第21話:巻貝の商会
受理第四号の朝は、依頼状の検分から始まった。
上等な羊皮紙。整った筆跡。文面は簡潔で、末尾に付帯条項が一つ。
『検分に必要な範囲において、当区の受納記録の閲覧を認める』
「……餌が、肥えています」
「肥えとるなあ」局長は依頼状を光に透かした。「大司教区の受納簿は、わしが局長になって二十年、一度も開かなかった扉だよ。それを、向こうから開けてきた」
依頼の動機を、仮説の形で帳簿に並べる。
一。商会が肥えすぎた。取り分の勘定が、合わなくなった。
二。商会の帳簿には、猊下に都合の悪い行がある。その始末を、当局にやらせたい。
三。当局と商会をぶつけて、双方を削りたい。
「三つとも当たり、というのがわしの見立てだ」
「同感です。……ですが、依頼の動機が汚れていても、帳簿は帳簿です」
「結構。なら、心得を一つだけ」局長は依頼状を机に戻した。「教会と商会はな、カサンドラ。犬猿の仲に見えて、犬猿ではない。長い共犯だよ。共犯同士が仲間割れをするときだけ、うちのような掃除方に声が掛かる。……つまりこの依頼は、割れ目だ。割れ目からは、両方の中身が見える」
「両方の中身を、記帳します」
「そういうことだ。行っておいで。巻貝の殻の中へ」
フェリクス翁が、受理簿を清書しながらぼやいた。
「猊下のご依頼を断れば角が立ち、受ければ手駒にされる。……ほっほ。うちの局は、いつも良い籤を引きますなあ」
「籤ではありません。指名です」
「なお悪いですのう」
サンクタ巡礼商会。
三十年前、一人の行商人が巡礼者に草鞋を売ることから始めた店は、いまや巡礼路の宿駅の請負、乗合馬車、聖具の卸、聖水の販売までを束ねる、王国最大の「信仰の問屋」である。
会頭、マルセラン。教会との提携、数知れず。印は、巻貝。
フェリクス翁が集めた資料を私が読み上げ、テッサが数字だけを拾っていく。
「聖水、一本銀貨二枚……」テッサの声が、途中で細くなった。「……興行のときの仕入れは、銅貨でした。売り値の頭に銀の字がつくの、ずっと変だと思ってました」
「商会を、知っているのですね」
「興行の道具は、ぜんぶ巻貝から来てました。瓶も、幟も、お客さんを運ぶ馬車も。……偽聖女は村ごとに違うのに、道具はぜんぶ、同じお店でした」
興行は村ごとの犯罪に見えて、道具は一つの問屋から出ている。
バルナバの興行網を検めたとき、私は村の側から帳簿を見ていた。今度は、問屋の側から見る番である。
資料の束には、商会と教会の提携の一覧も付いていた。
施療院の便宜供与。大聖堂前の聖具売り場の請負。祭日の警備人足の派遣。巡礼路九宿駅の運営代行。……教会の営みの、金の触れる場所には、必ず巻貝がいる。
三十年かけて、この商会は教会の「外注先」から「配管」になった。配管は、抜くと建物が困る。だから誰も抜かなかったのだ。
「テッサ。あなたの目に、この商会はどう見えますか」
「……大きいバルナバ様、です。ただ」あの子は、少し考えて言い直した。「バルナバ様は、嘘の奇跡を売ってました。巻貝は、嘘を売ってません。ほんとの宿と、ほんとの馬車と、ほんとの瓶で……ほんとのものだけ使って、どうしてこんなに、数字のにおいが変なんでしょう」
良い問いである。答えの候補は一つしかない。
――ほんものの道具で組んだ装置の、目的の側が偽物なのだ。
午後、フェリクス翁が街で一枚の刷り物を拾ってきた。
『聖跡巡り大興行 特別巡礼枠、承ります』
文言は上品だった。曰く、「白のルカ様の謁見に必ず間に合う、安心の巡礼の旅。旅程と宿つき、金貨十枚」。
特別巡礼枠、と私は手帳に登記した。当局の帳簿では、この読みで正しい。
謁見明けのルカ様に、刷り物を見せた。
聖人の微笑は、崩れなかった。崩れないまま、温度だけが消えた。
「……私、契約した覚えがありません」
「でしょうね」
「監査官どの。私の名前は、いま、いくらで売られているのですか」
「金貨十枚。旅程と宿がついてきます」
「……高いのか安いのか分からないのが、一番悔しいですね」
「ご安心ください。無断の値札は、剥がすのが当局の職掌です」
聖人は、少しだけ微笑の温度を戻した。それから、思い出したように付け足した。
「そういえば、近頃、施療院の門前に案内人が立つんです。揃いの帯に、巻貝の徽章。並んでいる人に『お急ぎなら良い方法がございます』と囁いて回る」
「囁かれた方は」
「翌日から、列にいません。……治ったのならいいのですが、私の名簿には載っていない。つまり、順番を買えなかった人が、諦めて消えているんです」
聖人の指が、自分の掌をなぞった。
「監査官どの。私の力は一日十五人ぶんしかない。それは仕方がない。ですが、十五人の選ばれ方が金貨で決まるなら――私は、金貨の道具です」
「道具かどうかは、帳簿が決めます。検分しますので」
「……はい。お願いします」
お願いします、が素直に出る聖人になった。認定から十年目の変化としては、悪くない。判定書には書かないでおく。
夕刻、私はテッサを連れて大聖堂前の広場へ出た。商会の口上場が立っているという。
人だかりの中心に、口上役がいた。
聞き覚えのある声だった。
「さあさ、皆様! わたくし、モルガン伯爵家がオーレルが保証いたします! サンクタ巡礼商会の聖跡巡りは、由緒正しき信仰の旅! 枠には限りがございますぞ!」
礼服は仕立てが良く、袖口だけが擦り切れていた。参事会員候補の札は、もう付いていない。
オーレル・ドゥ・モルガン様である。
審問の敗訴側に付いた小鳥は、社交界の止まり木を失い、いまは巻貝の看板に止まっていた。
「聖跡二十一箇所、選りすぐりの巡礼でございますぞ! 各所で御朱印を賜り、満願の暁には商会より祝別の記念杯を進呈! さあ、枠には限りが……おや、そこの奥方、迷っておられますな! 信仰に迷いは禁物ですぞ!」
群衆は笑い、財布の紐を緩める者もいた。口上そのものは、上手いのである。あの方は昔から、中身のない売り文句だけは天才だった。私との婚約披露でも、私の美点を十七並べた。十七のうち十五は、私に該当しなかった。
人垣の後ろで、テッサが背伸びをして、すぐにやめた。
「……あの人、こっちを見ました」
「見たでしょうね」
「逃げなくて、いいんですか」
「監査官は、記録対象から逃げません」
オーレル様は一瞬、口上を途切れさせた。それから、聞こえよがしに声を張った。
「皆様、信仰には敵もおります! 帳簿で奇跡を測る、疑い深い者ども! ですがご安心を、当会の興行は清く正しく――」
敵、の勘定に入れていただけたらしい。あの方の帳簿の中で、私の科目が「元婚約者」から「敵」に振り替わった。……どちらの科目でも、評価額は据え置きである。
テッサが私の袖を引いた。
「……帰りましょう、カサンドラ様。あの人の声、勘定が合ってません」
「合っていませんね。ですが、記録はしておきます」
手帳に書く。商会の広告塔、一名。評価額、据え置き。
懐の奥で、あの証文の抜き時が近づいている気配がした。証文は、抜く日まで鞘に入れておくものである。
監査官の私的控え——本日の記帳。依頼状、一通(餌・よく肥えている)。刷り物、一枚(聖人の名、無断使用)。広告塔、一名(再々計上)。
巻貝の殻は、外から叩いても開きません。明日、中から検めます。




