聖剣の共鳴と炭酸の反逆(後編)
「ご苦労。……で、どうせまた何か面倒なことが起きてるんだろ?
わざわざお前が血相を変えて飛んでくる時は、大抵ろくでもない事態だ」
俺が布団の中で炭酸のプルタブを引き開けながら聞くと、ヴァルカンは銀縁メガネを中指で押し上げた。
「ご明察の通りです。前方、第3地区の居住区画にて、教団の『徴収部隊』が住民から強制的に水と配給食料を巻き上げている模様。
教団側は重武装の鎮圧ゴーレムを展開し、広範囲に『重力威圧フィールド』を張って武力制圧を図っております!」
プシューッ、とパノラマ窓の換気口が自動で開き、肌をチクチクと刺すような熱風と、鉄錆の混じった砂埃の匂いが流れ込んできた。
窓の外に視線を向ける。ひび割れた赤茶色の荒野の向こうに、トタンと廃材で作られたバラック小屋が密集する集落が見えた。
『さっさと水を出せ! これは教団への神聖なる税だ!』
『お、お許しを……! その水を持っていかれたら、子供たちが……!』
くぐもった叫び声が風に乗って届く。
法衣を纏った教団の魔導部隊が、空中に魔法陣を展開し、住民たちをまるで見えない巨大な手で押し潰すかのように地面へ這いつくばらせていた。
「ひどい……! あんなに痩せこけた人たちから、なけなしの水を奪うなんて!
ちょっとスエド! あなた見て見ぬふりする気!?」
「落ち着けよ、スネブ。あんな物騒な連中の中に、わざわざ自分から飛び込んでいくなんてエネルギーの無駄だ。
それに、あの鎮圧ゴーレムの装甲は分厚い。物理で殴り合えば、こっちの拳が痛むだけだ」
「じゃあ、このまま見捨てるっていうの!? あんたって本当に血も涙もないニートね!!」
「見捨てるなんて言ってないさ。ただ、戦うという行為自体がナンセンスだと言ってるんだ。
さっきのアニメの勇者と同じだよ。わざわざ硬い剣を引き抜く必要はない」
「はあ!? こんな時に何アニメの話に戻ってんのよ!」
「台座ごと……いや、彼らの立っている『前提』そのものをひっくり返せばいい」
俺は隠し持っていた炭酸をグイッとラッパ飲みした。
冷たい液体が食道を一気に駆け抜け、胃袋の中で暴れ回る。やがて、行き場を失った壮大なガスがせり上がってきた。
俺は目を閉じ、限界まで溜め込んだそれを、盛大に解放した。
「——ゲェェェップ……」
炭酸の弾けるような、低く豪快な音が部屋中に響き渡る。
「ちょっと! 乙女の前で信じられないくらい下品な音出さないでよ!!」
スネブが顔を真っ赤にして怒鳴る中、俺の右目の『偏光グラス』に青色のシステム展開図が滝のように流れ込んできた。
『——音声コマンド【炭酸の弾ける泡】を受理』
『——世界の記述システム、対象の音波を【物理ベクトル凍結の重力記述】と判定』
『——第3地区への干渉を開始。教団兵器群の出力ベクトルを反転・凍結します』
キャンピング・パレスの屋頂から、目に見えない無音の波動が荒野へ向かって放たれた。
その直後、パノラマ窓の外を見ていたスネブが「えっ?」と小さな声を漏らし、目を丸くした。
「な、何が起きたの……?」
「どうした、スネブ。俺のゲップの音圧でゴーレムが吹き飛びでもしたか?」
「違うわよ! ほら、見て!」
広場で威圧的に立っていた教団兵たちが、突如として全員、見えないハンマーで殴られたかのように地面に叩きつけられていた。
彼らが住民たちに向けて放っていた重力威圧のベクトルが100%反転し、彼ら自身に数倍の重力となってのしかかったのである。
『ぐああっ!?』『体が、動か……っ!?』と呻き声を上げる兵士たち。
背後にそびえ立っていた巨大な鎮圧ゴーレムに至っては、自らの膨大な質量に耐えきれず、メシャァッ! という無残な音を立ててアルミ缶のようにペシャンコに潰れてしまった。
「簡単な理屈だよ。彼らが周囲に押し付けていた重力威圧の向きを、そっくりそのまま自分たちの内側に反転させただけさ。
他者を無理やり押さえつけようとするから、その反動を自分で引き受ける羽目になる」
俺は布団の中で寝返りを打ちながら、あくびを一つこぼした。
「あれが究極の平和的解決だ。争う気力すら湧かないほどの、圧倒的な怠惰の押し売りさ」
「ガウ! スエドのゲップ、すごいガウ!」
ガウが俺の背中から飛び出し、窓に張り付いて無邪気に手を叩いた。
すると、甲板に控えていた白銀の半竜人ゲオルグが、スエドの放った重力波の美しさに感銘を受け、感涙しながら深々と頭を下げた。
『……おお……! 我が主の深遠なる重力制御、相変わらず見事でございます。我ら眷属の出る幕すらありませぬな』
「ん? なんだゲオルグ、感心してないで外の煙をなんとかしろ。俺は二度寝する」
「スエド! あんたまた昼間から炭酸なんて飲んで! ゲオルグも主の怠惰を甘やかさないの!」
「まあいいさ。外の後始末はヴァルカン、お前に任せる」
「はっ! 承知いたしました。教団兵の武装解除および回収、速やかに完了させます」
俺は迫り来るケール酵素スムージーの凶悪な匂いから逃れるように、ガウを再び布団に引き込み、タオルケットを頭まで被って二度寝の体勢に入った。
* * *
——喧騒に包まれた集落から少し離れ、灼熱の陽炎が揺らめく岩山の陰。
音もなく吹き抜ける荒野の熱風の中で、猫獣人のメルは闇に溶け込むような漆黒の戦闘装束を纏い、岩肌に片足をかけて静かに対岸を見下ろしていた。
『……ククク。相変わらず、主のやり方は常軌を逸しているな。
たった一度の炭酸の呼気で敵の重力ベクトルを完全に掌握して、おまけに反転させてしまうとは、怠惰を極めた合理性の暴力だ』
メルの足元には、集落の騒ぎに乗じて可動式神殿を背後から密かに狙撃しようとしていた、教団の隠密部隊の兵士たちが十数名、白目を剥き、泡を吹いて気絶していた。
彼らの武器は全て破壊され、関節は巧妙に外されている。
『——隠密部隊の処理および防諜のバックドア構築は完了した。
主の安眠を妨げる小バエどもは、一匹残らず排除済みだ』
メルは細長い黒い尻尾をゆらりと揺らし、黄金の瞳を細める。
『主よ、心ゆくまで惰眠を貪るがいい。その布団から出ずとも、この世界は確実に反逆の牙を研ぎ澄ましているのだから』
乾いた荒野の熱風が、メルの黒髪を静かに揺らした。




