98 本物のチェリシア
レイドがステインに勝利した頃、チェリシアは時空間の中を彷徨っていた。
予期せぬ状況で時空の杖が発動してしまい、彼女は一人時空の中に放り込まれてしまったのだ。
前に来たときのように、真っ暗な闇が果てしなく続いている。
『チェリシア、あなたはどうしてそんなことすらできないのよ』
『お姉様ったら、本当に愚図ね』
最初に彼女が視界に入れたのは、幼い頃のチェリシアの記憶。
彼女が義母と異母妹から受け続けたあらゆる罵声。今のチェリシアはそれを経験してはいないが、見ているだけで心が痛んだ。
『アンリーシェ、こっちに来なさい』
『はい、お父様!』
次に流れたのはアンリーシェの幼少期の記憶だった。
そういえば、彼女は叔父に引き取られる前までは実の両親の元で幸せに暮らしていたんだっけ。
まだ幼いアンリーシェの屈託の無い笑顔に、チェリシアは胸が締め付けられた。
『殿下、今日は殿下のためにクッキーを作ったんです』
『ラリサ……』
場面は移り変わり、レイドがラリサの焼いたクッキーを食べているところが流れた。
このときのレイドはまだ幼く、ぷっくらした頬を赤く染めて年相応の笑顔を見せていた。
(子供の頃はこんな顔もしていたのね……)
彼女は当然、レイドの幼少期を知らない。
ラリサは彼が生まれてくるべきではなかったと言っていたが、幸せだった時間もたしかに存在していたのだと知って安心した。
彼女がレイドの幼少期の映像に夢中になっていたそのとき、突然それを遮るような声が耳に入った。
『チェリシア!』
「アンリーシェ……?」
次々と移り行く場面の途中で、次にチェリシアの前に現れたのはアンリーシェだった。
(……あら?何だか変だわ)
こんなところにいるはずのないアンリーシェが、目の前にいる。
今までは映画館に来た観客のように映像を見ているだけだったのに、何だか今はキャストにでもなったかのような気分だ。
ゆっくりと近づくと、こちらを切ない瞳で見つめるアンリーシェの姿が鮮明に映った。
――どうして、そんな目で私を見るの。
彼女は悲しそうに笑いながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
『私、チェリシーがあの人を諦められなくてもあなたのことをずっと――』
耳を澄ましたが、最後の部分は何て言っているか聞こえなかった。
突如耳に入ったガサガサッという雑音と同時に、かき消されてしまった。あの人とは、一体誰のことを言っているのだろうか。
「……アンリーシェ、今何て言ったの?」
聞き返すが、彼女は何も答えない。
ただ寂しそうな瞳でこちらを見つめているだけ。その瞳の真意は一体何なのか。
それがわからなくて、チェリシアは彼女から目が離せないでいた。
(アンリーシェ、どうしてあなたは……)
口を開こうとするも、何故か言葉は出てこなかった。喉に何かがつっかえているかのように、上手く声を出せない。何とか振り絞った声は、結局アンリーシェに届くことはなかった。
そして、気が付いたときにはチェリシアは――
「…………どういうこと?」
――青い空の下、断頭台の前に立っていた。
両手を拘束され、騎士たちに引きずられたままチェリシアは歩いていた。
全く理解が追い付かない中、チェリシアは大罪人として民衆からの罵声を浴びせられた。
『――罪人チェリシア・ロクサーヌ。国家反逆罪により身分をはく奪のうえ、斬首刑に処する』
身に覚えのない罪だ。
しかし、どこかで見たことがあるような場面だった。チェリシアはすぐにその既視感に気付いた。
(もしかして……原作のチェリシアの最期のシーン……!)
そう、まさに原作でチェリシアが迎えた末路だった。
最終話、アンリーシェとステインが結ばれる一話手前で描かれたシーン。
悪役であるチェリシアとレイドの処刑。読者だった彼女の記憶にも深く刻まれていた。
あのシーンを、自身が体験することになるとは想像もしていなかった。
民衆からの罵詈雑言を受け、石を投げられながら彼女は断頭台に頭を固定された。
彼女の意思とは関係なく、決められたシナリオ通りに事は進んでいく。
このとき、チェリシアは思った。
まるで全員が、映画の中の演者のようだと。
まともな意思を持っているのは、彼女だけだった。
(そ、そんな……!ちょっと待ってよ……!)
私、こんなところで死ぬの……?
せっかくレイドと両想いになれたってのに!
そんな思いが、誰かに届くことはなかった。
死刑執行人の合図で、大きな刃がチェリシアの首に向かって下ろされる。
まさに、原作でのチェリシア・ロクサーヌの最期だった。
(こ、こんなの無いって――!)
死を覚悟したそのとき、時間が止まったかのように人々の動きが一斉に停止した。
泣いていた彼女は、驚いて涙の溢れる目を見開いた。
「な、何が起きたの……!?」
チェリシアの処刑を望んでいた民衆も、それを面白がって眺めていた執行人も、チェリシアに向かって下りてきていた刃も。
この世に存在するチェリシア以外の全てのものが動きを止めたのだ。
彼女は慌てて断頭台から抜け出し、群衆たちを見下ろした。
処刑場に集まった民衆たちの中で、一人だけこちらに向かって手を伸ばしている者がいた。
もしかして、あの子は――
『――チェリシア』
そのとき聞こえてきたのは、一時期毎日のように夢で出てきたあの声だった。
チェリシアは何者かに後ろから抱きしめられ、そのままどこかへ連れて行かれた。体を温かい光が包み込み、そっと空中を移動した。
あまりにも心地良いせいか、彼女は途中で眠ってしまいそうになった。
―――次に目を開けたとき、チェリシアは楽園のように光の差し込む、明るい空間にいた。
誰かが彼女の手首を掴んでいるが、風で吹き荒れる髪の毛が邪魔で顔が見えない。
危険人物ではなさそうだが、念のため聞いておく。
「あなたは一体誰ですか……?どうして私をこんなところに……」
ようやく風が収まった頃には、チェリシアの視界はクリアになった。
目の前にいる人物の顔が、少しずつハッキリと見えるようになる。
「――チェリシア、私です。あなたが転生してからというもの、何度も呼びかけてすみませんでした」
鈴の鳴るような、穏やかで柔らかい声だった。
一体誰がずっと自分を呼んでいたのか。
チェリシアは目を大きく開け、目の前にいる彼女を見つめた。
「……あなたは」
ずいぶん見覚えのある姿だった。
長いブラウンの髪に、菫色の美しい瞳。真っ白なワンピースを身を包み、よく見たら足元が宙に浮いている。
それはまるで、鏡でも見ているかのようだった。
「もしかして……――本物のチェリシア……?」
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