第14話:公開審問・前夜
監査局の机に、蝋燭が一本、灯っている。
前倒しされた三日のうち、二日は反証の写しの選別で溶けた。押収で空になった台帳棚が、壁に大きな影を張っている。開廷まで、あと一夜である。
卓を囲むのは、局の全員だ。ベネディクト局長。老書記フェリクス。テッサ。ルカ様。……全員といって、五名である。広場の柱と釣り合う頭数ではない。
「敗着の筋を、先に全部数えておこう」
ベネディクト局長が言った。元異端審問官。審問のやり口を、作った側から知る人である。
「一。審問は教義の場だ。帳簿も発注簿も『人の物差し』——神慮を測るに足らず、として証拠能力ごと却下できる。先例もある。現役の頃、そうやって却下した側だから、間違いない」
「一昨日の予備聴取の検分結果も、ですか」
「あれは証人潰しには効いた。だが明日の裁定席は、こう言える。『装置の有無は、御業の真贋と関わりがない』とな。二。被告は監査局。局員の証言は、自己弁護として目方を持たん。三。異端審問に、弁護人の席はない」
局長は、指を折り続けた。
「四。裁定するのは司教団だ。開祖の教義の番人を名乗る側で、監査局を目の上の瘤と思っている者が半分。五。群衆は、火刑台の柱を三日見上げて育っている。柱とはな、ああして先に答えを見せておく装置だ」
「六は」
「六。敗けた場合の勘定だ。被告は異端。台帳は焼却、局は解散、局員は破門。……最悪の科目も言っておく。火刑だ」
テッサが、膝の上で拳を握るのが見えた。局長は七本目の指を折り、結論を置いた。
「証拠で勝てる場ではない。教義で勝つしかない」
「教義で勝つ、とは」
「審問側より深く、開祖に潜ることだ。……検算録さえ、開けばな」
開祖の検算録。大聖堂書庫の最奥に封印された、開祖アルノー自身の記録。
封印が開く条件は、言い伝えに一行あるだけだ。——教会自身が検算を恐れた時、開かれる。
部屋の隅で、それまで黙っていた人が、立った。
「私が、証言台に立ちます」
ルカ様だった。
「認定済みの聖人の証言は、教義の上では『神慮の器の言葉』です。審問側の物差しでは、却下できません。彼らの物差しで測れる駒を、一つだけ、こちらは持っている。——本物かもしれない私が、監査の価値を証言します」
「危険です」
と、私は言った。数字より先に言葉が出た。珍しいことである。
「証言台に立てば、次に検められるのは、あなたの認定そのものです。審問側に付けば安泰の立場を、わざわざ」
「監査官どの。私は十年、祭壇の上の飾りでした」
聖人は、静かに遮った。
「祈らされ、感謝され、そして一度も、検められない。……あの証言台は、私が生まれて初めて、自分の意思で立つ場所です。取り上げないでください」
「…………」
「言いたいことが、一つだけあるんです。十年ぶんの。ただし、明日まで取っておきます。あの場で言うほうが、高く売れますから」
「……値付けの感覚だけは、確かですね」
「あなたの検分を、ずっと横で見てきましたから」
彼はいつもの完璧な微笑を浮かべ——それから一瞬だけ、崩した。崩れた顔のほうが、いくらか本物に見えた。
「今日の私は、何点でしたか」
「採点は、明日の証言の後で」
「では明日、更新してください。保留の判を」
保留。まだ嘘だと決まっていない、と彼がかつて言った言葉である。明日の広場は、その判を賭けの台に載せる。……賭けは監査官の職分ではないのだが、と手帳の端に書いて、消した。
テッサが、おずおずと手を挙げた。
「あの。わたしも、広場に行きます」
「あなたは留守番でも構いません。明日は、子供の見る式次第ではありませんので」
「行きます」
小さな助手は、めずらしく引かなかった。
「わたし、焼かれる予定だった者です。……焼かれなかった者がちゃんと生きてるところを、あの柱に、見せておきたいんです」
「…………分かりました。最前列は不可。私の隣なら、可とします」
夜半前、敗着潰しの調べ物の途中で、私は妙なものを見つけた。
局長が古巣から写し取っていた、過去の審問記録の目録である。その番号に、欠けがある。聖女に関わる審問だけ、番号ごと抜けているのだ。
私は欠番の前後から、消えた聖女の名を拾い、覚え書きに並べてみた。アニェス。マルグリット。……セラフィナ。
姉さまの名も、欠番の中にあった。
今は、追えない。明日を越えねば、この局ごと消える。私は覚え書きを、調書の束に挟んだ。記録の値は、読まれる日に決まる。
夜半、私たちは大聖堂の書庫に下りた。
螺旋階段の、最奥。封印架の前に、老管理者アンセルムが待っていた。ほとんど見えない目で、それでも足音だけで人数を言い当てる人である。
「足音が四つ。監査官どのと、局長どのと、小さいのがひとつ。……それから、床を労るような歩き方がひとつ。聖人様ですな」
「アンセルム殿。言い伝えの検分に参りました」
封印架は、鉄帯で締めた樫の書架である。錠前に鍵穴はなく、代わりに印形ほどの窪みがひとつ。縁には、古い銘が刻まれている。
アンセルムが指先で銘をなぞり、諳んじた。
「『教会おのれを検むるを恐れし日、その恐れの印をもって、これを開け』」
「……恐れの印」
「歴代の管理者は、こう伝えられて参りました。この錠は、鍵では開かぬ。『資格』で開くのだと」
私は懐から、羊皮紙を出した。
審問庁発行、公開審問の開廷通告。訴因は、当局の検算行為そのもの。末尾には、審問庁の公印が封蝋で据わっている。
「教会が、教会の検算を、公式に恐れた文書です」
封蝋の印形を、窪みに合わせる。
——嵌まった。
乾いた音がして、錠の仕掛けが、半分だけ回った。半分、である。
「残りの半分は、開封の儀です」とアンセルムが言った。「教会法の定め。封印文書の開封は、公開の場、聖職位三名以上の立会いのもとでのみ。ここで開ければ、盗み読みになります」
「公開の場……」
「ええ。都合のよいことに、明日、ございますな」
盲目の老人は、皺の奥で笑った。
「六十年、この銘の意味を考えて参りました。開祖様は、よほど意地の悪いお方だ。この書は——教会が検算を恐れた、まさにその場でしか、開けぬようにできております」
「あなたは、中身を御存知なのですか」
「いいえ。管理者は開けぬのが職掌ですゆえ。……ただ、代々こう申し送られております。『この書が開く日、教会は一度、正しくなる』と」
局に戻ると、東の空が薄くなり始めていた。
テッサが仮眠から跳ね起きて、復元台帳の束を抱え直す。局長は判例の写しを袖に納め、三十年前に置いてきた古巣の顔になっている。ルカ様は、白い祭服の襟を正した。
「今日のあなたは」と、聖人がすれ違いざまに言った。「どなたかに、行ってきますを言う顔をしています」
「……検分が、細かすぎます」
私は一人、階段の踊り場で足を止めた。
懐の巡礼手帳に、指で触れる。擦り切れた表紙の角。私の持ち物で唯一、検算できないもの。
姉さまは、誰にも検められないまま、消えた。今日は教会が、検める側と検められる側を、広場で入れ替える。
帳尻は、あの場で合わせよう。
「行ってきます、姉さま」
監査官の私的控え——前夜の決算。敗着七筋、勝ち筋一筋(ただし開封は、衆目の中に限る)。
聖人の言いたいこと、一件(保留は明日まで)。……開廷の鐘とともに、次話。




