第23話:割り込みの値段
提携の覚書は、施療院の書庫から出てきた。
『巡礼者便宜供与に関する覚書』。施療院側の署名は、事務長ラウル。商会側は、会頭マルセラン。
条文は三つしかない。商会は巡礼者の宿と輸送に便宜を図る。施療院は商会の案内人の立ち入りを認める。商会は施療院の営繕のため、志納を行う。
「志納の受け皿は」
「それが妙ですのう」フェリクス翁が受納の綴りをめくった。「施療院の営繕費に入っとらん。『本庁認定課扱い 特別志納』……施療院を素通りして、本庁へ行っとります」
テッサが数字を拾う。志納、月に金貨二十枚。三年で七百二十枚。
施療院の屋根は、三年前から雨漏りがそのままである。営繕の名目で集めた金が、営繕に一枚も使われていない。
事務長ラウルの聴取は、その日の午後に行った。
突く前から、崩れている人だった。
「わ、私は、施療院のためを思って……商会さんは、良くしてくださるので……巡礼の方々も、宿が取れると喜ばれて……」
「覚書の締結に、本庁の認可を取りましたか」
「認可……は、その、商会さんが、手続きは全部こちらで、と」
「志納の宛先が『本庁認定課扱い』となっている理由は」
「そういう書式だと……渡された紙に、そう」
悪意の在庫が、どこにもない。この方は三年間、渡された紙に判を押し続けただけである。
渡した側は、判を押す人を選んでいた。検めない人を、正確に。
「ラウル様。一つだけ伺います。三年間、一度でも、変だと思ったことは」
「……屋根の、雨漏りが」事務長は、うなだれた。「営繕の志納をいただいているのに、どうして営繕の稟議が通らないのかと。……二度、訊きました。二度とも、『別枠だから』と」
「誰に訊きましたか」
「商会の、案内人頭に」
教会の中の疑問が、商会の答えで蓋をされている。配管は、建物の問いにまで水を回していた。
「型が、見えてきましたね」と私は言った。「教会の看板を商会に貸す。貸し賃は『志納』の名で、認定課の筋へ上がる。……フォンス村と同じです。献納の行き先が、同じ筋です」
もう一つ、覚書には根本の不備があった。
教会の名を用いる提携は、本庁の認可が要る。覚書に、認可の印がない。事務長の一存で結ばれ、三年間、誰にも検められていない。
……検められない場所にだけ、この種の紙は育つ。
判定は、三日後に出した。
「受理番号、本年度第四号の内、第一件。検分事項、施療院と商会の提携の適否。
検分の結果。一、覚書は本庁の認可を欠く。二、志納は名目と受け皿が不一致。三、当該提携により、施療院の受付は事実上の割り込み販売の場となった。
――判定。覚書は無効。施療院の受付は、重症の順を先とし、以下は籤とする。教会の名および聖人の名の商用使用は、以後、本庁認可なきものを禁ずる」
封蝋は、灰。事務長ラウルの覚書綴りに落とした。赤ではない。この方は搾取の設計者ではなく、設計図に判を押しただけの、検めない人である。検めない罪は、灰の色をしている。
受付の是正から五日目に、施療院から報せが来た。
重症優先枠の一号は、南村の娘だった。
その日の謁見には、私も立ち会った。監査の継続検分として、である。他意は帳簿に載せない。
リゼは診台の上で、行儀よく手を膝に置いていた。父親は入口で、帽子を胸に押し付けたまま固まっている。
「はじめまして」と、白のルカは言った。「目を、見せてくださいね」
治癒というものを、私は職掌上、何十回も検分してきた。それでも、あの光の説明は、いまだに帳簿に書けない。
聖人の掌が翳され、白い光が、蝋燭のように静かに灯る。派手さは何もない。ただ、診台の上の小さな肩から、こわばりだけが先に解けていく。
布が外された。
娘は二度まばたきをして、部屋を見回し、最初に見つけたものの名を呼んだ。
「……おとうさん、ひげ、のびてる」
入口で、帽子が床に落ちた。
テッサは記録係の顔を保とうとして、失敗して、袖で目元を拭いた。私は記録係の顔を保った。保てたはずである。誰も検分していないことを願う。
帰り道、ルカ様が、受付での顛末を教えてくれた。私が立ち会う前の話である。
「父親が、受付で九枚の金貨を差し出したそうです。枠は十枚だったから、足りない分は働いて返すと」聖人は自分の掌を見て、それから、珍しく笑った。作り物ではない方の笑い方だった。
「受付は」
「言ってもらいました。――施療院の謁見は、無料です、と。あの親子、しばらく動けなかったそうですよ」
「……祈りは無料、奇跡は有料、だそうですので」
「ええ。ですから、訂正してきました。祈りも無料、奇跡も無料。有料なのは、割り込みだけです。……今日の私は、何点でしたか」
「本日は、採点を保留しません」
聖人が、まばたきをした。
「良い仕事でした」
返事はなかった。ただ、隣を歩く足音が、半歩ぶん軽くなった。
商会の反応は、翌日に来た。
マルセラン本人が、菓子折り一つで監査局の階段を上ってきたのである。軋む四段を、樽のような体で豪快に軋ませて。
「いやはや、一本取られましてな。特別巡礼枠は、本日をもって販売終了です」
「潔いことです」
「商人は損切りが早いのが取り柄でしてな。……ですが監査官どの、看板は一枚剥がれても、また生えます。聖跡巡りの刷り物、刷り直しました。改訂版、お納めください」
『聖跡巡り大興行 全二十一箇所 御朱印つき』
「ご覧の通り、聖人様の名前は、もう使っておりません。聖跡は物を言いませんでな。文句も出ない」
「巡礼路の聖跡は、教会の管理地ですが」
「管理は教会、道は商会。……道は、誰のものでもありませんでしょう?」
「会頭。念のため申し上げますが、当局の検分は継続中です」
「存じております。だからこうして、ご挨拶に」商人は菓子折りを机に置いた。「監査というのは、ありがたいものでしてな。おかげで当会は、危ない商品を一つ、卸値で損切りできた。……次からは、監査官どのに褒められる商いをいたしますよ。褒められる商いが一番儲かる、というのが持論でしてな」
商人は笑って、来た時と同じ豪快さで階段を降りていった。
テッサが菓子折りを検分して、小声で言った。
「……認定課のより、高いやつです」
「毒見は」
「します。……あ、でも、一個だけにします。前回、夕食に響いたので」
勝った気が、まるでしなかった。切られたのは商品の一枝で、幹は太ったままである。むしろ幹は、切られた枝の分だけ、身軽になった。
その幹の根元から、水の音がしたのは、同じ週のうちだった。
監査局に、巡礼者の訴えが三件、続けて届いたのである。
曰く――巡礼路の宿駅で、「献金」を納めない者には、馬も寝床も水も、売ってもらえない。
監査官の私的控え——本日の決算。覚書、無効一件(灰)。割り込み券、販売終了。治癒、一件(金貨零枚)。
道は誰のものでもない、と会頭は言いました。……では、道端の「献金箱」は誰のものか。次の検分事項です。




