッサ、それに――フードを目深に被った、長身の巡礼者が一名。
「……本当に、いらしたのですか」
「私も検分がしたいんです。自分の名前が使われていた道ですから」ルカ様はフードの下で、楽しげだった。「それに、順番に並ぶというものを、一度やってみたかった。私は十歳から、並ばれる側でしたので」
道中、聖人は一度だけ危なかった。
休憩の水場で、足を挫いた行商人が呻いていたのである。フードの下の手が、無意識に伸びかけた。私はその袖を、帳面の角で押さえた。
「……検分中です」
「…………はい」
「布を巻いて差し上げなさい。布は、誰が巻いても布です」
聖人は布を巻いた。存外に、手際が良かった。行商人は礼を言い、聖人の顔を見ないまま歩いていった。
フードの下で、小さな声がした。
「……布でも、治るものなんですね」
「挫きは、だいたい布と時間で治ります」
「知りませんでした。私の周りでは、全部、私が治していたので」
声は少しだけ、寂しそうで、それより少しだけ、嬉しそうだった。世界の側に治す力があると知ることは、この方には十年ぶんの新知識なのである。
並んでみると、話は聴取の通りに進んだ。
帳場の前の献金箱。納めない私たちに、手代は愛想よく告げた。本日、寝床は満室。馬は出払い。水は……桶の修理中でして。
背後の厩から、馬のいななきが三つ聞こえた。修理中の桶で、下男が床を洗っていた。
「テッサ。記録を」
「はい。……お馬さん、三頭います。桶、使ってます」
私は帳場に受理票を置いた。
「聖務監査局です。この献金箱の受納記録の閲覧を求めます」
「じ、受納記録……?」
「箱に御光の紋があります。御光への献金は、教会法の受納規程の適用を受けます。記録の作成と保存は義務。閲覧の拒否は、規程違反です」
手代の顔から、愛想が落ちた。愛想の下から出てきたのは、困惑だった。おそらくこの男は、規程の存在自体を知らない。知らされずに、箱だけ置かされている。
帳場の奥から、宿駅の駅長が出てきて、平身低頭の末に白状した。
献金箱は、商会の指示で三年前から置いている。集まった金は月末に商会の集金人が回収する。記録は――「巻貝の本館で付けておる、と聞いております」。
「札のない客への『売り切れ』は、誰の指図ですか」
「……指図の紙は、ごぜえません。ただ、案内人頭が月に一度見えて、札のねえ客に売った月は、請負の払いが、その、遅れるんで」
「遅れる」
「へえ。三月遅れたことがあって、その月は、うちの子らの……いえ。とにかく、売らねえ方が、暮らしが立つんで」
命令書は、どこにもない。あるのは、支払いの遅速だけである。
鞭の代わりに帳簿で打つ。この商会の躾は、一貫して紙でできていた。紙でできた躾は、紙の側から崩せる。それが唯一の朗報だった。
帰り際、私は献金箱に銀貨を一枚納め、受領札を一枚、受け取った。
巻貝の焼き印の木札。裏に、御光の紋の押し印。
「カサンドラ様、納めちゃうんですか」
「証拠品の購入です。経費で落とします」
教会の紋で徴収し、商会の札で管理する。この木片一枚が、覚書一冊ぶんの証言をする。
ルカ様が自分の巾着を出しかけて、やめた。
「……私も納めようかと思いましたが、私の銀貨は、話が大きくなりますね」
「なります。聖人の献金は、翌月の刷り物になりますので」
帰路の馬車で、ルカ様が言った。
「不思議な仕組みですね。教会の紋で集めて、商会の蔵に入る」
「紋は、集金の効率が良いのです。断れば罰が当たる、と客の側が勝手に思ってくれますので」
「……私の名前と、同じ使われ方だ」
「はい。この商会は一貫しています。信仰の、効き目のある部分だけを卸している」
フードの下の声が、少し低くなった。
「監査官どの。私は昔、考えたことがあります。私の治癒も、教会にとってはそれなのだろうと。効き目のある部分。……数えてもらう前の私は、自分でもそう思っていました」
「いまは」
「いまは、判定書の余白があります」
余白。付記の一行のことである。
……あの一行の経費対効果は、当局の想定を上回り続けている。検算はしないでおく。
王都に戻り、商会本館へ開示請求を出した。
御光の紋の献金箱、巡礼路全域ぶん。その受納記録、三年分。
応対したマルセランの笑顔は、今回は最初から商談の顔だった。
「……献金の帳簿、でしてな」
「規程により、作成と保存は義務です。存在しないなら、規程違反。存在するなら、開示の義務」
「ございますとも。当会の帳簿に、無い物はございません」会頭は、指で机を三度叩いた。「ただ、量が量でしてな。三年分、全宿駅。取りまとめに――三日、頂きましょう」
三日。
帳簿を探すには長く、帳簿を作るには十分な時間である。
「三日後に伺います」と私は言った。「なお会頭。当局は提出物の中身と同じだけ、紙とインクも検分します」
「……それはそれは。うちの紙は上物ですぞ」
商人は笑った。笑いの温度が、一度だけ下がったのを、私は帳面に記録した。
局に戻り、局長に段取りを報告した。
「三日で全宿駅三年分なら、書き手は寝ずに三人。……いや、あの商会なら一人か」局長は顎を撫でた。「良い勝負になるよ。作る側と、見破る側の、紙の上の果たし合いだ」
「勝算は」
「うちには、紙の育ちが分かる子がいる。向こうは、まだそれを知らん。……知らない武器が、一番よく切れる」
監査官の私的控え——本日の収支。売り切れ、三件(馬三頭・桶一つ・寝床多数、いずれも実在)。受納記録、行方不明(三日後に「出現」予定)。
出現する帳簿ほど、良く検分の要るものはありません。
次話、綺麗すぎる帳簿。




