第11話:押収
押収礼状の写しを、私は前夜のうちに三度読んだ。
対象、当局の台帳及び記録類一切。執行、即日。異議申し立て、不可。……よく出来た書式である。敵ながら。
審問吏は、礼状の文言どおり、朝の鐘と同時に来た。黒衣が八名、木箱が六つ。
「聖務保全の執行である。局員は棚から離れよ」
保全。あちらの様式では、そう呼ぶらしい。呼び名を差し替えても、中身は差し押さえである。
手際は良かった。棚の端から順に、台帳が箱へ落ちていく。
「お待ちください」
私は執行責任者の前に立った。
「目録を作成してください。一冊ごとに表題と冊数、搬出の順で。受領の署名も頂きます」
「……押収される側が、受領書を求めるのか」
「求めます。あなた方が一冊でも紛失すれば、失われるのは当局の財産ではなく、どこかの村の潔白の証拠ですので。それから、箱は雨に濡らさないでください。紙は、火と水にだけは勝てません」
審問吏は妙な顔をしたが、署名はした。役人は書式で迫られると弱い。どこの庁でも同じである。
途中、審問吏の一人が、封緘用の蝋と印璽の箱に手を掛けた。
「それは台帳ではありません。礼状の対象は『台帳及び記録類』。印璽は道具です」
「……道具も、異端の道具であろう」
「では礼状にその一文を書き足して、発行元の署名をもう一度貰ってきてください。往復で半日です」
審問吏は、印璽の箱を棚に戻した。書式というものは、時々、剣より役に立つ。
搬出は一刻続いた。
フォンス村の裏帳簿の写しが運ばれていく。テッサが唇を噛んで、目で追った。あの子の三年間を立証した紙だ。
ルカ様の治癒名簿が運ばれていく。三百人の名前と、五十一人分の照合の線。
フェリクス翁は、写字机の横に立ち尽くしていた。三十年かけて写してきた頁が、他人の手で雑に箱詰めされていく。ルカ様に治してもらったはずの腰が、また曲がって見えた。
「テッサ」
棚に手を伸ばしかけた助手を、呼び止めた。
「手を出してはいけません。——覚えていなさい」
「……っ、はい」
テッサは手を引っ込め、代わりに目を見開いた。箱に落ちる台帳の綴じの厚みを。表紙の傷を。搬出の順番を。
昼過ぎ、棚は空になった。残ったのは目録の写しが一枚。押収、計四十七冊。
がらんどうの棚というものは、抜けた歯の痕に似ている。フェリクス翁が、椅子に沈んだ。
「……五十年、写字生をやってきたがの。空の棚が、こんなに寒いとは」
「フェリクスさん。棚は空です。ですが、帳簿は死んでいません」
私は、床板を二枚外した。油紙の包みが出てくる。
「写しは局外に二部。要約控えは、さらに別の場所です。原本と写しと控えを同じ屋根の下に置かないのは、監査の基本ですので」
「ほ……ほっほ」
「保管場所は記録していません。記録は、押収できますから」
ただし、完全ではない。写本には手が要る。翁の筆は正確だが、速くはない。直近三月分——ルカ様の監査記録を含む、いちばん新しい数字には、まだ写しがなかった。
「じゃあ、そこは、わたしの番です」
テッサが袖をまくった。
「フォンス村の寄進台帳、月次の合計、ぜんぶ言えます。ルカ様の名簿も、頁の順で。……数字のにおいごと、覚えてます」
その夜の監査局を、私はたぶん、忘れない。
卓に白紙を並べ、蝋燭を三本立て、テッサが数字を書いていく。あの子は文字は読めないが、数字は書ける。帳場の子は、文字より先に数字を仕込まれるからだ。
「三月の三の字、元の帳面ではここだけ手が震えてました。だから、隣の七は書き直しの七です」
「品目は」
「蝋燭です。……におい、しました」
「においまで写せとは、当局の様式に書いてありませんが。——採用します」
テッサが数字を置き、私が品目を埋め、フェリクス翁が様式に清書する。翁の手は、もう震えていなかった。写すべき頁が戻ってきた写字生は、五十年分の背筋で書く。
「わしの写しが、原本の代わりになる日が来るとはの」
「翁の筆は、審問庁の箱の中で眠るより、ここで働く方が利回りが良いのです」
深夜、復元した月次の合計を、要約控えと突き合わせた。
興行の初月、寄進、金貨百九十枚。控えと一致。二月目、二百十二枚。一致。三月目、二百十八枚。——一致。締めて、六百二十枚。査問で読み上げた数字と、寸分違わない。
「テッサ。全月、一致です」
「……! ほんとですか」
「あなたの頭の中の台帳は、写しとして信用に足ります。監査官として、そう判定します」
テッサはしばらく黙って、それから袖で目元をこすった。褒められると疑う癖のあるあの子も、判定という形でなら、受け取れるらしい。
扉が叩かれたのは、夜半だった。
「夜分に失礼します。差し入れです」
ルカ様である。両手に湯気の立つ包み。なぜか、その上に毛布一式。
「ルカ様。被監査人が押収直後の監査局に出入りすると、審問側に付け込まれます」
「はい。ですから、先に抗議文を出してきました」
「……抗議文」
「異端審問庁宛てに、正式の書式で。『私はまだ、判定をもらっていません。被監査人には、監査の継続を求める権利があります』と」
一拍、局が静まった。テッサが噴き出し、フェリクス翁が「ほっほ」と笑った。
監視役として付けられた聖人が、監視対象の存続を、庁に正式請求した。立場の仕訳が、根本から崩れている。
「あなたの評判に傷が付きますよ。聖人が、異端の嫌疑の側に立ったと」
「構いません」
聖人は、いつもの完璧な微笑で、いつもより一段だけ静かに言った。
「私を疑ってくれる人を失う方が、困ります。……続きを数えてください、監査官どの」
そして聖人は、当然のように卓の端に座り、ペンを取った。
「ルカ様。写字には様式が」
「孤児院で、帳簿係をしていました。院長先生の癖字より難しいものは、この世にありません」
筆は、速く、正確だった。聖人の経歴の欄に、また検分すべき行が一つ増えた。
夜明け前、ベネディクト局長が、復元の進む卓をゆっくり見て回った。
「数字は戻る。良い部下を持ったよ、私は。——だがカサンドラ、数字では審問に勝てん」
「……審問の土俵は、教義ですから」
「そうだ。連中の申し立ては『疑うこと自体が傲慢』。帳簿を千冊積んでも、あの一句は崩れん。崩すなら、教義の根っこまで遡るしかない」
「根っこ、ですか」
「付け加えるならな。連中は押収した台帳から、都合の良い頁だけを審問の場で読み上げる。前後を切って、だ。……写しがあれば、切られた前後を、こちらが読み上げ返せる」
「押収は痛手ではなく、布石になると」
「そういうことだ。もっとも、それだけでは守りに過ぎん」
局長は窓の外——白み始めた空に立つ大聖堂の尖塔を、杖の先で指した。
「開祖の検算録を探しなさい」
「……以前に仰っていた、あれですか。実在するのですか」
「大聖堂の大書庫に、封印されたまま眠っている——と、私は教わった。開祖アルノーが自ら遺した、ただ一冊。あれが本物なら、『疑い』の元祖は、開祖ご本人ということになる」
私は手帳に、行き先を書いた。
大聖堂、大書庫。
……敵の本丸の膝元で、味方の原典を探す。悪くない仕事である。
監査官の私的控え——台帳、四十七冊喪失。数字の損失、零。助手の記憶力は、人件費に換算しないことにします(換算すると給金が払えません)。
明日、大聖堂の大書庫へ。開祖という大先達に、ご挨拶です。




