二度寝の作法と大森林(後編)
あまりの美味しさと健康効果に、俺は思わず涙ぐんでしまった。
しかし、表面上はあくまで『苦痛に耐える男』を演じ切らねばならない。
「フフン! 泣くほど嫌がってるわね!
これに懲りたら二度寝なんてしないで、さっさと起きてお掃除しなさい!」
スネブは大満足そうに胸を張り、ドヤ顔で腕を組んだ。
……完全に「スエドはケールが大嫌い」だと思い込んでいる彼女には、俺が『まんじゅう怖い』状態で、裏で至福の健康エネルギーをチャージしていることなど知る由もない。
俺は空になったグラスを置き、口元を拭った。
全身を駆け巡るケールの余韻に浸りながら、ボソリと呟いた。
「俺は一ミリも動かんからな。
強制的な成長や、無駄な手入れなど不要。
自然のまま放置し、二度寝させることこそが、真の理なのだからな」
ただの二度寝したいニートの言い訳。
ただのケール汁で元気になった男の戯言。
——しかし、精神や感情の記述で動くこの世界の基幹システムは、この怠惰極まる男の放つ「個の尊厳を肯定する高潔な哲学」を、またしても決定的な世界改変の指示として完璧に誤認識したのだ。
『——言語指示【二度寝の作法】を受理』
『——対象圏域【ゼルヴァの大森林】の休眠植生に対する強制剪定設定を解除』
『——自然活性率を千パーセントへ、緊急限界突破させます』
ズズズズズズズズズズッ……!!!!
「な、なに……!?
また地鳴り!?」
スネブが目を見開いて、宮殿の巨大な窓の外を指差した。
宮殿の外側に広がっていた、何百年も枯れ果てていた不毛の荒野——『ゼルヴァの大森林』。
その枯れ木の一本一本が、まるで目覚まし時計を叩き壊して解き放たれたかのように、怒涛の勢いで新緑の葉を噴出させ始めたのだ!
パノラマ窓の遥か先、枯れ果てたゼルヴァの森の境界では、凶暴化した魔導植物の恐怖に震えながら、貧しい薪拾いをする親子の姿があった。安全な結界の内側へ入る許可すら与えられず、危険な生活を「自分たちの分不相応な運命」と諦めきっているのだ。
ズバババババッ!
大地の底から、凄まじい地響きと共に巨大な根が蠢き出す。
樹齢数千年に及ぶ巨木たちが、空を引き裂くような勢いで天空へと急速に成長していく。
一瞬にして、見渡す限りの視界が濃密な超高濃度の薬草大森林へと再構築されていく!
それだけではない。
森の外周部では、数万本もの巨木が互いに絡み合い、捻れ、編み込まれていく。
それはまるで、俺の『誰にも邪魔されずに二度寝したい』という強烈な意志を具現化したかのような、難攻不落の自然の要塞——『重力城壁』の自動構築だった。
そして、宮殿の目と鼻の先。
凄まじい速度で成長した一本の巨大な神樹の幹から、眩い白銀の光が溢れ出した。
光の粒子が収束し、そこから受肉して現れたのは、白銀の長髪をなびかせた美しいエルフだった。
端麗な顔立ちに植物の紋様を刻んだその男は、元・帝国の宮廷農導師兼生態系環境技師、アルトだった。
アルトは新緑に満ちた己の手のひらを見つめ、大粒の涙を流した。
そして、俺のボロ布団の前へと駆け寄ると、優雅に片膝をついたのだ。
「おお……おおお……!
これぞ失われた『大自然の自律活性』……!
枯れ果てていたゼルヴァの森が、至高の主の『自然のまま二度寝させよ』という高潔なる放置の神託によって!
本来の十倍の生命力を取り戻しました……!」
アルトは深く頭を垂れ、その瞳を狂信的な熱狂に濡らした。
「このアルト、しかと理解いたしました!
愚かな人間が手を加える栽培など、大いなる過ち!
この地に自動で生薬が巡る『永久全自動薬草領域』を構築し!
外敵を防ぐ重力城壁をもって、主の安眠を永遠にお守りいたしますぞ!」
「……」
俺は、窓の外で猛烈な勢いで生い茂った巨大な薬草森林と、空を覆い隠すほどの重力城壁、そして勝手に感動して平伏しているエルフを交互に見やると、深く、深ーく溜息をついた。
(……最悪だ)
(俺はただ静かに二度寝したかっただけなのに、窓の外がジャングルになっちまったじゃねえか)
(日当たりが最悪になるだろ……カビが生えたらどうすんだよ)
袖の中から、羽毛生物が「ピヨ……?」とひょっこり顔を出し、俺の膝に落ちたナッツをポリポリと齧り直す。
スネブは手の中の器を落としそうになりながら、青筋を立てて俺を指差した。
「スエド……あんた、また言い訳で世界の理を狂わせたわね!?」
「俺は何もしてない」
「ただケール汁を飲んで、二度寝の素晴らしさを語っただけだ」
「それが一番タチ悪いって言ってんでしょーーーっ!!
だいたい、こんなに森が茂ったら虫が入ってくるじゃない! 私の美肌が虫刺されで荒れたらどう落とし前つけるのよ!」
最果ての地に響き渡る、美少女のキレキレなお説教。
俺の少しずれた偏光グラスの視界の端で、赤色の文字画面が静かに一秒刻まれた。
『システム通知:境界条件の書き換え完了。重力城壁の稼働開始。怠惰ゲージが減少しました』
「やれやれ……今度こそ邪魔しないでくれよ」
俺はボロ布団を頭までかぶり直し、今度こそ至福の二度寝へと意識を沈めていく。
お互いが決して過去の因縁を口にせず、「だらしないニート」と「やかましい小娘」という他者のフリを演じ続けること。
それが、俺たちが選んだ絶対にわかり合えない他者との程よい距離感の美学であり、静かに相手を守り合うためのルールなのだから。
* * *
——同刻、重力城壁の外れ。
うっそうと茂る暗闇の中で、二つの黄金色の瞳が妖しく光った。
『……ククク。
ここが、新しい拠点か……』
影に溶け込むような漆黒の毛並みを持つ一匹の黒猫。
彼女——『メル』は、どこからか拾ってきた香ばしいナッツを前脚で弄ぶ。
まるで、これから始まる壮大な遊戯の開始を告げるように、暗闇の中でニヤリと嗤った。
* * *
俺のステータス画面の右目の隅では、不気味な赤き凶兆が静かに明滅していた。
『――警告:|将来的な構造クラッシュの可能性。世界の残存演算フェーズ、あと78』




