第13話:蝋燭は嘘をつかない
大聖堂の参事会堂に、黒衣の列が座っていた。
公開審問に先立つ、証人の予備聴取である。主宰は異端審問官ギヨーム・ファーブル。台帳を押収された監査局は、審問庁の見立てでは、すでに丸腰のはずだった。
私が机上に置いたのは三冊。押収を免れた発注簿の写し。そして、テッサが暗記から書き起こした復元台帳である。
運び込みの途中、テッサが束を抱えたまま、小声で言った。
「あの、カサンドラ様。わたしの覚え書き、本物の台帳の代わりに、なりますか」
「なります。原本と突き合わせできる項目は、昨夜までに二百箇所を照合しました。誤記は、ゼロです」
「……ゼロ」
「あなたの頭の中は、当局で一番安全な保管庫という検分結果です。胸を張りなさい」
「これより聴取を始める」
ギヨームの声は低く、硬い。彼がこの十日で各地から集めた証人は、二十名。演目にして、十七件。口上は一つだ。
——監査局に潰された奇跡は、実は本物だった。
一件でも通れば、「監査局は本物の御業を帳簿で殺してきた」という論告の柱が立つ。審問の前に、こちらの首の寸法を測りに来たのである。
「第一の証人、前へ」
進み出たのは、東教区の老堂守だった。三年前、闇の中で燭台がひとりでに灯る御業を、毎晩見守っていたという。
その目は澄んでいた。噓をつく者の目ではない。本気で信じている者の目だ。
……厄介なのは、こちらである。
「あの御光は本物でございました。わしは四十年、あの聖堂の蝋燭を換えてまいりました。あんな灯り方は、人の業では、できませぬ」
「監査局。反対の検分があれば述べよ」
ギヨームがこちらを見た。私は写しの束から、一冊を抜いた。
東教区祭具方の発注簿。三年前の帳簿——監査局に入った初日、教材として四分で検めた、あの帳簿である。
「発注簿の記載を読み上げます。『特注蝋燭・月三百本』。前年比で三倍。しかし聖堂の蝋燭代の計上は、据え置きです。特注品の単価が通常品と同じはずがありません。差額は、どこかに隠れています」
「……それが、御業と何の関わりがある」
「特注の、中身です」
私は布包みを解き、蝋燭を一本、掲げた。押収の前に商会から取り寄せてあった、当時の残品である。
小刀で、縦に割る。芯の根元に細工。遅燃の芯と、蝋の被せ蓋。
「昼のうちに灯し、蝋の蓋で覆って隠す。刻限に蓋が燃え落ち、闇の中でひとりでに灯る。……種は、これだけです。特注の理由も、差額の行き先も、これで勘定が合います」
会堂がざわめいた。老堂守は、割られた蝋燭を見つめたまま、動かなくなった。
四十年の祈りが崩れる音を、聞いた気がした。だから私は、そのまま続けた。ここからが、本題である。
「堂守どの。発注簿によれば、この蝋燭の御用商を選んだのは教区の会計方です。あなたの手は、一度も経ていません。あなたは四十年、何一つ偽っていない」
「……では、わしの、祈りは」
「あなたの祈りは本物です。偽物だったのは、装置だけです」
老人は長いこと黙り、それから深く頭を下げて、壇を降りた。
退出の扉の前で、控え席のルカ様が立ち、老人の曲がった腰に、そっと手を添えた。光はない。祈りの文句もない。ただ、扉を出るとき、老人の背は指二本分、伸びていた。
……この一件は、記録には書かない。
「第二の証人」
進み出たのは、若い寡婦だった。涙を流す聖像に夜通し祈り、病の娘が快癒したという。
「聖像様は、わたしと一緒に泣いてくださいました。あの涙が偽物だなんて、言わせません」
こちらは仕入台帳である。聖像の設置月から、没薬入りの香油が月に二壺、祭具費に紛れて計上されている。聖像の頭部の空洞に染ませれば、気温で滲む。涙の量と、仕入れの量。突き合わせると、ぴたりと一致した。
「聖像の涙は、香油です。——ただし」
私は台帳を閉じ、寡婦を見た。
「娘さんの快癒の経緯も検めました。医師の投薬記録と、あなたの三十日の看病の記録が残っています。娘さんを治したのは、香油ではありません。……あなたの三十日です。装置に、手柄を渡さないでください」
寡婦は口を開き、閉じ、それから静かに泣いた。私は次の帳簿を開いた。泣かせるつもりはなかったのだが、この検分は、どうも采配が難しい。
「第三の証人」
宙に浮いた聖女の、目撃者が四名。
舞台大工の日当が、奇跡の前々日から三日分。滑車と黒布の購入記録つき。ついでに、四名の証言は口裏が揃いすぎていた。理由も帳簿にある。証人の日当まで、几帳面に計上されていたのだ。
「以上、演目三件、不成立と検分します」
昼までに、七件が割れた。蝋燭、香油、日当。奇跡の裏では、必ず何かが仕入れられている。奇跡は、在庫から割れるのだ。
昼の休廷、テッサが次の写しの束を運んできて、耳打ちした。
「カサンドラ様。八件目の香油の頁、数字のにおいが変です。五の字だけ、あとから書き足されてます」
「分かりました。八件目から検めます」
午後までに、十四件が落ちた。
残る三件は、装置の痕跡が出なかった。私は三件を「不成立の立証、不能」と記録した。ギヨームの眉が、わずかに動いたのが見えた。
偽と立証できぬものを偽と呼べば、こちらが偽になる。監査とは、そういうものだ。
隣席のベネディクト局長が、囁いた。
「審問官の顔を見なさい」
「……数えている顔ですね」
「そうだ。崩れた証人の数ではなく、崩れ方を数えている。ああいう男が、一番残る」
散会の後、回廊で呼び止められた。ギヨーム・ファーブル、その人である。
「見事なものだ、監査官。だが、分からんな」
「何がでしょう」
「残りの三件だ。なぜ潰さなかった。『疑わしい』と一言添えれば、あなたの勝ちは完全だったろうに」
「立証できないものは、記録に書けません。それだけです」
審問官は足を止め、初めて正面から、こちらへ向き直った。静かで、硬質な目だった。
「今日、あなたは老人の四十年を壊した。装置を暴くとは、そういうことだ。信じている者から信じるものを取り上げて——代わりに、何を渡す。帳簿か」
「渡すのは、装置の消えた祈りです。あの方の四十年は、装置がなくても本物でした」
「……今日の寡婦もか。装置を暴いたうえで、娘の快癒を母親の科目に付け替えた。あれは監査か、それとも慈悲か」
「区別する規定が、ありません」
「……私は、信じる者を守りたいだけだ。疑いという病から」
声は、最後まで静かだった。
「あなたがたの検算は、いずれ必ず、装置ではなく信仰そのものに刃を向ける。向けたその日に、焼く。それが私の職掌だ」
「では、それまでは」
「検めるがいい。……次は、予備聴取ではない」
詭弁の男ではない。厄介なことに、この男は本気なのだ。信じることを守るために、疑いを憎んでいる。
論理の通じない敵より、論理の骨格が違う敵のほうが、ずっと手強い。
その夜、監査局に審問庁の使者が来た。羊皮紙が、一枚。
公開審問の期日、前倒し。十日後、改め——三日後。
「証拠が揃う前に、開廷なさるおつもりです。審問庁も、検算対策はするようですね」
誰も笑わなかった。窓の外、大聖堂前の広場から、夜通し槌の音がしていた。
朝、確かめに出て、分かった。
火刑台の柱が、広場に立った。
監査官の私的控え——本日の収支。証人二十名、演目十七件。うち十四件、不成立。判定保留、三件。
堂守の祈り、一件(本物と検分)。……期日は三日後に前倒し。柱は、もう立っています。




