二度寝の作法と大森林(前編)
昨日の今日で、隙間風だらけだった俺のボロ小屋は、一夜にして白磁の大理石と黄金の彫刻が輝く『神威あふれる最高級宮殿』へと強制的に書き換えられていた。
神々しいまでの光を放つシャンデリア。
足音すら吸い込むような最高級の絨毯。
どう見ても、一国の王ですらひれ伏すレベルの豪奢な空間である。
……が、俺——人族の底辺に擬態したボサボサ髪の自堕落男、スエドの住環境は一ミリも変わっていなかった。
「……ふむ。
やっぱり、三十路のニートが異世界で本気出すアニメは名作だな。
この主人公の布団から出ない『二度寝に対する圧倒的執着』には、俺も深く共感せざるを得ない」
宮殿のまばゆい大理石の床の上。
だが、俺の敷いているスペースだけは、相変わらず煎餅のように薄っぺらい万年床のボロ布団が鎮座している。
周囲の黄金の装飾と、シミのついた布団のコントラストは、もはや前衛芸術の域に達していた。
俺は布団の中から半身だけ乗り出し、魔法結晶テレビの画面を眺めながら、ナッツを堪能していた。
胸元では、手のひらサイズのフワフワした羽毛生物が、前脚を器用に使って俺と一緒にナッツを一粒ずつポリポリと齧っている。
「だろ、ピヨちゃん?
朝起きて、干し芋とナッツを食べる。
テレビでアニメを観て、満腹になったらそのまま二度寝に入る。
これぞ人間が到達し得る、至高のバイオリズムというやつだ」
「ピヨッ!」
俺の言葉に同意するかのように、羽毛生物が嬉しそうに短く鳴いた。
俺は再び布団を頭までかぶり、面倒くさい現実を完全にシャットアウトして、至福の二度寝に入ろうとした。
まどろみの波が、俺の意識を心地よく深淵へと引きずり込んでいく。
まさに、その瞬間だった。
ドガーンッ!!!
宮殿の重厚な大理石の扉が、叩き割らんばかりの勢いで開放された。
その衝撃で、魔法結晶テレビの画面が一瞬ノイズにまみれる。
「——ス! エ! ド!
部屋全体は豪華な宮殿になったのに!
なんであんたの周りだけ、相変わらず脱ぎ捨てた靴下と空き缶のゴミ屋敷なのよーーーっ!!」
仁王立ちで怒鳴り込んできたのは、同居人のスネブだ。
透き通るような白い肌に、美しい銀髪。
黙っていれば絶世の美少女だが、彼女のキーンと響く甲高い怒声は、まるで世界の物理法則を完全に停止させるかのような圧倒的な圧を放っている。
彼女の片手には、意識の高さを示す『蒸しキヌアとアボカドのローフードボウル』が抱えられている。
当然のように、ドレッシングなどはかかっていない。徹底的な塩分カットと無添加を貫く、狂気すら感じる美容食だ。
そして、もう片手には、絶世の美女も愛用するという、どろりとした深い緑色の『特製濃縮ケール汁』がなみなみと注がれたグラスが、不気味に波打っていた。
「ピヨッ!? ギニャアアアッ!?」
グラスから放たれる凶悪なケールの香気と、スネブの大音量のお説教。
恐怖した羽毛生物は悲鳴をあげて俺の着物の袖の中へと秒で滑り込み、ブルブルと震え出した。
「いいかげんにしなさいよ!
朝の太陽を浴びて、良質な植物性タンパク質を摂取するのが人間の正しい朝でしょうが!
なんであんたは起きて早々、ナッツなんてポリポリ齧ってるのよ!
そのうえ、また二度寝しようとしてるし!
むくみは美肌の天敵なのよ!」
スネブは俺の布団を力任せに引っ剥がそうと、大理石の床を踏み鳴らしながら近づいてくる。
その顔は鬼の形相だ。
「やれやれ……静かに二度寝もさせてもらえねぇのか。
普通に起きろなんて、社会が作り出した同調圧力の檻だろ」
俺は布団の中から怠惰に顔を出し、「あー、眩しい」と偏光グラスの端を指先でくいっと持ち上げた。
相手をじっと見つめるこの眼力こそが、この世界の記述システムにおける『特権アクセスの生体網膜認証』と同義であるとは、ただ言い訳をしたいだけの俺は知る由もない。
俺はフッ……と不敵な笑みを浮かべ、自分に酔ったトーンで雄弁に語り出した。
「スネブ、お前は二度寝というものの本質を分かっていない。
……二度寝とは何だ?
それは、一度覚醒した意識を、あえて再び沈殿させることだ。
身体が本来求めている、自然なバイオリズムへと身を委ねる高度な自律行為なのだよ」
「はあ!? ただのサボりでしょ!」
「違うね。人工的な時間というものに縛られて生きるなんて、不自然の極みだ。
常識なんてものは、環境や都合次第でいつも変わるものなんだよ。
目覚めた後に二度寝する……これこそが、魂の自然体への回帰だ」
俺の完璧な論理展開。
これにはさすがの彼女もぐうの音も出ないだろう、そう確信した時だった。
「都合よく二度寝を正当化するんじゃないわよバカ!!」
スネブはキレ気味にローフードボウルの器をサイドテーブルに叩きつけると、ニヤリと悪魔のようなドヤ顔を浮かべた。
そして、例のどろりとした深い緑色の液体が入ったグラスを、俺の鼻先へと突き出してきたのだ。
「ふふん……反省しないスエドには罰を与えるわ!
この私が朝イチで丹精込めて生搾りした『濃縮ケール酵素エキス・百パーセント原液』よ!
これを一気飲みしなさい!
どう!? 参ったでしょ!」
「ギ……ギャアアアアッ!?
ケール!?
頼む、ケール原液だけは勘弁してくれぇぇぇ!!」
俺は顔を絶望に歪め、大根役者も青ざめるほどの棒読み悲鳴をあげた。
両手をジタバタと振らせて抵抗するふりをしながら、差し出されたケール汁のグラスをひったくるように受け取った。
そして、ゴクッ、ゴクッ、と一気に喉へと流し込む。
濃厚な緑の香りが鼻腔を抜け、舌の上に青臭い苦味が広がる。
しかし、それはすぐさま強烈な『生命の活力』へと変換されていった。
(……うひょーっ!! 無添加・無塩・生搾り百パーセントの濃縮酵素原液!!)
(五臓六腑に生きたビタミンが染み渡るぜ……!)
(血流が爆発的に巡り出し、細胞のひとつひとつが歓喜の声をあげている……最高に健康になれる……ッ!!)
「くはぁっ……生きたビタミンが効くぅ〜〜……っ!(※心の声)」
(後編につづく)




