巨人族のちびっ子野生児(前編)
「——ロード・スエド。本『可動式神殿』は、第2結界の塩害限界地区を無事突破いたしました」
白衣に銀縁メガネの紳士、ヴァルカンが恭しく一礼する。
「現在、未開の荒野を時速六十キロで快適に爆走中でございます。主の安眠を妨げるような障害物は一切存在しませんので、ご安心を」
「……ふむ。それはご苦労なことだね。だが、少し静かにしてくれないか。今、良いところなんだ」
「ははっ、これは失礼いたしました!」
ヴァルカンは音もなく引き下がり、俺は再び魔法結晶テレビの画面へと視線を戻した。
「やっぱり、中身がおっさんで異世界に転生して本気を出すアニメは、観ている分には賑やかでいいな。画面の中だけで完結しているから、こちらに被害が及ばないしね」
俺——スエドは、大理石の床の中央に敷かれた万年床のボロ布団にくるまりながら、しみじみと呟いた。
「だが……わざわざ血反吐を吐いて高速詠唱の練習をし、命を削って敵と戦うなんて正気の沙汰じゃないね。
そもそも、どうしてあいつらは相手の放った巨大な岩砲弾や爆炎魔術を『くっ、受け止めきれん……!』とか言いながら正面から両手で受け止めようとするんだ? 避けるか逃げるかすればいいじゃないか」
テレビ画面の中では、眼帯をつけた自称・魔界大帝のちっちゃい幼女魔王が『ハーッハッハッハ! 我こそは魔界の大帝なるぞー!』と大威張りで高笑いした直後、敵の大爆発に巻き込まれてドカンと盛大に吹き飛ばされていた。
「……観ろよピヨちゃん。あの幼女魔帝のキャラ。さんざん威張って調子に乗っておきながら、爆破されて『ギャアアアン!』って赤ちゃんみたいに大泣きしてるくせに、服も肌も擦り傷ひとつ負ってないぞ。
泣くくらいなら最初から威張らなきゃいいのに、どんな無敵の耐久力をしてるんだ? 泣いてるのにノーダメージとか、正直意味が分からないね」
「ピヨッ!」
俺の肩の上で、手のひらサイズの羽毛生物・ピヨちゃんが同意するように鳴いた。
「だろ、ピヨちゃん。正面から受け止めるから骨が折れるし、服も破れるんだ。熱力学的に見ても、エネルギーの無駄遣いにもほどがある。
俺なら攻撃が飛んできた瞬間に布団を頭まで被って、攻撃が通り過ぎるのを二度寝しながら待つね。それがもっとも合理的で、かつ生産的な防御法だよ」
俺は袋から『ナッツ』を一粒つまみ、カリッと音を立てて噛み砕く。続いて『干し芋』をちぎり、ピヨちゃんと分け合った。
「この香ばしいナッツのカリッとした歯ごたえと、干し芋の素朴でねっとりした甘み……。包丁も皿すらも要らず、寝たまま袋から口へ放り込むだけで完結するこの手軽さこそが、究極を極めた人間の至高の正義だよ」
「ピヨピヨッ!」
「血を流して無双するより、布団の中で健康なお菓子を噛みしめるほうが、宇宙の真理に近いと思わないか? いや、絶対にそうさ。真の勇者とは、布団から出ない者のことを言うんだ」
大理石の床の中央、ポツンと敷かれたボロ布団の端で、カピカピに乾燥した昨晩の米粒が一つ、ポロリと畳の目へ転がり落ちた。
俺が再び布団を頭までかぶり直し、至福の二度寝に入ろうとした瞬間に、重厚な大扉がバターンッ! と外れんばかりの勢いで叩き開けられた。
「——ス! エ! ド! 時速六十キロで爆走してる部屋の中で、寝転がってボリボリお菓子食べ散らかしながら、またアニメ観てんじゃないわよーーーっ!!」
仁王立ちで怒鳴り込んできたのは、同居人の美少女・スネブだった。胸元に擦り切れた天体模様の刺繍が入ったヨレヨレのパジャマ姿だというのに、彼女が近づくにつれ、空気の流れが明らかに変化している。
「本当にあなたって人は、どこへ行ってもサボる口実ばかり探してんじゃないわよバッカ!!」
「ピヨッ!? ギニャアアッ!?」
スネブの両手には湯気を吹く木製ボウルと、濃緑色の液体が入ったグラスが突き出されていた。青臭いケールの凄まじい匂いが部屋中に充満し、恐怖したピヨちゃんは俺のダボついた上着の袖口へ秒で潜り込んだ。
「いい加減起きなさーい! 朝イチで良質な植物性タンパク質とミネラルを摂取するのが美肌作りの基礎中の基礎なの!」
「朝からうるさいな……ボロい板間に布団敷いてるような俺に、美肌とか言われても説得力がないんだが」
「うるさいわね! むくみなんて美肌にとって最大の天敵なんだからね! 朝からそんなカリカリした水分のないナッツばかり齧ってたら、お腹が荒れちゃうでしょ!」
「嫌だね。俺は移動の最中なんかに布団から一歩も出ないよ。だって移動そのものはこの可動式神殿が全自動でこなしてくれてるんだから」
「だからって、ずっと寝転がってる理由にはならないでしょ!」
「なるさ。わざわざ自分から立ち上がって歩き回るなんて貴重なエネルギーの無駄使いだし、エントロピー増大に加担するという重大な反逆行為だよ。宇宙の乱雑さをこれ以上増大させてどうする気だ」
「なに、今度はエントロピーなんか持ち出してきてんのよバカ!! 屁理屈こねてないで起きなさい! ほら、朝の代謝アップのために仕込んだ『蒸しキヌアとアボカドのローフードボウル』よ!」
スネブは木製ボウルを俺の目の前にドカンと置いた。俺は渋々布団から顔を出し、ボウルの中身を木製スプーンでひとすくいする。
「……小鳥の餌かな?」
「超高級美容食よ!!」
「スネブ、君はとうとう人間用の食事であることを放棄したのか? 色合いはかろうじて食べ物っぽいが、味付けという概念がキレイサッパリ蒸発しているぞ。これ、ただ茹でただけの種じゃないか」
「ポリフェノールと良質な脂質がたっぷりの奇跡のボウルなの!! 精製塩なんて身体をサビつかせる毒と一緒なんだから、余計な味付けなんて不要よ! 感謝して素材の味を噛みしめなさーい!」
「素材の恵みにも限度があるだろ。味のしないキヌアを延々とモグモグさせられる身にもなってみろ。これなら外の水たまりの水のほうが、まだ大地のミネラル的な味がしそうだぞ」
俺が心底呆れた顔で吐き捨てると、スネブはニヤリと口角を吊り上げ、鼻息を荒くした。
「ふふん……なるほどね。私の愛情たっぷり手料理に文句を言う反省しないスエドには、特別な罰が必要みたいね!」
「……おい、嫌な予感がするんだが」
「朝イチ生搾りの『濃縮ケール酵素エキス・百パーセント原液』を一気飲みの罰よ! どう!? 参ったでしょ!」
「ギ……ギャアアアアッ!? ケ、ケール!? 頼む、ケール原液だけはご容赦をぉぉぉ!!」
俺は大根役者風の棒読みで声を裏返しながら、両手をジタバタと振って抵抗するふりをした。そして、差し出されたグラスを奪い取るようにひったくり、濃緑色の液体をゴクッ、ゴクッ、と一気に喉へ流し込む。
(……うひょーっ!! 無添加・無塩・生搾り百パーセントの超高濃度酵素!! 五臓六腑に生きたビタミンが染み渡るぜ……! これこれ、この青臭さがたまらないんだよなぁ……!)
「くはぁっ……生きたビタミンが効くぅ〜〜……っ!(※心の声)」
「フフン! 泣くほど嫌がってるわね! ざまあみなさい!」
スネブが胸を反らしてふんぞり返る。俺が裏で至福の健康エネルギーをチャージしていることなど、彼女は一生気づかないだろう。
「これに懲りたら大人しくボウルを召し上がりなさーい!」
「……わかったよ。小鳥の気持ちになって食べるさ」
俺がため息をつきながらキヌアをモグモグしていると、先ほど下がったはずのヴァルカンが、今度は足早に歩み出てきた。その顔は、珍しく緊張に強張っている。
「——ロード・スエド。緊急事態にございます!」
「なんだい? テレビの電波でも悪くなったのか?」
(後編へつづく)




