21 蛇男(アランティス)の視点2
リリースリー公爵の悪事の真相が彼の視点で語られます。加害者と被害者との気持ちのずれ、感じ方の違いが浮き彫りになります。
いよいよクライマックスへと向います。
酒場の女主は私を覚えてはいなかった。それはそうだろう。一見の客、しかも互いに酷く酔っている時に関係を持ったのだ。しかも私は彼女が起きる前に出て行ったのだから、私を覚えている訳がない。
私は彼女に同情する振りをしてこう言った。女一人で子供を育てるのは大変だろう。ひとの良さそうな男を見つけて父親になってもらえばいいんじゃないかと。
すると、彼女はその提案に簡単に乗った。金のある男爵の世話になれるなら、愛人だって構わないと。
影を使ってマリエッタの夫トーマス=エドワード男爵の周りを探ってみると、彼は私とはまるで正反対で、彼を悪く言う奴は一人もいなかった。
善人で慈悲深く、しかも頭が良くて商売上手で人からの信頼も厚い。美しく整った面貌をしていて女性にはもてるが、愛妻家で浮いた噂の一つもない。その上子煩悩。
こんな完璧な男が本当にいるんだなと、妙に冷めた心で報告書を読んだ。こんな男が好きならば、到底私のような男など問題外だったろう。
しかし、マリエッタは本当にこの男を愛しているのだろうかと、ふとそんな疑問を抱いた。この世の中に完璧な人間などあり得ない。それをわかっているのだろうかと。
夫が過ちを犯した時、彼女はどこまでなら許すのだろうか。
私は長い事自分を無視し続け、その上婚約しかけていたのに駆け落ちし、私を辱めたマリエッタに復讐してやりたいとずっと思っていた。
しかしあの時は恨みというよりは、ただ能天気に幸せに酔っている彼女に、何故か激しい嫌悪感を抱いた。そして私は試してみたかった。彼女が夫をどれくらい愛しているのか、どこまでの過ちなら彼を許し、それを受け入れられるのだろうかと・・・
エドワード男爵には多くの友人がいたが、その中に金に困っている男が一人いた。その男はエドワードに借金を申し込んだが断られていた。都合がいい。私はこの男を早速利用する事にした。
エドワードをあの酒場へ誘って、酒に睡眠薬を混ぜて飲ませろと指示した。ただそれだけで借金を返済出来るだけの金を支払ってやると。
最初は報奨金の額が多すぎたのか、男はかえってびびってしまい、なかなか承諾しなかった。だから、人殺しをする訳ではない。ただの金持ちの道楽だから、一緒に付き合ってくれと言った。完璧な彼の醜態を一度見てみたいと思わないか?と。
ここで私は、ただ金をたくさん使えばいいというものではない事を学んだ。そう、相手の心の内を探りながら交渉する、その駆け引きが大事なのだと。
そして、マリエッタに対して行ったその実験結果は、私の想像を遥かに越える、予想以上のものだった。私は大きく溜飲を下げた。
我が国一番の才女、『黄金の薔薇』と呼ばれていた、社交界一の貴婦人だと評判だったあの女性が、まさかあんなにも愚かだとは思わなかった。
見知らぬ女の虚言を鵜呑みにして、夫を信じず、確認もしないまま夫を刺し殺そうとするなんて。しかもまだ幼い我が子の前で。
しかし、得るものが大きければ大きいほど失うものも大きくなる。それは当たり前の事だった。私も彼女と同じくらい愚かだった。
マリエッタが夫を刺した事件から数か月後、私は影からの報告を受けて茫然自失となった。
あの酒場女は子供を産んだ後、エドワード男爵の家に転がり込む事はせず、ただその赤ん坊だけを彼の家の前に捨て置いて、そのまま姿を消したという。
何故彼女が消えたのかといえば、詐欺罪で逮捕されるのを恐れた為らしい。生まれてきた赤ん坊は、母親にも男爵(当たり前の事だが)にも全く似ていず、とても珍しい稀な特徴を持っていたという。
そう。その赤ん坊は、一部金色のメッシュの入った銀髪で、金色の瞳をしていたというのだ。
マリエッタ同様、私も地獄の底へと引きずり込まれた。まぁ、私の場合は自業自得だが。
私はその子供を亡き者にしたかった。いつ私の首を締めるかわからない存在を放置する訳にはいかないからだ。
しかし、エドワード男爵はその子を養護施設へ預ける事もせず、自らの手で育て始めた。妻子に去られ、自分自身も命に関わるような大怪我を負ったというのに。
そして、いつの間にかエドワード男爵は、子供と共に突然住んでいた町からいなくなってしまった。
私は不安の種を除きたくて、その後もエドワードと子供の行方を追ったが、何年経っても彼らを見つける事は出来なかった。
しかし、その探索は全てが無駄になった訳ではなかった。何故なら、子供は見つからなかったが、あの子供が私の子供だと証明可能な、あの酒場の女の死亡は確認出来たし、人の血筋を唯一証明出来るあの魔女にも消えてもらった。もう、何も不安になるものは無い・・・そう思っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あの忌まわしい日から十七年経った今頃、私は何故か理由のない、漠然とした不安に襲われるようになっていた。
悪夢に魘され、朝飛び起きる事も頻繁にある。お疲れなのではないですか? お仕事の量を減らした方がいいのではないですか? と妻は優しく言ってくれるが、寧ろ仕事をしていた方が気が休まる。この屋敷で何もしないでいると、思い出したくもない事ばかりが頭に浮かんでくるのだ。
特に執務室にいるのは酷く苦痛だ。何もしないでいると、真っ赤な血に染まった執事の姿が浮かんでくるのだ。
職務に忠実で優秀だった執事。何一つ悪くないのに、不敬罪で処分された男の恨めしそうな顔が消えない。
私は色々な罪を犯してきたが、彼を手にかけた事だけは痛恨の極みだ。
生まれて初めて真実を突きつけられて、思わずカッとして我を忘れてしまった。殺すつもりなんて全くなかったのに。
あの時、素直に執事の言葉を受け入れて心を入れ替えていれば、こんな結末は迎えずに済んだのだろう。
全身焼き爛れた魔女や、全身ずぶ濡れの夫婦に追われる夢も見る事はなかっただろう。
そして、その悪夢が一層酷くなったのは、娘のシャルロッテが私の甥、ヘルマン=ヘルツと婚約破棄をしたいと言い出した頃からだった。
私には二つ年下のエレンという妹がいる。彼女は私とは違い、母親譲りの明るい茶色の髪と瞳で、美人ではあったが地味な容姿をしていた。ただ頭が良く、理性的で淑女の鑑と呼ばれていた。年齢的に釣り合う王族がいれば、間違いなく妃に選ばれていただろう。私達兄妹は本当に結婚運に恵まれなかった。
それに父親は浅はかにも、伯爵位のシュバイン家との縁組を決めてしまった。それ故、私は父の死後、すぐ妹を離縁させてヘルツ侯爵家の後妻にした。
我がリリースリー家に跡継ぎがいなくなった、最悪の場合を考えたからである。伯爵家の血を引く子供ではこの公爵家は継がせられない。
それに、ヘルツ侯爵は私の子飼いでなんでも従う男だから使い勝手がいい。
妹は私を恨んだが、何故恨まれるのか私にはわからなかった。伯爵夫人より侯爵夫人の方がいいに決まっているだろう。
確かに娘と引き裂いたのは悪いとは思ったが、すぐに新しい母親を迎えるだろうから問題ないと思ったのだ。まさか、シュバイン伯爵が再婚しないとは思いもしなかった。
だからその罪滅ぼしだと思い、妹の生んだ姪と、ヘルツ家の先妻の生んだ長男との縁を結んでやった。それなのに、本人達よりも妹が一番、烈火の如く怒っていた。
その後、長男に代わり侯爵家の後継に選ばれた、妹が生んだ息子が自殺をした。それ以後、妹は実家を訪れる事がなくなった。そして社交の場へも出てこなくなり、私は彼女と話す機会が無くなった。
ただ、妻のエリザベートとは交流をしていたので、問題はないと思っていた。さすがに妹も、国王陛下の妹であるエリザベートを無視出来なかったのだろう。
それに妹の生んだ末息子のヘルマンは、娘のシャルロッテの婚約者なので、いずれこのリリースリー公爵となるのだ。なんの文句もあるまい、と私は思っていたのだ。
ヘルマンはとにかく有能で真面目で、しかも見目も麗しく、公爵を継ぐのに最適で、文句のつけようの無い男だ。だから、結婚時期が迫ってきたので、そろそろシャルロッテの交友関係を改めて欲しいと彼が言ってきた時も、私は当然の事だと思った。ヘルマンの血以外の男との子供など、到底認められないのだから。
血統が何より大切だと言って育てたつもりだったのだが、いささか甘やかし過ぎたのか、ヘルマン以外の男に近づくのを禁じると、シャルロッテは思いの他抵抗した。しかし、こればかりは許す訳にはいかなかった。
すると、ある日、シャルロッテはヘルマンと婚約解消すると言い出した。驚天動地とはまさしくこの事だろう。私は思わず娘に手をあげた。
娘は泣き叫んで逃げ出すだろうと思った。しかし、シャルロッテは震えながらもその場に踏みとどまって、私をキッと睨み返した。そしてはっきりした声でこう言ったのだ。
「私には好きな人がいます。生まれて初めて心から好きになった人です。彼以外の人とは絶対に結婚しません」
と。
「それは誰だ!」
「アマンド=エローベンス様です」
「エローベンス・・・」
聞き覚えのある名前だ。確か、西の辺境伯だ。そしてローゼン前公爵夫人の実家だ。家格が釣り合わないと私との縁談を断っておきながら、同じ公爵家のローゼン家の嫡男に娘を嫁がせた忌々しい家だ。
「何をしている男だ」
「姻戚関係にあるローゼン公爵家で執事をしています」
「なんだと!」
娘の答えに私は怒りや驚きを飛び越えて、頭の中が真っ白になった。我が娘ながら何を言っているのだ。元々そう頭が良いとは思ってはいなかったが、ここまで脳内お花畑だとは思わなかった。いや、恋のせいでここまでおかしくなったのか?
「お前だって我が家とローゼン家の軋轢は分かっているだろう。許せるわけがないだろう」
「アマンド様には関係ない事ですわ。結婚すれば我がリリースリー家に入るのですから」
「そんなに簡単な事ではない。大体ヘルマンはどうするつもりだ。彼以外にこの公爵家を守れる者はいない。たかが辺境伯の子息などをこの家に入れるつもりはない」
私のこの言葉に、さすがにシャルロッテも諦めると思った。しかし娘は平然とこう言い放って踝を返して居間を出て行った。
「それではヘルマン様を養子にして後継となさればいいですわ。私はアマンド様と結婚してエローベンス家に入ります」
私はソファに座り込んで深くため息をついた。そしてすぐに影を呼び出して、アマンドという男を調べさせた。
一週間後、私は屋敷の居間に、ヘルマンとアマンド、そして彼の父親であるエローベンス辺境伯を呼び出した。そして妻のエリザベートと娘のシャルロッテを加えて話し合いを持った。
まず私はアマンドに尋ねた。君は娘をどう思っていて、今後どうするつもりなのかと。
アマンドが娘より三つも年下の十七歳だと聞いた時には目眩がした。婚約者のいる娘に手を出すとは何事だと、怒鳴りつけたいところだが、まだ十七歳では社交界デビューしたばかりだ。誰が見ても経験豊富な娘の方が、純真な若者に手を出したと思うだろう。
そして初めてアマンドを見て、娘が彼に夢中になった訳がすぐに納得出来た。
精悍な男らしい顔つきのヘルマンとは真逆の、中性的でまだ少年の面影を残す、これまで見た事のないような美しい若者だった。
「最初にアマンドを見た時、天使かと思ったわ。いいえ、本当に彼は私にとって天使なの。彼はとっても優しくて、私を本当に大切にしてくれるの」
シャルロッテがまるで少女のような顔をして、妻のエリザベートに話しているのを聞いた。確かに天使のような顔をしている。しかし、何故か天使という言葉に違和感を覚えた。何故だろうか。
そして彼の顔には何故か既視感を抱いた。誰に似ているのだろうと頭を捻ってはみたものの思いつかなかった。
「シャルロッテ様の事を誰よりも愛しています。私にとって世界中でシャルロッテ様が一番大切な存在です。私の一生をかけてお守りするつもりです」
アマンドは真剣な目をして、身を乗り出して私にこう言った。隣でシャルロッテは顔を赤らめて、目に涙を浮かべている。
「君の気持ちはわかったが、この家の後継者はヘルマンと決めている。それを変えるつもりはない」
私がはっきりとこう告げると、アマンドは当然ですという顔で頷いた。
「はい。分かっています。私はヘルマン卿を差し置いて、公爵家を継ごうなどとは最初から思っておりません。ですからシャルロッテ様がこの家を出て我がエローベンス家に入るのがお嫌なら、辛くて身を引き裂かれる思いですが、身を引く覚悟です」
するとシャルロッテはアマンドに抱きついて泣き叫んだ。
「いやあ、身を引くなんて言わないで! アマンドと結婚出来るならこの家を出るわ。アマンドと一緒にいたいの。愛しているの」
二人は固く抱き合った。私の両隣で妻のエリザベートと甥のヘルマンがため息をつくのが聞こえてきた。妻を見ると、仕方ないわね、という表情をしていた。そしてこう口を開いた。
「旦那様、こうなっては二人を認めるしかないですわね。無理やり引き離しても、さすがにヘルマン様と結婚させるのは、ヘルマン様に申し訳ないですもの」
「君はいいのかい? 君の娘じゃなくてヘルマンが継いでも」
「ヘルマン様とは血は繋がってはいませんが、幼い頃よりいずれ息子になる子だと思って接してきましたから、今では本当に息子だと思っております。こう言ってはなんですが、今更別の方に変わるのは嫌ですわ。それに、シャルロッテに公爵夫人の役目は荷が重過ぎると思いますし、好きな方の元に嫁いだ方がこの子の為ですわ」
ヘルマンの方を見ると、苦渋に満ちた顔をしながらも、頷いた。エローベンス辺境伯も苦虫を噛み潰したような顔で首肯したのだった。
その日のうちに、シャルロッテはヘルマンと正式に婚約を破棄し、今度は改めてアマンドと婚約を結んだ。
その後、正式にヘルマンと養子縁組をしたのだった。そして二人の婚約のお披露目は、来月開かれる王室主催のサプライズパーティで行う事に決まったのだった。
そう。こうして私に対する天からの審判、そのカウントダウンが始まったのだった。
次章が最終章になる予定です。長くなったら自信がないのですが・・・
その後、人物紹介を投稿しようかなと考えています。
読んで下さってありがとうございます。




