99 チェリシア・ロクサーヌの正体
本物のチェリシア――もといチェリシーは、転生者の彼女を前にニッコリと微笑んだ。
「――正解です、チェリシア」
その姿は紛れもなく、漫画の中で見たチェリシア本人だった。
美しく、聡明ではあったが、最後は処刑されてしまった悲運の令嬢だったチェリシア。彼女自体は何の悪事にも手を染めていないにもかかわらず、悪役令嬢として最後は悲惨な死を迎えた。作中屈指の不遇キャラである。
チェリシアは目の前にいるチェリシーの姿を上から下までまじまじと眺めた。
目も鼻も口も、どこを見ても自分と同じ。傍から見ると、二人は一卵性の双子のようだった。
(私を呼んでいたのが本物のチェリシアだったなんて……驚きだわ)
チェリシーは未だに衝撃を受ける彼女をよそに、話し続けた。
「突然こんなところへ連れてきて驚かせてしまいましたね」
「い、いえ……あなたが処刑される寸前の私を助けてくださったんですよね?」
「そうですね……まぁ、助けたとはいっても時間を止めただけですが」
いや、時間を止めるとか普通に神の領域なんだが。
サラッととんでもないことを言うチェリシーに、彼女は呆気にとられた。
「あの、ここは一体どこですか?」
「ここは私が創り出した時空間の中です」
「創り出した時空間……?」
彼女の言っている意味がわからず、チェリシアは首をかしげた。
時空間を創り出すだなんて、普通の人間にできるようなことではない。彼女は一体何者なのか。チェリシアの疑問に気付いたのか、彼女はニコッと笑った。
「そうだ、先に私の自己紹介をしなければいけませんね……私はチェリシア・ロクサーヌと言います。仲の良い友人からは、チェリシーと呼ばれていました」
「ええ、知っています……」
漫画内でたくさん読んだから、もちろん知っている。
彼女が言いたいのは――伝えたいのは、そのことではないだろう。きっと何か別に理由があるはずだ。
チェリシアの反応を確認したあと、彼女はゆっくりと口を開いた。
「人々は昔、私をこのように呼びました――――時空の神と」
その瞬間、まるで時間が止まったかのように周囲の動いていたものたちが静止した。
それはチェリシアが処刑のときに見た光景と、完全に一致していた。
「じ、時空の神……!?」
突然の暴露に、チェリシアは衝撃を受けた。
時空の神といえば、時空の杖の正式な所有者であり、大昔に存在したとされる時空を司る神だ。
(チェリシーが元々時空の神だったですって……!?)
―――遠い昔、まだベレニウム帝国が存在していなかった頃、人間は地上で神々との戦いを繰り広げていた。
貪欲な人間たちは成り上がりたいがために、隙あらば神を倒そうとしていた。
もちろん、神たちも黙ってやられるというわけにはいかない。人間界に下りては悪人たちを排除するという使命を持ち合わせていた。
「当時、神という存在は今で言う皇帝のようなものでした。世界のトップに立ち、国や民たちを守る。それが神として生まれた者に定められた宿命でした」
「……」
もちろん、チェリシーも例外ではなく、彼女はこの世に生を受けてから真面目に神としての使命を全うしていた。人々はそんな彼女を好いており、彼女もまた、自分を慕う人間を好いていた。
しかしある日、彼女は神として重大なミスを犯してしまう。
――時空の杖を、人間界に落としていってしまったのだ。
そのとき、過去を語るチェリシーの表情が暗くなった。
「たかが落としただけ……と思うかもしれませんが、その後時空の杖は様々な人々の手に渡り、悪用されることとなりました。世界各地でその杖を巡っての殺し合いが絶えなくなり、多くの人の命が失われました。私はその罪を追究され、神界から追放されることとなったのです」
「チェリシー……」
時空の神が杖を落としていったという話は、帝国では有名な逸話であり、チェリシアも聞いたことがあった。
杖は神にとって大きな意味を持つ、大切なものである。わざとではないにしても、それを落とすなどあり得ないのだ。
「その後、私は行く宛も無く人間界を彷徨っていました。神としての地位を失った私は、生きる意味も無く絶望していて……いつも死ぬことばかりを考えていました――ですが、そんな辛い状況を救ってくれたのがまさに人間たちでした」
追放されたチェリシーはある小さな村に流れ着き、そこで人間たちの優しさや温かみを知った。
神の国で、神として暮らしていた頃には経験できなかった生活だった。自らの手で生きるための何かを作り上げるという暮らしは、楽ではなかったが楽しかった。
気付けばチェリシーは魔法を使うこともなく、その生活に溶け込んでいたのだ。
しかし、人間と神が共存などやはり不可能だった。
「気付けば数百年が経過し、私の周囲にいた人々は次々と亡くなっていきました。元々小さな村は過疎化が進み、とうとう住人が一人もいなくなってしまったのです」
親しくしていた人間たちはいなくなり、住んでいた村は跡形もなく消えた。
そこでチェリシアは、数百年ぶりに神たちの住む天界へと戻った。
「私は過去の罪の許しを請い、最も序列の高い神帝様に、最後に一つだけ願いを聞いてくれないかと頼みました。私が追放されてからかなり時間が経っていたこともあり、その願いは聞き入れられました」
「もしかして、それが……」
「――ええ、人間として生まれ変わることでした」
神帝はその願いに応じ、彼女の神としての身分をはく奪した。
彼女の魂は神帝により人間と同じ場所へ送られ、彼女は人間として転生することとなった。
時空の神は死に、生まれ変わった。
――両親から虐げられている悲運の公爵令嬢チェリシア・ロクサーヌとして。
「神として過ごした記憶は全て消えていました。おそらく神帝様がそのようにしたのでしょう。ですが、私にとってはそれがありがたかった。神だった頃のことは全て忘れて、新しい人生を歩めるのですから」
チェリシーの望み通りではあったものの、彼女が新たに生まれ変わった環境は残酷なものだった。
「あなたも知っているでしょうが……チェリシアとして暮らす日々はとても辛いものがありました……」
「……」
原作を何度も読んだうえに、ここへ来てからも本物のチェリシアの記憶を見ていた彼女にはそのことが痛いほど伝わった。
幼い頃からその人生を歩んでいるチェリシーは、チェリシア以上に辛かったに違いない。
しかし、彼女は自分の運命を悲観してばかりではなかった。
「だけどね、案外悪いことばかりではありませんでした――彼との出会いが、私の世界を明るく照らしてくれたんです」
「彼……というのはもしかして……」
チェリシアは嬉しそうに頬を染めながら、ゆっくりと頷いた。
「ええ―――レイド殿下です」
まるで恋する乙女のような顔。
その言葉を皮切りに、彼女はレイドとの出会いを語り始めた。
「彼との出会いはあまり良いものではありませんでしたが……でも彼は二人でいる間、私をとても大切にしてくださいました」
「レイド殿下が……」
前世の彼女ならそんなことあるわけが無いと答えているだろう。
しかし、あのレイドなら十分にあり得ることだと、今ならそう思える。
(原作でもレイドは、チェリシアのことをとっても大切にしていたんだわ……)
彼女の柔らかい笑顔が、そのことを物語っていた。
「お互い似たような心の傷を抱えているということもあり、私たちはすぐに打ち解けることができたんです」
原作のレイドとチェリシア。
悪役である二人の関係はあまり深掘りされることはなく、外伝でも特に描かれることは無かった。
読者だったチェリシアですら、二人の物語について気にしなかったのだ。しかし、彼らは彼らなりに、知らないところで愛を育んでいたのだ。
「ある日、私は殿下にこう尋ねました……」
彼女が語り始めたのは、二人の恋の思い出の一部だった。
『レイド殿下、どうして殿下はそこまで皇座を欲しがっているんですか?』
『何だと?』
レイドは呆れたような目で彼女を見下ろした。
『お前は皇家のことを何も知らないんだな』
そんな彼に、チェリシーは言葉を返した。
『私はレイド殿下が傍にいてくれたらいいんです。二人で一緒に暮らしていけるなら……皇帝の座なんていらないのではありませんか?少なくとも、私はそう思っています』
『……そう上手くはいかないだろう。俺も、お前がいてくれたらそれでいいけど……』
そこで、レイドはチェリシーの手を引き、彼女を力強く抱きしめた。
僅かに震えている彼の体に、彼女は困惑した。いつも堂々としている彼の弱々しい姿。何かを恐れているようにも見える。
チェリシアは彼を落ち着かせるように、その背中に腕を回した。
しばらくすると、彼が消え入るような声で囁いた。
『――ステインは絶対に俺を生かしてはおかないだろう』
『殿下……』
『あいつはそういうヤツだ。皇位継承権を放棄し、平民になったとしても必ず皇家の血を引く俺を殺しにやってくる』
――第一皇子ステイン。
レイドの異母兄であり、彼と皇帝の座を巡って熾烈な争いを繰り広げている皇子。
品行方正として知られているステインの残酷さに、彼女は絶句した。
『俺は皇帝にならなければならない――自分の大切な者たちを守るためにも』
『殿下……』
―――そのためならば、どんなに残酷なことでもやってのける。
彼の目がそう物語っていた。レイドは自分の大切なもののために、悪魔になる決意をしたのだった。
チェリシーは、そんなレイドをただ抱きしめることしかできなかった。
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