闇市ポーション(前編)
俺の朝は、万年床の上で始まる。
正確には、目を開けた時点で朝なのかどうかも怪しい。神殿の操作盤が、部屋の壁でやたらと明るく光っている。
「ちょっとスエド! 起床の時間よ!」
「却下」
「まだ時刻を伝えただけじゃないの!」
「聞いた瞬間に却下した。無駄がなくて効率的だろ」
「効率的に二度寝をしないでちょうだい!」
エプロン姿のスネブが、俺の掛け布団を引っ張った。俺は鼻まで布団を引き上げる。洗いたての布地が頬に触れ、少しひんやりして気持ちいい。枕元には、昨日食べ残した乾燥芋の甘い匂いが漂っていた。
「ちょっとスエド、聞いてるの!?」
「聞いてるよ。もちろん」
「最外殻第七地区で、偽の『奇跡の霊薬』が出回っているらしいわよ」
「へえ」
「へえ、じゃないわよ! 苦しんでる人たちがいるの!」
「薬が飛ぶように売れてるなら、商売としては大繁盛じゃないか」
「病気で苦しんでいる人から、なけなしのお金を巻き上げているのよ!」
「なら、商売のやり方が下手くそだな。熱力学的に見ても持続可能性がない」
「そこじゃないわよ! 分かってるんでしょ!」
スネブが枕の端をグイッと引いた。
ずるっ。
頭が枕から落ちた。布団の隙間でナッツの薄皮がカサリと鳴る。
「おい。俺の安眠資産に手を出すな」
「資産じゃありません! ただの寝具よ!」
「長年の時間投資で築いた至高の寝具だ。その価値を理解しろ」
「その投資先、人生のどこにも利益を生み出してないじゃない!」
「『圧倒的な睡眠』という極上の配当を毎日受け取っている」
「受け取ってるの、あんた一人だけよ!」
俺の胸の上で、丸まっていたピヨちゃんが鳴いた。
「ピヨッ」
「ほら、ピヨちゃんも納得してる」
「都合よく証人にしないで!」
足元では、巨人族の幼女・ガウが片目を開けていた。
「ガウ……? お薬、にがいガウ?」
「さあな。俺はその偽薬とやらの味は知らん」
「じゃあ、お肉売ればいいガウ! お肉はおいしいガウ!」
「どうして急に肉屋の提案になるのよ!」
スネブが額を押さえた。ピヨちゃんは何かを察したらしく、俺の袖口へ潜り込む。
「はい、朝食よ。『ケールとスピルリナの超濃縮酵素スムージー』!」
「朝から緑の沼を見せるな」
「昨日より飲みやすく調整したわよ!」
「昨日も一昨日も、同じことを聞いたぞ」
「今日は青臭さを抑えつつ、栄養価を完璧に維持してるんだから!」
「つまり、青臭さ以外は一ミリも改善されてないんだな」
「四の五の言わずに飲みなさい!」
俺はコップを受け取った。ガラスの表面には水滴が浮かび、指先が冷える。
一口。
舌に草の苦みがへばりついた。飲み込んだ直後、鼻の奥まで青臭さが突き抜ける。
「……スネブ。これ、草をすり潰したあとに、草の恨みまで溶かし込んでないか?」
「健康的な食材に余計な感情を付与しないで!」
「植物にだって嫌なことはあるだろ。刈り取られる痛みとか」
「ありません!」
「じゃあ、俺が飲むのを嫌がる権利は認めろ」
「嫌がる権利は認めます。でも一滴残さず飲みなさい!」
俺は空のコップを突き返した。
「で、その三流の闇市はどこだ」
「えっ……? 珍しいわね。自分から話を聞くなんて」
「勘違いするな。お前がここで騒ぐと二度寝の質が下がる。静かな睡眠環境を守るための防衛行動だ」
「その屁理屈で人助けに繋がるの、本当にどうかと思うわ」
神殿の操作盤に、最外殻第七地区の地図が浮かんだ。監視塔、封鎖された路地、薬の販売地点。赤い光がいくつも点滅している。
「この地区では、正規の治療所を利用できない人が増えているの。闇市の薬を買わなければ、治安維持軍の保護から外すぞって脅されているみたい」
「薬の購入と命の保護を抱き合わせにしてるのか。三流だな」
「しかも、薬の価格は原価の百倍近くよ!」
「値段の付け方も底抜けに下手くそだ」
「そこ!?」
「逃げ道を塞ぎすぎると、逃げるために壁をぶち壊す奴が出てくる。商売を長く続けたいなら、そこまで考えろって話だ」
「……スエド、もしかして」
「俺は何もしない」
「まだ何もお願いしてないわよ!」
「お前の顔が、俺にタダ働きさせようとする悪徳上司の顔になってた」
「失礼ね! せめて現地の様子だけでも確認してちょうだい!」
「歩くのは嫌だ。一歩も布団から出ないぞ」
「歩かなくて済む方法があるわ」
スネブが地図の一角を示した。
「監視塔の警戒をくぐるため、コアユニットを極小の潜入形態にするわ。キャンピング・パレス本体はここで待機。動かさないから安心して」
「帰ったら即座に二度寝する」
「事件が片付いたら、でしょ!」
* * *
俺は布団から手だけを出し、操作盤を指先で二度叩いた。
かすかな駆動音が響き、コアユニットの外装が折り畳まれていく。やがて、部屋の隅に収まるほどの小さな姿になった。
もちろん布団はそのまま。枕の位置も変えない。
『スエド、潜入経路を見せるわ』
「監視網に引っかからない経路で頼む」
『最短経路は監視塔の正面突破よ』
「それを候補に入れるな」
『じゃあ、安全な迂回路は——』
「長いだろ。途中で日が暮れる」
『……はいはい』
「近くて、安全で、絶対に見つからない道を出せ」
『そんな都合のいい道、普通は存在しないわよ!』
「『普通』って便利な言葉だな。困ったときに口に出せば、だいたい責任逃れができる」
『責任から逃げようとしないで!』
コアユニットが床を滑り出した。
神殿の待機区画を離れると、湿った空気にカビた土と鉄錆の匂いが混じった。小石を踏む音が、かすかに足元から伝わってくる。
「スネブ、現地の様子を見せてくれ」
『前方に監視塔。左側に市場の入口があるわ』
「右は?」
『封鎖路よ』
「じゃあ右だ」
『どうしてそうなるのよ!』
「市場の正面から入ったら、売り子に声をかけられるだろ」
『潜入の理由が接客されたくないからなの!?』
「接客を断るのには精神力を使う。エネルギー保存の法則だ」
『そのエネルギーを人助けに使いなさい!』
俺は薄暗い路地へ入った。壁に張りついた古い布が外装をかすめ、カサカサと乾いた音を立てる。
路地の先に露店があった。瓶が山積みになり、青白い液体、金色の液体、薄紫の液体が怪しく光っている。看板には「神癒」「完全回復」「奇跡の一滴」。よくもまあ、これだけ堂々と並べられるものだ。
露店の前には、痩せた男が立っていた。ほつれた袖からのぞく手の甲には、結界病特有の斑点が浮かんでいる。
「これを飲めば……本当に治るんですか?」
男が尋ねると、売り子は瓶を掲げた。
「もちろんさ。教団の加護を凝縮した特別な霊薬だ。今なら治安維持軍の保護契約も付けてやる」
「でも、金貨十枚なんて……」
「払えないなら保護の対象外だ。道端で死んでも知らんぞ」
男の指が、布袋の口を何度も開け閉めした。
隣の少女が、男の袖を弱々しく引く。
「おじさん、もうやめたほうがいいよ……」
「でも、お前の腕だって」
「わたしは平気」
少女は笑おうとした。頬の斑点が引きつり、すぐに口元が歪む。
「平気な顔を作るのが、少しばかりうまいだけだろ」
口から声が漏れた。
『スエド。現地の様子、ちゃんと見てるわね?』
「見てるだけだ。俺は傍観者だぞ」
『その言い方、何かやらかす前の人がよくするのよ』
「お前は俺をなんだと思ってる」
『面倒事を避けるために、面倒事の根っこを更地にする人』
「過大評価だな」
『褒めてないわよ!』
(後編へつづく)




