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教会監査人は聖女を信じない 〜婚約破棄された検算令嬢、奇跡の「領収書」を拝見します〜  作者: 小鳥遊ミント


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18/24

第18話:故人の尊厳

 本庁認定課は、大聖堂の南翼にある。

 磨かれた廊下。日当たりの良い執務室。書架は紙で埋まっているのに、部屋は綺麗だった。使い込まれた帳場に必ずある、あの饐えた紙のにおいがしない。

 廊下ですれ違う司祭たちは、皆、目礼が綺麗だった。綺麗な目礼は、こちらの顔を覚えないための作法でもある。


 監理官セヴランは、五十がらみの、感じの良い事務屋だった。


「これはこれは、監査官どの。先日の審問では、ご立派なことで。開祖の検算録とは、恐れ入りました」

「本日は閲覧請求の件で参りました。聖女コレット・ファーブルの認定記録、ならびに昇天の記録」

「昨日、却下のご返答を差し上げたはずですが」

「却下の理由を、伺いに来ました」

「書面の通りですよ。故人の尊厳のためです」


 監理官は、慈悲深い顔を作った。作り慣れた顔だった。


「昇天された聖女様の記録には、ご闘病の様子など、痛ましい記載も含まれます。興味本位の目からお守りするのが、当課の務めでして」

「実兄の閲覧請求も、九度却下されています」

「ご遺族だからこそ、です。お辛いでしょうから」

「では、死亡の記録はどちらに」

「昇天の認定書がございます」

「死亡の診断書は」

「監査官どの」監理官は、聞き分けのない子供を見る目をした。「昇天に、診断は要りません」

「では最後に一つ。閲覧の可否を判断なさったのは、どなたですか」

「当課の職掌において、私が」

「昨日の却下は、請求から三刻で返ってきました。本庁の受付から当課まで、文書の往復だけで二刻かかります」

「当課は、仕事が早いのです」


 監理官は、微笑んだまま瞬き一つしなかった。嘘の巧い人は、瞬きで嘘をつかない。

 辞去の間際、監理官は世間話の声で言った。


「監査官どの。熱心なのは結構ですが、あまり旧い記録を掘り返しますと、埃で肺を悪くしますよ」

「ご心配なく。埃の検分は、当局の本業ですので」


 問答は二十四分で切り上げた。得られた回答、零件。

 ただし、収穫が一つ。この方は問答の間、一度も背後の書架を振り返らなかった。守るべき物の在処を、目線で教えない訓練ができている。

 ……つまり、守っているのである。


 帰りの廊下で、テッサが小声で言った。


「あのお部屋、台帳のにおいが、しませんでした。紙はいっぱいあるのに。……使ってない紙のにおいです」

「使っていないのではなく、使わせない紙でしょう」

「それって、帳簿って言うんでしょうか」

「言いません。ああいうのは、蓋と言います」


 クレシー教区の台帳は、請求から六日で届いた。木箱が四つ。六年前を挟んだ、前後三年分の会計記録である。

 クレシーは王都から南へ馬車で二日。コレットが「治癒の聖女」として務めた教区だ。教区の会計は当局の職掌の内である。認定課の壁の、裏へ回る道だった。


 検分は、夜までかかった。ルカ様が謁見明けで写しの読み上げを買って出て、フェリクス翁が突合を取り、テッサが頁をめくった。

 ルカ様は数字の読み上げが、存外に上手い。孤児院の帳簿係は伊達ではないらしく、桁を間違えず、声が疲れない。


「意外ですか」

「適材です」

「……褒められました。テッサ、いま私は褒められましたよ」

「ルカ様、手が止まってます」


 一つ目。香油と蝋燭。


「昇天の月の、香油の発注……」ルカ様が頁を繰り、繰り直した。「――零本、です」

「葬送には香油が要ります。聖女の葬儀ともなれば、樽で」

「発注どころか、在庫の払い出しもないですのう」とフェリクス翁。


 葬いの経費が、どこにもない。

 帳簿の上では、あの教区で葬儀は行われていない。


 二つ目。献納。


 コレットの謁見――治癒の興行の収益は、月ごとに一行、同じ宛先へ流れていた。

 『王都大司教区へ 献納うわのり』。

 フォンス村と同じ書式である。聖女が変わり、教区が変わっても、金の流れの型だけは変わらない。


 三つ目。供養料。


 昇天の翌月、教区の支出簿に一行。

 『ご遺族へ 供養料くちどめ 金貨三十枚。受領済』。

 受領欄の署名――ギヨーム・ファーブル。


「受け取っていない」

 立ち会っていた審問官は、写しを一目見て言った。声が一段、硬くなっていた。

「一枚も、だ。それに――これは私の署名ではない」

「テッサ」

「はい」


 テッサは署名の写しと、審問官が手帳に書いた署名とを並べて、顔を近づけた。


「……別の人です。癖は真似てますけど、『ブ』の点を、逆の側から打ってます。あと、この人、書き慣れてます。真似なのに線に迷いがないの、逆に変です」


 筆跡の偽造。それも、慣れた手による。

 三十枚の金貨は、遺族に渡らず、記録の上でだけ「渡った」ことになっている。


「慣れた手、というのが引っかかりますな」とフェリクス翁。「一度きりの偽筆に、慣れは要らんですぞ。……つまりこの手は、余所でも書いとる」


 余所でも。他の遺族の、他の受領欄でも。

 覚え書きの四つの名が、頭の中で列を作った。


 四つ目は、テッサが見つけた。

 認定台帳の教区控え。コレットの頁の前で、指が止まる。


「カサンドラ様。この頁、若いです」

「若い、とは」

「紙の厚みと硬さが、前後の頁と違います。この帳面、ぜんぶ同じ年の漉きの紙なのに……この頁だけ、二年か三年、あとの紙です」


 頁の差し替え。六年前の記録が、六年前より後に、書き直されている。

 何が書き直されたのかは、差し替えた者しか知らない。だが、差し替えたという事実そのものは、紙の厚みが証言する。


 検分の合間に、テッサがもう一つ、判定の要らない行を見つけた。

 教区の日用の支出簿である。認定の年から、月に一度、同じ行が立っている。


 『聖女様御用 蜂蜜菓子 銀貨一枚』


「……買ってもらってたんですね」テッサの声が、少しだけ柔らかくなった。「わたしのところは、興行の日だけ、飴でした」


 行は、五年間続いていた。昇天の十月前に、途切れるまで。

 菓子の行が消えた月から、香油も、葬儀も、何もないまま、帳簿は昇天へ進んでいく。

 十三で認定された少女が十八で消えるまでの五年間は、経費の行間に、それだけしか残っていなかった。

 ギヨーム・ファーブルは、その一行を長いこと見ていた。指は、頁に触れなかった。


「……妹の記録は」審問官が、静かに訊いた。「痛ましいから、封鎖されているのだったな」

「認定課の説明では」

「痛ましいのは、記録か。それとも、記録の扱いか」


 ここまでを、私は検算の型に置いた。

 葬儀の経費、なし。死亡の診断、なし。遺族への支払い、偽装。記録の頁、差し替え。

 ……「死」の側に、経費が一つも立っていない。

 帳簿というものは、起きたことに正直で、起きなかったことには、もっと正直である。


 答えは検分で出す。私は最後の木箱を開けた。


 移送記録。教区に出入りした荷駄の控えである。

 昇天の記録の前日の行で、テッサの指が、また止まった。


 『夜半。荷馬車一台、発。積荷――便、一件。行先――』


 行先の欄は、空白だった。

監査官の私的控え——本日の決算。認定課、回答零件(想定内)。教区台帳、不実三件(香油零本・偽署名・頁差し替え)。

行先のない夜半の荷馬車が、一台。……空白は、埋めるためにあります。

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