偽りの聖女(前編)
「……やめろ……。ペアでスクワット千回とか……正気の沙汰じゃない……。なぜ……なぜ俺の足ではなく……精神が筋肉痛を起こしているんだ……」
荒い息を吐きながら、俺は飛び起きた。
ボロ布団から勢いよく上半身を起こした拍子に、胸のあたりから「ふにゃ!?」という可愛らしい悲鳴と、「ピヨッ!?」という甲高い威嚇音が同時に響き渡る。
「……ガウ、ピヨちゃん。すまん、起こしたか」
俺の胸の上を『朝の生あたたかい湯たんぽ』代わりに占領していたちびっこ巨人族のガウと、その頭の上にちょこんと乗っていたピンクの羽毛生物・ピヨちゃんが、目を丸くして俺を見上げていた。
ガウは小さな手をパタパタさせると、自分のポケットから大事そうに一粒のナッツを取り出し、俺の口元へ差し出してきた。
「ガウ! スエド、ナッツ食べるガウ? 元気でるガウ!」
「ピヨピヨッ!?」
ピヨちゃんも同意するように、小さなフワフワの翼をパタパタと羽ばたかせる。枕元に放置されたまま蓋の空いたウェットティッシュのフタが、わずかに乾いた隙間からパカパカと音を立てていた。
「……ありがとうよ。お前たちの純な優しさが、夢地獄から戻った俺の心に染みるよ……」
俺はガウの小さな手からナッツを受け取り、ポリポリと噛みしめた。香ばしい脂質が口内に広がり、少しだけ心が落ち着く。
二夜連続だ。
昨夜に引き続き、俺の夢の中には、あの鮮やかな蛍光ピンクのTシャツを着た筋トレ狂いの変態おじさんが侵入してきた。昨夜は単独スクワットだったが、今夜は「さあ、絆を深めるペアスクワットだ!」などとぬかし、逃げ場のない夢空間で千回の膝曲げを強要してきたのだ。
現実の肉体は指一本動かしていないというのに、脳が「極限の筋トレを行った」と錯覚させられ、精神だけが猛烈な疲労感に苛まれている。これは人道を無視した精神攻撃以外の何物でもない。
「——ちょっと! ボサボサ頭のまま、いつまでナッツ食べてるのよ!!」
バンッ! と勢いよく扉が開かれ、主機たる万年床型自走コックピットに爽やかな朝の風と、猛烈なお説教の気配が流れ込んできた。
「おはよう、スネブ。朝から相変わらずお肌のコンディションが絶好調そうだな。だが頼む、今はその大声を聞くだけで脳のシナプスが破裂しそうなほど、俺の精神は疲弊しているんだ」
「はあ!? 寝てただけのニートが何の疲弊よ! ほら、起きなさい! 今朝は採れたてのキヌアとアボカドの酵素たっぷりスーパーサラダよ! これを食べれば朝の腸内環境が劇的に改善されて、あんたのその死んだ魚のような目も少しはマシになるわ!」
「断る。今の俺に必要なのはプロテインでも酵素でもない。『二度寝』という名の完全なる休息だ。俺は布団と一体化して化石になる」
「化石になろうとするな!! ガウとピヨちゃんを見習いなさい! 二人は朝からちゃんとストレッチして、お腹を空かせてるのよ!」
スネブが仁王立ちで詰めてくる。俺は深いため息をつきながら、枕元に隠してあった非常食——『せんべい』の袋を引き寄せ、一枚を手に取ってパリッと噛み砕いた。硬質な歯ごたえとほのかな甘みが、荒んだ心に優しい。
「……スネブ。お前は理解していない。夢の中で人とペアで千回のスクワットをさせられる苦しみを。あれはもはや拷問だ。世の中の奴らは、どうしてそうまでして体を動かしたがるんだ。人間、横になって重力に身を任せている時が一番平和だというのに」
「何の夢を見てんのよあんたは!!」
スネブのツッコミがコア・コクピット内にキンキンと響き渡る。
だが、その平和(?)な朝の押し問答は、コアの魔導映写板に突然のカットインで映し出された外の光景によって、唐突に中断されてしまうこととなった。
* * *
『——警告。最外殻第4地区・巡礼広場にて、高濃度の魔術波長および精神抑圧フィールドの展開を確認』
神殿の母艦操縦室から、執事ヴァルカンの落ち着いた、しかし警告を含んだ声が流れてきた。
「ロード・スエド。母艦パレスは安全圏に待機中ですが、現在コアユニットで移動中の第4地区前方に不審な高エネルギー反応を検知いたしました」
「ヴァルカン、頼むからコアの通信を切ってくれ。せっかく母艦を置いて身軽に出てきたのに、小言まで追っかけてくるのは欠陥設計だろ」
魔導映写板画面に映し出されたのは、広場を埋め尽くす大勢の貧しい民衆の姿だった。皆、ボロ布を纏い、痩せ細った体で地面に平伏している。
その広場の中央、豪華絢爛な金の壇上に立っていたのは、純白と黄金の絢爛なドレスを身に纏った一人の少女——教団が誇る『聖女ロッテリーゼ』であった。
『神の慈悲を乞いなさい、哀れな民たちよ!』
聖女ロッテリーゼの甲高い声が、広場に設置された拡声魔導具を通じて響きわたる。
『あなた方の貧困と病は、すべて信仰心が足りぬ“穢れ”ゆえ! この私に全財産と食料を捧げ、心からひざまずく者にのみ、神聖なる清めの光を与えましょう!』
彼女が掲げた杖の先から、まばゆいばかりの黄金の光が放たれ、地面にひざまずく民衆を包み込む。
一見すると神聖な奇跡の光に見えたが、その実態は酷いものだった。光を浴びた民衆は、病が治るどころか、強烈な精神重圧によって頭を地面に押し付けられ、苦しそうに呼吸を乱している。
『さあ、もっと深くひざまずきなさい! 私を敬いなさい! 拒む者は神への反逆者として、この場で異端として処分します!』
聖女を取り囲む教団兵たちが、武器を構えて民衆を圧迫していた。
「な……何よあの女!!」
魔導映写板を見ていたスネブが、顔を真っ赤にして激怒した。手にしたアボカドサラダのボウルが、怒りでプルプルと震えている。
「貧しくて食べるものもない民衆から、なけなしの食料と財産を巻き上げておいて『信仰が足りない』ですって!? おまけにあの光、全然人を癒やしてないじゃない! ただの精神圧迫魔法で無理やり平伏させてるだけよ! 美容どころか、人間としての心が完全に腐ってるわ!!」
「まあ落ち着け、スネブ。興奮するとせっかくのキヌアの栄養素がストレスホルモンで相殺されるぞ。あの子もあやしい教団にやらされてるだけの被害者なんだから」
俺は布団の中から怠惰に魔導映写板を見上げた。
「……だが、お前の言う通りだな。本物の聖女ってやつなら、わざわざ他人にひざまずくことを強要したりしない。
自分が上で他人が下だという上下関係に固執している時点で、あれは『聖女』じゃなくて、ただの『操り人形』ってことだよ」
(後編へつづく)




