効率主義VS二度寝の理(後編)
俺はボロ布団の中から気怠そうに吐き捨てた。
「直行? 最短ルート? 効率? くだらないね。人間はすぐに『タイパ』だの『効率主義』だのに縛られたがる。目的地に最短で着くことが正義だなんて、誰が決めたんだね」
「はあ!? 追っ手が来てるのよ!? 早く逃げ切るのが普通でしょ!」
スネブがキレかかった、まさにその瞬間だった。
『う、うわぁぁぁんっ! お母さん、痛いよぉ……!』
『誰か……誰か助けてくれ……! 結界の毒で、うちの子の腕が結晶化して……!』
神殿の巨大なパノラマ窓の向こう。
キャンピング・パレスがすり抜けていく街道沿いの貧しい開拓集落から、痛ましい叫び声とすすり泣きが風に乗って響いてきた。
窓の外を見下ろすと、そこには聖壁教団の重税と過酷な徴発によってボロボロに荒れ果てた村と、大結界内部に停滞・腐敗した『濁り魔素』による『結界病』で皮膚が硬く結晶化し、高熱に苦しむ幼い子どもたちの姿があった。
村の広場では、教団の肥え太った執税吏が、病で動けない民衆に向かって冷酷に鞭を振るっている。
『だまれ! 結界の中に住まわせていただいているだけでも恩の字だ! 痛みに耐えて税を納めるのが民としての「普通」であり「勤め」だぞ!』
「……っ!! なにアレ……!?」
スネブが窓枠を両手で握りしめ、目を見開いて絶句した。
彼女の白い頬が、激しい憤りで真っ赤に染まっていく。
「見てられないわ……! 教団の言いなりになって、病気と貧乏に耐えるのが「普通」だなんて……そんなの絶対におかしいじゃない!! ちょっとスエド! あの子たちが目の前で苦しんでるのよ! なんとかしなさいよバカ!!」
スネブが涙ぐみながら、俺のボロ布団を力任せに揺さぶってくる。
俺はボロ布団の中から重い溜息をつき、気怠そうに顔を出した。
「やれやれ……お節介な奴だな、スネブは。だが……教団の奴らのあの言い草は、実に反吐が出るね」
「え……?」
「耐えるのが普通? 効率よく我慢するのが勤め? くだらないね。他人が勝手に押し付けた『我慢のルール』や『耐える檻』に素直に従うなんて、愚の骨頂だよ。『普通はこうして耐えるものだ』なんて発想そのものが、人間から自由を奪う『普通という名の檻』なんだ。俺は我慢なんて大嫌いだし、苦しいなら逃げるしサボるね」
俺はボサボサの前髪を払い上げると、右目にかけていた『偏光グラス』のフレームを、指先でほんの数ミリだけ上へとずらした。
――能力表示画面、起動。
右目の視界だけに、青と金の透き通った幾何学模様の光彩が広がる。
迫り来る諸国連合追撃隊のベクトルの赤色エラーと同時に、下界の集落を覆う不条理な『結界病の濁り魔素コード』が視界全体に明滅していた。
(まったく……効率主義だの包囲網だの、我慢の強要だの、面倒くさい世界だな。急ぐ気も、耐える気も、俺には一ミリもないよ)
俺は色眼鏡の奥の瞳を冷ややかに細め、ボソリと呟いた。
「効率的に最短で進め? 苦しみに耐えて従え? 冗談じゃない。急ぐくらいなら永遠に寄り道するし、我慢するくらいならルールごとぶち破るね。俺たちの前には、最初から『誰かが決めた目的地』なんて存在しないよ」
男が単なる「サボるための理屈」として吐き捨てた言葉。だが哀しいかな、この世界の基幹システムは、その圧倒的な自律拒絶の言い訳を「世界構造の概念改変コマンド」として決定的に誤認識してしまったのである。
『——言語コマンド【目的地喪失の絶対遅延】を受理』
『——不条理な同調圧力コードおよび【結界病の濁り魔素】の不連続面を物理解明。対象圏域の空間位相と生命波動を完全再コンパイルします』
ブワッ……!!!!
「「「な……なにが起きているんだぁぁぁっ!?」」」
窓の外で、劇的な変化が巻き起こった!
爆走するキャンピング・パレスの周囲から、まばゆい白銀の浄化光が波紋となって一気に広がったのだ。
まず第一に、はるか前方で完璧な包囲網を敷いていた諸国連合の追撃部隊の空間座標が「ポコンッ」と数キロ先へとズレ始めた。
* * *
『隊長! 目標の宮殿は目の前です! 突撃の指示を!』
『よし、全軍突撃! ……って、あれ? な、なぜだ!? 奴らの宮殿は目と鼻の先に見えているのに、いくら馬を走らせても距離がまったく縮まらんぞ!?』
『隊長! 空間の座標計算が完全に狂っています! 奴らは時速六十キロの破格のはずなのに、こちらの時速八十キロの騎兵が永遠に追いつけません! まるで蜃気楼です!』
『バカな! 目標の座標が無限に空振りしているだとぉぉぉーーーっ!?』
追撃部隊は不条理な空間遅延に陥り、遠くの野原で馬をパカパカ走らせながら、回し車の中のハムスターのごとく疲労困憊して自滅・混乱していく。
『なぜだ! 魔法陣の計算式がリアルタイムで書き換えられているのか!?』
そして——第二の奇跡が、眼下の開拓集落で起きた。
スエドの放った「我慢の檻の拒絶」の波長が、集落を苛んでいた暗い濁り魔素を一瞬で掻き消したのだ!
『あ……あれ? 体が軽い……!?』
『お母さん! 腕の痛いトゲトゲが……光になって消えていくよ! 頭も痛くないよ!』
『あーら?! やだ、どういう事なの? 熱も下がってるわ!』
『う、嘘だろ……!? 子どもたちの結界病が……一瞬で全快しただと……!?』
土地に生気が蘇り、病で倒れていた何十人もの子どもたちが一斉に起き上がり、目を輝かせて歓声を上げた。
横暴な執税吏たちは浄化の光に弾き飛ばされて泥の中にひっくり返り、アゴを外して呆然としている。
『あの爆走する白磁の宮殿から?! ……聖なる光が……!』
『僕らを縛っていた教団の恐ろしい呪いを……あの宮殿の神様が救ってくださったんだ……!』
『救世主様だ……! 救世主様が僕たちを救ってくださったんだぁぁぁっ!!』
涙を流して膝をつき、走り去るキャンピング・パレスに向かって手を合わせ、深く感謝の祈りを捧げる民衆たち。
「素晴らしすぎます、ロード・スエド!」
ヴァルカンが眼鏡をキラーンと光らせて感涙した。
「敵の時空間計算を『空振り』させて追撃を自滅せしめるのみならず、効率主義の名のもとに搾取されていた貧しき民の呪いすら一言で浄化・開放されるとは……! これぞ全知全能の慈悲!」
「ただサボってダラダラ遠回りしたいだけの屁理屈でしょーーーーっ!! どこまでスケール大きく世界を救ったら気が済むのよバカ!!」
スネブのキレキレなツッコミが響き渡る中、俺の偏光グラスの視界の端で、赤色の文字画面が静かに一秒刻まれた。
『——警告:|将来的な構造崩壊の可能性。世界の残存演算フェーズ、あと72』
「やれやれ……今度こそ、二度寝の邪魔をしないでくれよ」
俺はボロ布団を頭までかぶり直し、不気味な色のクッキーをポリポリと齧りながら、再び魔法結晶テレビの画面へと意識を沈めていくのだった。
* * *
——同刻。
追撃部隊が空間のズレに翻弄されて自滅していった、街道沿いの深い森林の陰。
暗闇の中で、一匹の漆黒の黒猫——『メル』が、しなやかな長い尻尾を揺らしながら黄金の瞳を細めていた。
『……ククク。距離の概念を狂わせるついでに、土地の呪いまで浄化して民を解放するか。相変わらず、理屈の通じない無茶苦茶な主だ……』
メルは前脚で拾ったナッツをピンと弾くと、闇の中へ向かって静かに、だが冷酷に告げた。
『——教団の影の追撃隊四十名、空間干渉に巻き込まれて絶賛混乱中。主の安眠を妨げ、民を苦しめる害虫ども……これより全自動清掃を開始する』
夜の闇の中へ、黒い影が音もなく滑り出していった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
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【毎日 18:10】に最新話を更新しております。 果たしてスエドは無事に二度寝を守り切ることができるのか——!? どうぞお楽しみに!
【お時間のある方へ】
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