第2結界の塩害限界地区(前編)
乾いた風が、塩の混じった砂埃を運んでくる。ひび割れた硬い土の感触が、素足から容赦なく体力を奪っていった。
幼い少女ミーナは、喉の渇きと眩暈に耐えきれず、カラカラに干からびた大地の上にへたり込んでいた。
西の諸国連合境界線、第2結界関門の外縁にあたる最外殻の塩害被害地区。
結界から漏れ出す魔素の塩害で畑の作物は真っ白に枯れ果て、村人たちの生活はとうに限界を迎えている。
さらに街道沿いでは、諸国連合と聖壁教団の肥え太った悪徳役人たちが巨大な関所を築き、通るすべての塩に莫大な「塩関税」を掛けていた。
『だまれ! 塩が欲しくば身ぐるみを剥いで差し出せ!
教団のありがたい塩を買えるだけでも感謝しろ!』
『お、お代官様、どうかご勘弁を……!
塩害で作物は全滅し、納める銅貨一枚も残っておりません……! どうか、どうか子どもたちに一口だけでも……!』
『知るか! 払えぬ者は奴隷として引き立てろ!』
ビシッ! と空気を裂く音。
ミーナの目の前で、すがりついた大人たちが次々と鞭で打たれて倒れ込む。遠くで、重い荷馬車の車輪がギシギシと軋む音が微かに響いていた。
不純物がジャリジャリに混じった粗悪な塩すら買えず、塩分不足と過酷な労働で干からびていく子どもたち。ミーナもまた、ぼやける視界の中で絶望の涙をこぼすしかなかった。
——その時だった。
ゴゴゴゴゴ……と、心地よい重低音が大地を微かに揺らした。
ミーナが霞む目で顔を上げると、大渓谷の方角から、信じられないものが猛スピードで迫ってくるのが見えた。
「え……お城……?」
それは巨大な白銀の建築物だった。
時速六十キロほどの猛スピードで爆走してくる不可思議な建物の壁面には、巨大なガラスのパノラマ窓が設えられており、ミーナのいる場所からは中の様子が何となく窺えた。
豪華な白磁の大理石の建築物。
窓から覗く人物は、上品できれいなお姉さん。ミーナは豪華な白磁の大理石で作られた部屋に居る人を見て、目を丸くした。
だが——その続く光景には微かに首を傾げることとなった。
豪華な大理石の部屋の奥には重厚な御簾が垂れ下がっており、中の様子はシルエット程度しか見えない。御簾の奥から時折、黒髪の青年の手だけがヌッと伸びて、何やら『平たい円盤』を引っ込めてはポリポリと齧っているような気配が漂っていたのだ。
ミーナが不思議そうに眺めていると、部屋の重厚な大扉がバターンッ!と開き、先ほどの上品なお姉さん——いや、ヨレヨレのパジャマ姿の美少女が怒鳴り込んでくるのが見えた。
分厚いガラス越しで声こそ聞こえないが、美少女はものすごい剣幕ですだれの奥に向かって怒鳴り散らし、グラスを突き出している。するとすだれの向こうから再び手が伸び、大袈裟な身振りでそれを受け取ると、それを一気に飲み干しているように見えた。
やがて、白衣に銀縁メガネの紳士がうやうやしく現れ、御簾を上げると、窓の外——つまり、ミーナたちの方を指差した。
パジャマ姿の美少女が窓枠にすがりつき、ミーナたちや倒れている子どもたちの惨状を見て激怒の表情を浮かべる。彼女は涙ぐみながら、奥の人物に向かって必死に訴えかけ、その人物を力任せに揺さぶった。
奥の方では、青年が重い溜息をつき、心底めんどくさそうにボサボサの前髪をかき上げる影が揺れる。
そして——青年の眼鏡の奥の瞳と、ミーナの視線が、ほんの一瞬だけ交差した気がした。
* * *
「……ふむ。やっぱり巨大な壁の中に閉じ込められた人類が、全裸の巨人と戦うアニメは、絶望感と緊張感があって名作だな。
だが……わざわざ立体的なワイヤーアクションを駆使して壁の外に出て戦うなんて、正気の沙汰じゃないね。どう考えても熱力学的にエネルギーの無駄遣いだし、死亡リスクと報酬が見合っていない。
分厚い壁の中こそが、人類に許された最強の安眠スペースじゃないか。俺なら巨大な壁を背もたれにして一生二度寝するね。もし巨人が来たら、壁の隙間に挟まってやり過ごせばいいのさ」
俺——スエドは、魔法結晶テレビの画面をしみじみと見つめながら、袋から取り出した『ポンせんべい』をポリポリと口に放り込んでいた。
さらにその傍らには、大好物の『ナッツ』を袋から無造作にこぼし、布団の上に特定の星座配列を描くように散らかしている。
「だろ、ピヨちゃん。この素朴で香ばしい風味と、ザクッとした食感……。ただ袋から口へ放り込むだけで完結するこの手軽さこそが、究極を極めた人間の至高の正義だよ。
壁の外へ冒険に出て命を張るなんて、タイパもコスパも最悪さ。布団の上にこぼれたナッツを拾い食いしながらアニメを観る。これ以上の幸せがどこにあるっていうんだい?」
「ピヨッ!」
肩の上の羽毛生物——ピヨちゃんが、俺の手からひょいと受け取ったポンせんべいのかけらを器用な前脚でつまみ、同意するように短く鳴いた。
俺が再び布団を頭までかぶり直し、至福の二度寝に入ろうとした——まさにその瞬間だった。
バターンッ!!!
「——ス! エ! ド! 時速六十キロで爆走してる部屋の中で、寝転がってボリボリせんべい食べながら、また壁のアニメ観てんじゃないわよーーーっ!!
本当にあなたって人は、異世界に行ってまで自堕落の極みを他人に押し付けてんじゃないわよバッカ!!」
同居人の美少女スネブが、胸元に擦り切れた天体模様の刺繍が入ったヨレヨレのパジャマ姿で怒鳴り込んでくる。両手には湯気を吹くボウルと、濃緑色の『特製生搾り濃縮ケール酵素エキス』。
「いい加減起きなさーい!
朝イチで温かいスープを飲んで内臓を温めるのが美肌作りの基礎中の基礎なの!
朝からそんな口の水分持ってかれる乾き物ばかり齧ってたら、お腹が冷え切っちゃうでしょ!」
「嫌だね。俺は移動の最中なんかに布団から一歩も出ないよ。
わざわざ自分から立ち上がって歩き回るなんて貴重なエネルギーの無駄使いだし、……」
「はいはい、熱力学第二法則に対する重大な冒涜なんでしょ。バッカみたい!!
ほら、朝の抗酸化ケアとむくみ予防のために仕込んだ『アサイーとザクロのオーガニックポリフェノールボウル』よ!」
「……紫色の泥かな? スネブ、君はとうとうスーパーフードという名の謎の泥まで俺に主食として与える気か? 見た目が完全に魔導実験の失敗作だぞ」
「ポリフェノールと鉄分がたっぷりの超高級美容食なの!! むくみは美肌にとって絶対許せない天敵なんだから、感謝して噛みしめなさーい!」
(後編へつづく)




