第7話「【緊急】アイドルが刃物男に狙われたので、日頃の修行で殴りに行った件」
イベント会場は、地元の多目的ホールだった。
収容人数は2000人くらい。地元でこの規模のイベントは珍しい。チケットは柊斗が取ってくれた。
「ソラリス、全国ツアーらしいぞ。うちらの地元来るの珍しいよな」
柊斗が会場に入りながら言った。
「そうだな」
人が多かった。ファンの熱気で、ロビーの空気が違う。物販に長い列ができていて、空色のグッズを持った人があちこちにいた。
席に着いて、しばらくしてライトが落ちた。
ステージに、ソラリスが出てきた。
1曲目から「青春リセットボタン」だった。
センターの朝日なのが、空色の衣装で歌っていた。テレビで見た時と同じ笑顔だったけど、生で見ると全然違った。声が、ちゃんと届く。表情が、細かく見える。
眼力を使わなくても、はっきり見えた。
「かわいいな」
柊斗が隣でぼそっと言った。
「そうだな」
俺も同じことを思っていたけど、それより別のことが気になっていた。
会場を見渡した。2000人近い人間がいる。その中に、何かが、いる気がした。
うまく説明できない感覚だった。でも、気になった。
眼力を使った。
視界の解像度が上がった。
ステージ、客席、通路。一人一人の顔が、細かく見えた。
そのとき、見えた。
客席の端、通路に近い場所に立っている男がいた。30代くらい。見た目は普通だった。むしろ、穏やかそうな顔をしていた。
でも、その周囲だけ、空気が違った。
どす黒い、靄みたいなものが、男の周りに漂っていた。
「……いる」
思わず声が出た。
「え、何が?」柊斗が振り返った。
「あの人、ちょっとおかしい」
「どの人」
「通路の端、グレーのジャケット」
柊斗が視線を向けた。「普通に見えるけど」
「なんか、やばい気がする」
柊斗はしばらく男を見てから、「お前の勘、最近当たるよな」とだけ言った。
イベントが終わって、人が流れ始めた。
男が動いた。
客席の流れに逆らって、ステージ裏の方向へ進んでいた。関係者以外立入禁止の扉を、迷いなく開けた。
「柊斗、あいつ追う」
「は、なんで」
「やばい」
それだけ言って走った。柊斗が後ろからついてきた。
関係者通路に入ると、スタッフが行き来していた。その奥に、朝日なのがいた。イベントを終えて、マネージャーと話しながら歩いていた。
男が、その方向へ一直線に近づいていた。
右手が、ジャケットの内側に入った。
光るものが見えた。
「危ない」
俺は全力で走った。
男との距離が一気に縮まった。タックルで体ごとぶつかった。男がよろけて、壁に叩きつけられた。刃物が床に落ちた。
でも男も体勢を立て直すのが早かった。
俺を突き飛ばして、もう一度朝日なのの方へ向かおうとした。
「なの、逃げて」
マネージャーが朝日なのを引っ張って、距離を取った。
男が振り返った。今度は俺じゃなくて、柊斗の方を向いた。
「柊斗、逃げ」
間に合わなかった。
床から拾い上げた刃物が、柊斗の腕を切り裂いた。柊斗が声を上げて、その場に崩れた。
「柊斗っ」
駆け寄った瞬間、男が消えた。
文字通り、消えた。
「……ハイディング」
眼力を使っても、靄の輪郭がぼんやりわかるだけで追いきれない。でも、消える直前、男の背中にメモを貼り付けた。メモだけが空間から遠のいて行った。
柊斗の腕から血が出ていた。
「痛っ……なんだあいつ」
「押さえてろ」
自分の上着を脱いで、傷口に当てた。スタッフが騒ぎを聞きつけて集まってきた。誰かが救急車を呼んだ。
朝日なのが、こちらを見ていた。マネージャーに守られながら、でも動こうとしていた。
「大丈夫ですか」
「俺は大丈夫です。こいつが」
「救急車、呼んでくれてます」朝日なのが言った。「助けてくれてありがとうございました」
「たまたまです」
「たまたまじゃないですよ」
朝日なのはそれだけ言って、深く頭を下げた。
警察が来た。
事情を聴かれた。姿を消した男のことも話した。信じてもらえるか不安だったけど、対応に来た刑事は表情を変えなかった。
50代くらいの、大柄な男だった。
「また能力者か。やれやれだ」
ため息をついてから、名刺を渡してきた。
警視庁 特別犯罪対策室 剣持 隆
「何か見つけたら連絡しろ。最近こういうのが多くてな」
その隣に、若い女性が立っていた。
警視庁 特別犯罪対策室 霧島 律
霧島は俺を見て、一言だけ言った。
「どうやって気づいたんですか、あの人物に」
答えに詰まった。
「なんとなく、違和感があって」
霧島はしばらく俺を見てから、「そうですか」とだけ言った。
その目が、何かを探っている気がした。
柊斗は救急車で運ばれた。
腕の傷は深かった。縫合して、しばらく入院になると言われた。
病室のベッドで、柊斗が言った。腕に包帯を巻いていた。
「よく気づいたな。あの人」
「最近の修行とかの成果じゃないか」
「なんだそれ」柊斗が笑った。「でも、ありがとな。なんか訳わからんかったけど」
「気にするな」
「気にするわ、刺されたし」
俺はなんとも言えなくて、「早く治せ」とだけ言った。
帰り際、病室の廊下で立ち止まった。
逃げられた。刃物を持った男に、柊斗が刺されて、それでも逃げられた。
でも、メモは貼った。
あいつがどこにいても、近づけば見つけられる。それだけは確かだ。
次は逃がさない。
(第8話へつづく)




